光が最後まで残っているなんて、珍しい。
部誌の空欄を順々に埋めながら、青いプラスチックのベンチに座ったままスマホを弄っている後輩の姿を盗み見る。いつもなら早々に部室を後にする筈の光が、今日は最後まで居残っていた。白石や忍足を始め、先輩たちのお誘いは相変わらずの態度と毒舌で一蹴するくせに特別、何をする訳でもなく暇そうにスマホの画面を指先でなぞっている。
ヘッドフォンからシャカシャカと微かに音漏れするメロディーの歌詞が英語だったものだから、洋楽に疎いわたしは誰の曲なのか分からなかったのだが、光らしいと思った。光は基本的に自分に正直だ。好きなものは好きだと言うし、嫌いなものは嫌いだと言う。先輩だとか後輩だとか、上下関係すら光はお構いなしだった。現にわたしは、光が忍足や一氏に対して後輩らしかぬ尊大な態度のまま接する場面を何度か目撃しているのだ。
光がだらだらと居残っているのはちゃんと理由がある。案の定、わたしが部誌を閉じたと同時に、光から「駅まで一緒に帰ってええですか」と声が掛かった。
今日の光は珍しいというか、変だった。もともと口数が多い訳じゃないが、適当に相槌を打つばかりで、心ここに在らずといった調子だった。せっかくの二人っきりで、肩を並べて一緒に帰っているのに。光の様子に少なからず機嫌を損ねて、突然立ち止まって、ゆらゆら揺れるマフラーの端を引いてみる。バッと勢い良く振り返った光が、わたしの顔を見て「あー……」と気まずそうに目線を逸らす。

「……ナマエ先輩は」
「うん?」
「バレンタイン、誰かにあげるんですか」

思わず「バレンタイン?」と聞き返しそうになったのを寸でのところで留まった。ポケットに手を突っ込み、背を猫のように丸めている光が、真剣にわたしの答えを待っている。

「テニス部のみんなにあげるつもりだよ。もちろん、光にも」
「…………」
「……甘いもの嫌いだった?」

幾分か背の高い光の顔を覗き込むように見上げると、薄っすらと眉間に皺を寄せた顔で盛大に溜め息を吐いた。わたしの答えが気に入らなかったらしい。いまにも舌を打ちそうなくらい凶悪な表情のまま、苛々を隠そうともせず詰め寄ってくる。
そこそこ整った顔の男に凄まれると恐怖心を覚えるのは当然、光の場合は大量のピアスとツンツンにセットされた頭髪が、ガラの悪さを一層煽っていた。耐性のない女の子が相手だったら、きっと泣かれるに違いないと常々思っている。
……まあ、わたしは、もう慣れたのだけど。
光の冷たい手が、セーターの袖口に引っ込んだわたしの指先を遠慮がちに引っ掴む。

「テニス部の奴ら全員にあげるやつなんか義理やろ。そういうんやったら、俺は要らない。俺が欲しいのは、あんたの……」
「わたしの?」
「……やっぱやめた」

パッと手を離した光が、何事もなかったかのように背を向けて歩き出した。ハアなんて物憂げな溜め息を吐きながら、さっさと駅の方面へ進んで行ってしまう。

「……光のヘタレ」

ピタリ。歩みを止めた光に笑いそうになるが、気づかないふりをしたまま更に追い打ちをかける。「光が忍足もびっくりのヘタレやなんて知らなかったわぁ」と普段は使わない関西弁で言ってみると、わたしの言葉にカチンときたらしい光が、口元を引き攣らせていた。スタスタと足早に歩み寄ってきたと思えば、今度は無遠慮に頭を鷲掴みにされる。

「可愛い後輩にわざわざ言わそうとするやなんて悪い先輩やな」
「光よりは素直でしょ?」
「……ほんま、ずるいっすわ」

指先に篭められた力が緩んで、髪を梳かすように撫でて。大きな手のひらがわたしの頬を包み込んだ。手が触れ合ったときよりも冷たく感じられたものだから、無意識に身を捩ろうとすると、許さないとばかりに引き寄せられる。
ジッと見つめられる視線が、蕩けそうなくらい熱くて甘ったるい。

「本命やないと受け取らへんから。ちゃんと用意しといてくださいよ、先輩?」

甘党と猫の目
19'0214

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