彼氏と別れた。
正確に言えば、一方的に振られた。ひさしぶりのデートだったものだから、以前に美味しいと言ってくれたチョコチップのクッキーをプレゼントしようと昨日の夜から意気込んで、苦手な早起きをして、母と姉に見守られながらキッチンに立って、満足のいく出来栄えにうんうんと頷いて。ラッピングされた袋を手渡す瞬間を、楽しみに夢見ていたのに。

「……馬鹿みたい」

精一杯の虚勢は、マフラーに覆われた口がモゴモゴと動くだけだった。
ふらふらと繁華街をさ迷った後、人が疎らな公園に行き着いた。すっかり薄暗くなった敷地内を照らすため、段々と街路灯が灯り始める。ひとりだけ先客は居たが、気にせずにベンチの反対側に腰掛けた途端、噴水が水を噴き上げた。
ザアザアと雨のように水面に叩きつけられる水滴の音と一緒に、奇妙な音が聞こえてくる。ガリガリ? ……いや、ブツブツ? そっと横を盗み見ると、派手な髪色のお兄さんが木の枝で地面になにかを描いていた。

「あー、駄目だ。なにも思いつかん。締め切りは明日なのにメロディーも歌詞もなにもかも思い浮かばない……セナに怒られる……」

なにを言っているのか聞き取れなかったが、独り言を言いながら譜面を書いているらしい。五本の横線の中に点在するオタマジャクシをぐりぐりと苛めているところを見るに、上手く行っていないようだった。変わったひとだ。
じゃっかん距離を取った後、綺麗にラッピングされたクッキーの袋を開封する。可哀想だと思ったのはクッキーに対してなのか、わたし自身に対してなのか微妙なところだったのだが。鼻の奥がツンと痛くなった拍子に零れそうだった涙を呑み込んで、クッキーを食べるとあまじょっぱい味がした。
水の噴出が終わると途端に静かになった。お兄さんの様子を窺えば、地面にべた付きだった顔がこちらを向いている。視線の先はチョコチップのクッキー。

「……よかったら食べます?」
「いいのか?!」

パアと顔を輝かせたお兄さんは、袋からクッキーを摘み上げると口の中へ投げ入れる。「美味い! おまえ料理上手いな!」とたかだかクッキー数枚で手放しに褒められ、思わず「好きなだけどうぞ」と笑いながら促せば、クッキーをめいっぱいに詰め込み、頬がパンパンに膨らんだ姿を見せられた。かっこいい見た目なのに、面白いお兄さんだ。
むしゃむしゃと咀嚼し続けるお兄さんの足元に飛び交う大量の音符を眺め、返ってくるだろう答えがなんとなく分かる質問をする。

「お兄さん、なにしてたんですか?」
「作曲」
「へえ……。ミュージシャンなんだ」
「まあそんなところ」

ああやっぱり。既視感のある見た目に考え込むが、今度は答えが分からなかった。芸能人に疎いわたしは永遠に思い出せないかもしれない。家に帰ったら姉に聞いてみよう――と、ぼんやり思考を巡らせているとクッキーを食べ終わったらしいお兄さんと目が合った。ジイ、と音が出るくらい見つめられ、大きい瞳の力に圧倒される。吸い込まれそう。

「おまえは?」
「え?」
「こんな真冬の公園でなにしてんの? 彼氏に振られた?」
「……なんで」
「さっき泣いてんの見えた」

ヒュ、と短く鳴ったのはわたしの喉だったのか、寒風吹きすさぶ音だったのか。
分かり易く狼狽え、言葉にならない呻き声を上げた。「えっと、あの、そんなこと」としどろもどろになりながら顔を背けるわたしを、お兄さんは追い掛けてくる。なんで。
覗き込んでくるエメラルドグリーンは綺麗だった。追い詰められているのにお兄さんの瞳に見惚れてしまい、恥ずかしさを誤魔化すように思わず口を開いた。穴が開いたわたしの口からは、するすると未練がましい言葉の数々が溢れ出る。

「よくある理由なのは分かってるんです。でも、ひさしぶりに会うからお洒落して、お菓子作って、お化粧して……。彼のために頑張ったのに、もう好きじゃないって言われちゃった」
「ふうん。そいつ見る目ないな。おれはおまえが泣いてんの見たとき、ドキッとしたのに」
「…………え」
「ちょっとは元気でた?」

カアと頬が赤くなったのを感じる。ああ恥ずかしい。そんなつもりなかったのに、お兄さんに慰めて貰った申し訳なさと励まして貰った嬉しさが半々。

「も、もう! お兄さん!」
「わはは。嘘じゃないからそんなに落ち込むなよ。おれはおまえのおかげでインスピレーションが沸いてきたから、セナに怒られずに済みそうだ」
「い、いんすぴ……?」
「あ、そうだ。これやるよ。暇だったらおれの歌、聞きに来て」

ポケットから取り出した紙切れを手渡され、くしゃくしゃになったそれを広げたのなら、青を基調としたデザインチケットに印字された「Knights」の文字が飛び込んできた。知っている。人気絶頂のアイドルグループの名前。ファンクラブさえチケット入手が困難だとか、メンバーの追っかけの一部が社会問題だとか。姉が今月末にドームツアーが云々と騒いでいた気がする。
――そういえば、お兄さんの髪色は「Knights」のリーダーと同じオレンジ色だ。

「えっ、お兄さん、月永レ――」
「じゃあまたな!」

メロディー、メロディー、ハッピーバースデイ
18'1231

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -