「お前はなぜ真選組(ここ)にいる」

正鵠を射る問いに、ナマエは口を噤んだ。
直属の上司である副長の土方に突然呼び出され、私室を訪れたのは星が瞬き始めた宵闇の頃だった。「ミョウジです」と襖の前で入室の許可を求めると、二つ返事で承諾される。一拍置いてから足を踏み入れた室内は薄暗く、隅で行灯の火がゆらゆら揺れている。
座卓で何かしらをしたためている土方に背を向けたまま「座れ」と短く言われ、躊躇いがちに用意してあった座布団に座った、その直後。情など一切ない言葉で単刀直入に問われてしまい、ナマエは馬鹿正直に押し黙るしかなかった。
人はみな己が信じる正義を持つ。四半世紀を生きたナマエの持論だった。そう思っていたからこそ清く正しく美しく、そして女だてらに刀を握って侍になった。信じている正義という名の理想と野望を追い求めるため、ここ(真選組)まできた。
黙ったまま質問に答えようとしないナマエに痺れを切らした土方が、露骨な溜め息と共に持っていた筆を硯の縁に置いて振り向いた。まるで抜き身の刀のように鋭く責め立てる視線。三白眼が凄みを増して、萎縮しそうになる。ぐっと握り込んだ膝上の手のひらに爪を立てて平常心を保ちながら、ナマエは土方を真っ直ぐに見つめ返し続けた。

「答えられねェか。それとも答えたくねェか」
「……答えたところで、それに満足して貰えるなんて思ってません」

お互いが口を開く度に、場の雰囲気がひりつく。こんなに緊張感をともなう一問一答は同じ組織に属する者の密談などではなく、洗い浚いを吐かせる尋問のようだ。絡み合う視線を逸らしたら自ら負けを認めてしまうような気がして、ナマエは部屋に入って以来全く緩むことのない土方のしかめっ面に苦笑を零した。

「江戸の平和を守る。……それだけの理由じゃ駄目ですか」
「生憎、女の嘘にゃ慣れてるんでね。最後のは聞かなかったことにしといてやるよ」

あとその下手くそな笑顔もな。そう言って再び背を向けてしまった土方に深々と頭を下げ、ナマエは足早に部屋を後にした。翠色の引手帯の襖を閉め切る直前、隙間から着火音と共に紫煙がゆらゆら漂っているのが見えた。





「お前はなぜ真選組(そこ)にいる」

開口一番の問いに、ナマエは目を瞬かせた。
過激派攘夷浪士の高杉晋助が江戸にいる。幕府の転覆を目論むお尋ね者の目撃情報が定例会議の最後に告げられたとき、既にナマエは廊下へ続く障子に手をかけていた。突然の奇行にざわつく周囲の隊士たちも、後ろから「待てミョウジ!」と声を荒げる土方も。たったの一秒すらナマエを立ち止まらせる要因には至らなかった。縁側から降り立った庭で、室内へ一瞥だけを残して。隣に座っていた随一の身体能力を誇る沖田や、なんとなく異変に感づいていた土方が止める間も無く、ナマエは真選組から姿を消した。
それからはがむしゃらに走って走って、ひた走って。少しでも心当たりがある場所を片っ端から虱潰しに探していると、視界の端にしろがねがちかちかと煌めいて迸った。キンッと金属が擦れ合う音が空気を震わせる。反射的に抜いた腰元の刀で迫る白刃を受け流して、弾き飛ばして。陽の当たらない薄暗い路地裏からふらりと姿を現したその男――高杉は、ナマエの姿を目に止めると口元に笑みを張りつけたまま問うた。
ほのかに香る独特の匂いに微かな既視感を覚えながら、ナマエは淡々と答える。

「あなたみたいな人から江戸を守るため」
「違ェな。お前がそんなもんのためにてめェの命を張るタマか? 犬畜生になっても、髪が伸びても、女になっても、あの頃から何一つ変わっちゃあるめェよ。なァ……ナマエ」

舐めるような視線から逃れるようにナマエがふいと顔を逸らしたのなら、高杉は愉快そうに喉の奥をくつくつと鳴らした。
高杉が腰を低く据え置いて鍔のない刀を構える様子を見て、咄嗟に周囲へ視線を散らす。人の姿はない。気配もない。廃れてしまった歓楽街は真っ昼間からシャッター街になっているらしく、これなら周囲の建築物や民間人に気を配る必要もなさそうだ。ナマエがならうように刀を構えてみせると、高杉は細めていた目を薄っすらと開いていく。

「俺が教えてやらァ」
「結構!」

ギンッ! と不協和音を奏でてつばぜり合った後、ナマエは精一杯の力で高杉を振り払って後ろへと飛び退いた。そして息つく暇もなく襲いかかってくる切っ先に声を漏らしながら受け止めてみせるものの、想像以上に純粋な筋力の差を思い知らされてしまい歯噛みする。高杉が片手で得意の突きを繰り出す一方で、ナマエは両手で柄と刀身を押さえなければ衝撃を殺すこともままならなかった。

「は、腕ェ鈍ったか? 真選組紅一点の女剣士さんよ」

からかうような口調と余裕のある皮肉っぽい表情。ビキ、と青筋を立てながらナマエ小さく笑う。

「あなたこそ……相変わらずそんなぺらっぺらな着流しじゃ――懐がら空きよ!」

無理やり上半身をひねって、横へ流して。無防備になった高杉の腹部に全力で蹴りの一撃を入れた。ぐ、と一瞬息が詰まったような様子を見せる高杉に、ナマエはご満悦と言わんばかりに鼻を鳴らす。
まさか蹴り技が飛んでくるとは思わなかったらしい高杉が、まじまじとこちらを見つめてくる。

「随分足癖が悪くなったもんだ。十年の間に誰かに躾けられたか」
「昔からよ。……残念ながら」
「……そうかい」

思い当たる節があるんだかないんだか。それを最後に閉口した高杉が動いた直後、勝負はついていた。
重たく冷たい金属が皮膚に、肉に、内臓に食い込んでいく。不意打ちの衝撃に、脳がぐわんと揺さぶられる。刀の峰で打たれた峰打ちだったが、まともに入ってしまった。

「う……っ、!」
「お前が真選組にいたのは――」

言わないで。それ以上は口にしないで。
徐々に沈んでいく意識の中で、ナマエの願いなど届かなかった。くずおれるナマエの身体を高杉が抱き留める。

「俺に会うためだろ、ナマエ」

仲間の墓と自分たちの墓を建てた、あの日。ナマエと高杉は確かに別離を選んだ。お互いの根底にある思慕を知っていたにもかかわらず、その感情をいっさい露わにすることなく仕舞ってしまった。一瞥すらくれることのなかった高杉の腹のうちはともかく、ナマエはあの日からずっと悔やんでいる。
たった一言。私もつれて行ってと言えば良かった、と。





嵌め込み窓の外に広がる景色は、既に見慣れたものだった。煌々と光るかぶき町のネオンは星の瞬きに似ていて、上も下も濃紺の空が無限に続いているかのような錯覚を起こす。船底に響き渡る機械音が徐々に大きくなって、耳をつんざくようなエンジン音が段々と高く強くなって。地上の建物やネオンが視認できないくらいに小さく細かくなっていく。
ナマエが鬼兵隊の宇宙船に乗るようになってから、一年が経った。

「ナマエさん!」
「ああ、また子ちゃん」

はつらつとした声に呼びかけられ、ナマエは手元の書類から顔を上げた。パタパタと草履の音を響かせながら歩み寄ってきたまた子は、端から見ると窓辺で突っ立っているだけのナマエに不思議そうな眼差しを送りつつ手短に要件を伝えてくる。

「晋助様が呼んでるっス。……何見てたんスか?」
「手配書」
「手配書ォ?」

どうやら好奇心には勝てなかったらしい。さらには想像し得なかった答えが返ってきたことに驚いたようで、しげしげとナマエが持っている書類を物珍しそうに見つめてきた。『指名手配。この顔にピン! ……と来たら一一〇番。大江戸警察』と書かれているそれは、確かに攘夷浪士・ミョウジナマエの指名手配書だった。
また子も自分の手配書は見たことがあるし、鬼兵隊内ならそこそこの知名度があるメンバーは個人名でお尋ね者になることなど珍しくもない。思わず「これがどうかしたんスか」と疑問を口にするまた子を余所に、ナマエは「んー……」と腑に落ちない様子で手配書に載せられている自分の顔とにらめっこを始めてしまう。
やがて唇に指先を当てて小さく溜め息を吐き、ぼそっと至極残念そうにつぶやいた。

「もっと写真写りがいいもの使って欲しかったな」
「……時々思うんスけどナマエさんってホントいい根性してますよね……」
「ふふ」

どことなく楽しそうに微笑んでいるナマエに、また子が「褒めてないっス」と真顔で言い放った。
――私の正義はもうない。だからあなたの正義に従うだけ。

出合い・触れ合い・傷付合い
21'0420

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