汗や砂埃でべたべたになった体が気持ち悪い。今日も今日とて投げ込み・打ち込み・走り込みと体を苛め抜かれた一日だった。いっそのこと練習着を脱いでしまいたい衝動に駆られながら、鳴がベンチに視線を向けるとマネージャーであるナマエがいたので、一瞬のうちに気だるい疲労すら吹き飛んで反射的に走り出した。
あーあ、と察したらしいチームメイト数名から憐みの視線がナマエへ向けられるが、そんなこと知ったこっちゃない。見つかってしまったのが運の尽きだ。カゴの中のボールを数えている丸められた背中に飛びついて、さっと両目を手で塞ぐ。

「だーれだ!」
「は、やだ、鳴?! てゆうか暑い!」

秒でバレてしまった悪戯に「つまんねえの」と口を尖らせるものの、ナマエにこんなことをするのは鳴くらいなので仕方がないことだ。そもそも彼氏の声と手くらい分かるだろ、と謎の自信と慢心があったことは置いておいて。
鳴は塞いでいたナマエの目を解放すると、今度は小さな背中にべったりと体を張りつけた。日陰にいたナマエの肌は薄っすらと汗ばんでいるが、炎天下に晒されていた球児より冷たくて気持ちいい。本気で嫌がっているナマエを容赦なく抱き締めて、頬を擦り寄せて。ふわっとほのかに香った甘い匂いに鼻を鳴らして、髪をアップにして剥き出しにされたうなじに息を吹きかけると「ひっ」と短い悲鳴が上がった。

「い……、いい加減にして!」
「ぶっ! ちょ、おま……、待った! ゴホッゴホッ! 何これ?! すげえ甘い匂いすんだけど!」
「フレッシュフローラルだよ」

ナマエは匂いの名称を言いながら、鳴の顔面に向かって吹きかけたピンク色の制汗スプレーをずいと突き出してくる。
いつもナマエから香る良い匂いはこれだったんだ、と一人で納得する。ナマエの二の腕や首筋からほのかに香ってくる分には良い匂いだと思っていたのに、原液を直接浴びせられると強烈な刺激臭に鼻が曲がりそうだった。
鼻を啜ると奥がツンと痛んで、目の端から涙が滲む。完全に不意打ちだったから、ほんの少し吸ってしまったかもしれない。さすがにそれをナマエに悟られるのは無駄に高い自尊心がゆるさなかったので、鳴は気づかれないうちにさっさと目元を拭った後、制汗スプレーを吹きかけられたこと・離れざるを得なくなってしまったことを恨みがましい目で訴えたが、ナマエは負けじとジト目でこちらを見た。

「この暑いのにべたべたするのやめてよ。余計に疲れるでしょ」
「だからって彼氏の顔面にスプレーぶっかける? ナマエさ、文句あるなら口で言いなよ」
「暑苦しい。汗臭い。我が儘でうるさい」
「ハァ?! 練習頑張ったエース様に向かって何その言い方!」
「本当のこと言っただけでしょ! エースなら仕事中のマネにちょっかい出すな!」

つーか最後の普通に悪口だろ! と取っ組み合いの喧嘩に発展しそうな勢いで言い合う鳴とナマエを眺めていたチームメイトたちが「堂々といちゃつくな」「そんなに元気なら外周走れよ成宮」「ミョウジ頑張れ〜」と野次や声援を飛ばしてくる。当然のように鳴へのエールは全然なかったし、何ならナマエと同様に悪口もどきが混ざっている。これだから彼女がいないやつらは……と青筋を立てながら冷静を装って舌を出して挑発すると、案の定ブーイングは勢いを増した。騒々しいことこの上ない。
本当に馬鹿だな、と思う。部員の過半数は彼女がいないし、だからこそ鳴自身も優越感に浸っている。チームメイトたちはそれを分かっていて悪ノリに便乗してくるし、からかってくる。一種のコミュニケーションだ。男子高校生なんて、高校球児なんて、試合中以外は単純で馬鹿ばっかりだ。そんな稲実野球部員たちを見たナマエが「小学生?」とつぶやいていたことには、気づかない振りをする。

「で?」
「ん?」

ボールを数え終わったナマエが、地面に座り込んでいる鳴を覗き込んだ。一方的にべたべた触られて熱と汗を押しつけられた挙句、マネージャーの仕事を邪魔されてご立腹の様子だったが、彼女曰く『小学生』の戯れを見ていたら少しは頭が冷えたらしい。端々の言葉が多少刺々しいものの、いつものように話しかけてくる。

「いつになったら着替えてくるの? これ片付けたら仕事終わるけど」
「終わるけど、何? 俺と一緒に帰りたいってこと〜?」
「…………」
「ゲホッ! だから無言でスプレーしてくんのやめろよ!」

鳴が調子に乗り始めた片鱗を感じさせた途端、ナマエが再び制汗スプレーを噴射した。仕様もない鳴の悪い癖をきちんと牽制するところを見るに、実はそこそこ怒ったままなのかもしれない。纏わりつく甘ったるい匂いを振り払って、砂埃を叩いて立ち上がって。「はい没収〜」とちょっとした武器になってしまった制汗スプレーを取り上げた。
めんどくさいとは思うが、嫌われたいわけではない。大仰な溜め息を吐きながら、鳴は仕方ないと言わんばかりに「我が儘な彼女のためにシャワー浴びてこよ」と部室棟にあるシャワー室へと足を向けた。
当然、その場に残されたナマエやチームメイトが思い至った言葉は「おまえが言うな」だった。

漂白と芳香
20'0827

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