ああ疲れた。
同時に口から出た言葉が思いのほか疲労困憊だったものだから、ティキとナマエはお互いの真新しい礼装と草臥れた顔を見比べた後、緊張の糸を解いたように吹き出した。
クリスマスパーティーと称された舞踏会は、定例のものと然程変わった様子は見られなかった。真っ白なテーブルクロスの上に鎮座するフルコース、ホールに響き渡るクラシックの生演奏、きらびやかな装飾が施されたドレスを纏ったマダムたち。心からイエス・キリストの降誕祭を祝福しているのは、会場中央に設置された巨大なモミの木のクリスマスツリーだけだった。
下心しか持ち得ない握手を幾度となく求められ、手垢塗れになった手袋を外しながらティキは煙草を吸おうとタキシードの内ポケットを探ったのだが、隣からの鋭い視線に手を止めた。青や紫など寒色系のアイシャドウで彩られた瞼の下から、アーモンド型の目が睨みつけてくる。

「レディの前なのに配慮が足りないわ。ティキ・ミック卿?」
「ええ……。もう嫌ほど浴びたんじゃねぇの」
「あなたの銘柄は香りが強いから好きじゃない」

ナマエに一刀両断され、ティキは溜め息と共に両手を上げてみせる。渋々と至福の一服を諦めた証拠だった。ナマエはそれを見るとリボンを解くように編み込まれた髪を崩しながら、満足そうに微笑んだ。
ティッキーは人気者なんだよぉ。着せ替え人形の如く自分を着飾らせるロードが言った言葉を、ナマエは不意に思い出す。
ティキは美青年だ。身内の贔屓目は一切ない。多少の日常会話程度なら学の無さは露呈しないし、目映いシャンデリアの光に晒され堂々とフロアを闊歩する様は、銀幕の主役のようだった。貴婦人たちが総じて色めき立ち、とろんとした熱い視線を送るのも頷ける。
ティキが花のかんばせを不機嫌そうに膨らませている理由を、ナマエは知っていた。
パーティーに興が乗らなかったから? か弱い人間の相手をさせられたから? 家族に煙草を吸うなと言われたから? ――否、違う。答えは簡単だ。いつになく分かりやすいほど、ティキの視線はナマエの左手薬指に注がれているのだから。
背中へ落ちた髪を手櫛で梳きながら、ナマエは自身の肩越しに手持ち無沙汰に突っ立っているティキを見た。

「そんなに嫌?」
「なにが」
「わたしが指輪するの」

きょとんと何度か瞬いた目が、やがて気まずそうに明後日の方向へと逸らされていく。長ったらしい髪を鬱陶しそうに掻き乱した後、再びティキは深々と溜め息を吐き出した。

「そんな露骨な顔してた?」
「それはもう。旦那様に言い訳するの大変だったんだから」
「……旦那様、ね」

ティキの含みのある言い方に気づいているのかいないのか、ナマエは楽しそうに笑うだけだった。
アンティーク調の豪華なドレッサー前に腰を下ろしたナマエが、ネックレスやイヤリングといった貴金属を次々と外していく。段々と無防備になる首元や耳元を見ていると、ティキはやっと本来のナマエが帰ってきたような心地になった。
ロードのお人形になったナマエは確かに美しい。男たちの高嶺の花で、深窓の佳人だった。まるで蕾が花開くように笑み、鈴を転がすような声を紡ぐ。無意識のうちに欲しいと思わせてしまうような魔性の魅力こそ、ティキが知らないナマエの表の顔だった。
ナマエが煙草の匂いを気にすることなんて今までになかった。ましてや、吸うなと言いながらティキを睨みつけてくるなんて絶対に考えられなかったのに。
ティキが心ここに在らずといった様子で物思いに耽っていると、鏡越しのナマエと目が合った。今度こそ丸くて美しい瞳のまま、ティキを真っ直ぐに見つめてくる。

「ティキはどこぞの令嬢と一緒にならないの?」
「結婚ねえ……。興味ねぇんだよなぁ」
「シェリル兄さんが泣くわよ」
「知るか。そもそもナマエが婚約したときも号泣してなかったか? 純潔がーとか」
「ああ……あれね。思い出すだけで鳥肌が立ちそう」

当時を思い出したのだろう、ナマエは長手袋を外して剥き出しになった二の腕をそっとさすった。
ロードの父であり、ティキとナマエの兄という設定を存分に愉しんでいるシェリルは、美しいものに目がなかった。常識を逸脱した執着とも言えるそれに、ティキとナマエは何度も被害に遭っている。自分からナマエと子爵の結婚を持ちかけたくせに、いざ婚約となれば号泣して迫られたものだからドン引きしてしまったことは、未だにナマエの記憶に新しい。
身に纏うドレス以外の装飾品を脱ぎ去ったナマエは、おもむろにティキの名前を呼んだ。項にかかる髪を横へ流し、背中にあるドレスのチャックを見せつけるように白い首筋を晒す。

「ねえ」
「はいはい」

ナマエが言わんとしたことを理解したティキは、背中のチャックに手を伸ばそうとした寸前で止めた。このままナマエのお望み通りにドレスのチャックを下ろせば、用済みとばかりにすげなく撥ねつけられるだろう。
数秒の沈黙の後、ティキは口の端で小さく笑った。
差し出された無防備な首筋に唇を落とし、なめらかな肌を撫でるように舌先で擽った。ひくんと分かりやすく喉の奥が鳴ったことには気づかない振りをして、ナマエが無抵抗どころか声すら上げないのをいいことに、ティキはじれったい愛撫を緩々と続けていく。鏡越しに盗み見たナマエの顔は口と鼻から抜ける不規則な呼吸とは裏腹に、平静を装っていて与えられる刺激を必死に殺しているようだった。

「…………」
「あれ。無反応?」
「……驚いた。家族には欲情しないんじゃなかったの、お兄様?」
「うわ。今それ言っちゃう? 萎えるから勘弁してくんない?」
「元気だったら気持ち悪いでしょ」
「そりゃそうだ」

ナマエの挑発的な口ぶりはいつもと変わらず、拒まれている訳ではないと悟ったティキは、顎をすくい上げて薄っすらと開いた口を塞いでしまった。
窘められようが、咎められようが、行為をやめるつもりは最初からない。血の繋がりのない家族に劣情を抱くのは、正しいことなのか間違ったことなのかティキには判断がつかなかった。家族として大切なのか女として愛しいのかなんて、ティキにはどちらでもいいことだった。ただ、ナマエが知らない顔を覗かせる度に身を震わせる、激しい感情が何なのかを知っていた。
ふやけてしまいそうになった唇を解放し、ティキはナマエの肩口に顔を埋めながら鼻を鳴らす。知らない匂いがした。男の香水の匂いだ。一体誰の、なんて間の抜けた疑問を抱くほど馬鹿になれず、ティキはドレッサーのトレーの上に鎮座する指輪を薄目で見た。辛うじて持ち合わせていた倫理観から生まれ出た背徳感は、もはや興奮材料にしかならなかった。
確かにそれは、口にしてはならない甘美な味がした。

その地獄、甘美につき
20'1225

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -