新幹線と在来線を乗り継いで二時間半。それから路線バスに揺られること四十分。そびえ立つ高層ビルや煌びやかなネオン街から遠くかけ離れた田舎のバス停留所に降り立ったナマエは、燦々と照りつける太陽と堂々とそそり立つ山体に目が眩みそうになった。
連日連夜の猛暑が続く中、夏休みも中盤に差し掛かった頃。日がな一日リビングで寝そべっていると見るに見かねた母親に「毎日だらだらしてるんだったら家の手伝いでもしなさい」と言われ、あれよあれよという間に空き家の掃除をしに田舎へ行くことになった。曾祖父母の代の空き家があるのは知っていたが、近場の親戚が管理を一任していたため、ナマエがここを訪れること自体が十数年ぶりだ。ただし、幼かった当時の記憶なんて微塵も残っていないが。
最初こそなんで私が、と抵抗を試みたものの、旅費も出してくれるし暇潰しになるのならと安請け合いしたのだが、ナマエは既に軽率だった数日前の言動を後悔し始めていた。現状を一言で表すと何もない。四方を山に囲まれている開けた土地は見渡す限り自然が溢れていて、ファストフード店やビデオレンタル店はおろかコンビニすらあるのか怪しい。一般的な都市部で生まれ育ったナマエにとって、それは衝撃的な光景だった。
エンジン音を響かせながらバスが立ち去るのを見送って茫然としていると、けたたましい蝉の鳴き声に紛れて微かに機械音が聞こえてくる。耳馴染みのあるメロディーは最近流行っている男性バンドグループの新曲で、ナマエはその音に誘われるまま後ろを振り返った。
待合所の奥のベンチに、眼帯の若い男がいた。強烈な夏の日差しから逃げるように日陰に身を潜め、有線のイヤホンを繋いだスマホを操作している。どうやらその男が持っているスマホが曲の出所らしい。
絵に描いたような不良少年だ。というか田舎のヤンキーだ。どことなくノスタルジーな気持ちを覚えながら、ナマエは絶句した。整ってはいるものの凶悪な人相、眼帯を隠す長ったらしい前髪、それから異彩を放つ大量のピアス。黒髪から覗くイヤホンが嵌った形のいい耳には、耳朶どころか軟骨にも穴が開いていた。

「……ナマエ?」
「え……?」

ナマエの不躾な視線に気づいたのか否かは定かではないが、男と目が合った途端に名前を呼ばれてしまい、ひゅっと音を立てて喉が閉じていく。恐怖と驚愕に襲われると言葉が出なくなるのは本当のようで、ナマエは男がイヤホンを耳から外しながらこちらへ近づいてくる様を見つめていることしかできなかった。

「着いたなら声かけろ。待ち惚けになるだろ」
「……」
「荷物それで全部か? 貸せ、半分持つ」
「……」

馴染みの友人か、或いは同級生に話すような。粗暴な見た目とは裏腹に親しい間柄を思わせる口調で話しかけられ、ナマエは戸惑っていた。一方で、眼帯の男はうんともすんとも言わないナマエに段々と不信感を募らせていき、眉間に深い皺を刻んでいく。何かしらを考え込むように一度視線を落としたかと思えば、次の瞬間には鋭さを増した隻眼でナマエを射抜いた。

「オイ、まさか覚えてねェとか言うんじゃないだろうな」
「……えっと……」

そのまさかです、とは軽々しく言えず。しかしながら、ナマエの様子から全てを察した男は肺の底から息を吐いた。

「高杉晋助。ややこしいから名前で呼べ。お前は覚えてねェかもしれねェが、昔ここの爺さんの葬式で一度会ってる。俺の父親が今単身赴任中でな、母親もくっ付いてっちまって盆休みも戻って来ねェ。だから今年の掃除は俺とお前の二人って訳だ。……これで満足か?」
「は、はい! ご丁寧にありがとうございます……」
「面倒だから敬語も使わなくていい」

晋助という名前に聞き覚えがあったナマエは、旅立つ直前の母親の言葉を思い出していた。「昔ナマエと仲良く遊んでくれた晋助くんの家が今年の掃除当番なんですって。良かったわねェ。すごく可愛くて美人のママ似の子だったから、イケメンになってるんじゃないかしら。……え? アンタ今彼氏いないんでしょ? ちょっとくらい羽目外してきてもいいわよ、許す!」などと勝手に言って親指を突き立てた彼女は、娘に掃除を押しつけて自分は趣味のバスツアーに出かけるとんでもない母親だが、まさかその晋助くんとナマエがひとつ屋根の下で過ごすことになるとはさすがに想像していなかったに違いない。どうしてこうなった。
とはいえ、見知らぬ土地で目をかけてくれる人がいるのは、ナマエにとって願ってもないことだった。晋助は素気無く淡々と喋るタイプながらも懇意にする気はあるようで、ナマエの大きなボストンバッグを持ち上げると少々不健康そうな白い肌を日に晒した。先程の言葉の通り、手伝ってくれるらしい。
生温い風に揺れる黒髪の狭間で、数多のピアスが太陽を反射してきらりと光る。

「……そんなに気になるなら、外すが」

何を、と口にする前に分かってしまった。降り注ぐ陽の光がシルバーを七色に輝かせて、目を眩ませて。
無意識のうちにジッと見つめてしまっていた自覚も、それに対して畏怖の念を抱きつつも惹かれている自覚もあった。ナマエは慌てて否定に手を振ってみせる。

「ち、違うの、ただ物珍しくて。穴だらけだけど痛くないのかな、とか。やたらギラギラしてて強そうだな、とか。……でも、治安悪そうな感じが晋助くんに似合ってるから、私に気遣って外すなんて勿体ないというか、滅相もないというか……」
「……てめェ、褒めてんのか貶してんのかどっちなんだ」

晋助の言い分も尤もだった。ナマエ自身、滅茶苦茶を言っていると思っていた。
いつの間にかうなじを伝っていた汗が、襟元から服の中へと入ってくる。背骨に沿って落ちていったものが暑さからの汗なのか、それとも別の理由からの汗なのか分からず、ナマエは誤魔化すようにへらりと笑んだ。

「……少しだけ怖い、かも」
「は、正直者だねェ」

さっさと行こうぜ、優等生の高杉ナマエちゃん。唇の端をつり上げ揶揄うように目を細めた晋助は、ボストンバッグを肩に担いで早々に歩き出してしまう。ナマエはどくどくと生々しく鼓動する心臓を押さえながら、一呼吸の後にその背中を追いかけた。

Blue.
21'0722

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