「…………鳴、」
「テレビに映ったときゼッケンが曲がってたら恥かくのナマエだよ。俺が直々にチェックしてるんだからさっさと続けて」
バッサリと切って捨てられ、思わず口を噤んだ。食い下がったところで事態が好転するとは思えなかったので、ナマエは心の中で溜め息をつきながら作業を再開する。鳴の傍若無人っぷりは今に始まったことじゃないが、後輩である多田野とバッテリーを組むようになってからは精神的に成長してくれたと陰ながら思っていたのに。鳴は相変わらず鳴だった。
背骨を丸めて、上半身を伏せながら机へ頬をくっ付けて。いつの間にか鳴の頭がナマエの手元から数十センチと離れていない距離感に驚いた。こちらは針を持っているのだから、突飛な行動は慎んで貰いたいところだ。ただでさえ無遠慮に手元を凝視されて集中力を欠いているのに。ナマエの杞憂など知らぬ存ぜぬといった様子の鳴は、眼前にある華奢な指先を懐かしむように目を細める。
「ナマエ、針仕事するの上手くなったよね。昔なんて指穴だらけにして絆創膏いつも無駄遣いしてたのにさ」
「……誰かさんのおかげでね」
「やっぱりそれって俺のおかげ? 超がつくほど不器用なナマエが人並みに女の子らしいことできるようになったんだから、もっと俺に感謝してよね!」
鳴の鼻を絵や漫画で表現したのなら、高々と天に向かって伸びているに違いない。架空のそれをいっそのことへし折ってしまいたい衝動に駆られながら、ナマエが文句のひとつでも言おうと再び手を止めた瞬間――部屋のドアが勢いよく開いた。チームメイトで同級生の神谷と白河だった。
「お、いたいた」
「何か用?」
「鳴じゃなくてミョウジに用事。俺たちのゼッケンもつけてくれよ」
言いながら、神谷は持っていたゼッケンをナマエに差し出した。白河は無言のまま様子を窺っているようだったが、手元にあるゼッケンを見るに便乗するつもりらしい。
鳴のゼッケンは後数分で付け終わるから問題ないし、チームメイトからのお願いを断るほど薄情なマネージャーでもない。当然ながら快諾するつもりだったのだが、ナマエが口を開く前に「ハァ?」と不機嫌そうな声を上げたのは鳴だった。
「駄目に決まってるじゃん。ナマエは俺のゼッケンつけてんの。終わった後は俺のマッサージすんの。おまえらの分までつけてやるほど暇じゃないんだよね。さあ帰った帰った!」
「……だから成宮がいないときにしようって言ったんだ」
「だな。これだからボウヤは」
やれやれと肩を竦める神谷と、心底面倒臭そうな顔をする白河と、それが気に入らなくて段々ヒートアップする鳴。稲実野球部お馴染みの日常風景だった。
やっと視線から解放されたナマエがゼッケン付けを終わらせてユニフォームを畳み終わった後も、一方的な口論は続いていた。今では真面目に鳴の相手をしてるのは神谷だけで、白河は携帯を弄っていて気にも留めていない様子だ。ナマエは新しく取り出した糸を針穴に通しながら、神谷と白河を呼び止める。
「神谷くん白河くん。ゼッケンそこ置いといて? 明日までにつけておくから」
「えっ」
「悪いな。サンキュー」
「いえいえ」
「ちょっとナマエ! 何勝手に引き受けてんの!」
「わたし別に鳴専属のマネじゃないし……」
「嫉妬は見苦しいよ」
「違えよ! とにかくナマエは俺以外のゼッケンつけんの禁止! 絶対禁止!」
鳴を無視したまま早速と言わんばかりに白河のゼッケンとユニフォームに手を伸ばしたのなら、我慢の限界を迎えたらしい鳴が「ナマエのバーーーカ!」と叫びながら部屋を飛び出して行った。その後に「イツキ!」と多田野を呼ぶ声が聞こえてくるものだから、思わず三人で顔を見合わせる。
「樹かわいそー」
「いつの間にかマッサージしなきゃいけないことになったから、後でご機嫌取りしておくね」
「さすが稲実の猛獣使い」
「なにその可愛くないあだ名。やめてよ」
悪びれた様子もなく笑って去って行く神谷と白河の後姿を見送って、手元にあるゼッケンを広げて眺めてみる。鳴は大体エースナンバーをもらってくるので、ナマエにとっては見慣れない背番号だ。今までに何回ゼッケンを付けたのだろう。これからは何回ゼッケンを付けられるのだろう。一人だと感傷的になっちゃうな、と独り言ちながらチームメイト曰く『猛獣』の彼のことを思う。
「猛獣使いかあ……」
手綱を握って操るどころか引きずり回されているのに、という愚痴は腹の中に呑み込んだ。