「酸っぱい」

銀時が口を窄めながら文句を言うと、ナマエは蜜柑を剥いていた手を止めた。まるまると実った橙色の果実へ視線を注いでいた目が銀時を見て、咀嚼の度にモゴモゴと動く頬を見て、それから蜜柑を持っている手元へと戻っていく。
花形に裂かれた皮は既に五枚ほど積み重なっていた。中身はナマエに手ずから食べさせられ、既に銀時の腹の中だった。
蜜柑食べさせてェ、と万事屋へやってきたナマエに開口一番に甘ったれた台詞を吐いたのなら、彼女は新八と神楽が留守であることを口頭で確かめてから渋々とそれを承諾してくれた。和室の小さい炬燵に足を突っ込んで、カゴいっぱいに積み上げた蜜柑を囲んで。つるんと瑞々しい果物を物珍しそうに見つめるナマエに、銀時が「店の大掃除手伝ったらババアんとこに届いたお歳暮もらったんだよ」と言えば、「盗んだものじゃないならよかった」と失礼にも程がある答えが返ってくる。確かに、万年貧乏の万事屋に来客用のお茶請けといった気が利くものがあるはずもないが、それにしても物には言い方があるだろう。思わずついていた頬杖をがくんと崩し、ジト目で澄まし顔を睨んでみるものの、ナマエの意識はとうに銀時から手元の蜜柑へ移っていた。
寸分の狂いもなく同じ形になった蜜柑の皮を見止め、銀時が「蜜柑の皮剥きにどんだけ全力だよ」と呆れたように笑えば、ナマエに「愛情込めて剥いてるから美味しいでしょ?」と言われてしまいぐうの音も出なくなる。銀時は自分から強請ったくせに、今の状況がむず痒くて仕方なかった。
十中八九断られるだろうと思っていた軽口を聞き入れられ、あまつさえ口を開くように促されて手ずから食べさせられている。いわゆる『あーん』だった。こんな美味い話があっていいのだろうか、と甘い蜜柑を食べながら悶々と考える。ナマエは表立って甘えたり甘えさせたりすることを嫌い、お堅く可愛くない言動がデフォルトの女だった。そんな彼女からめいっぱい甘やかされる機会が降って湧いたように突然巡ってくるなんて、と一種の感銘を受けてしまうのも仕方がないことだ。調子に乗った銀時が生足の膝枕を要求してナマエに素気無く一蹴されたのは、言うまでもないが。
今年一年も真面目に生きたからだな、神様仏様ありがとう……、とらしくない相手に感謝を捧げていると、浮ついて蕩けてしまいそうになった舌をピリピリと鋭い刺激が襲う。きゅっと寄せられた眉根。ぎゅっと窄められた口唇。条件反射で分泌される唾液に紛れさせ、丸呑みするように喉を鳴らしてから、銀時は冒頭の言葉をつぶやいたのだ。
ナマエの手には一粒だけ減った剥き出しの蜜柑がある。銀時の顔をしわしわにさせた原因の蜜柑だった。ナマエはもう一粒を取り出し、無言のまま蜜柑の粒をしばらく見つめた後、ゆるゆると自身の口へ運んだ。ジッとその様を見つめる不躾な視線を気にも留めず、噛んだ途端に溢れ出る果汁を味わい、堪能して喉の奥へ流し込んでから率直な感想を述べた。

「美味しい」
「えっうそ。酸っぱくねえ?」
「……これが酸っぱいなんてとうとう舌が馬鹿になったのかしら」
「お前の舌も毒されてんな。相変わらず口悪ィぞ」

ナマエの手から乱暴にひったくった蜜柑を、今度は銀時みずから口の中へ数粒まとめて放り込んだ。食べられないことはない。世間一般的に言えば甘い部類なのかもしれない。けれど、今まで散々食べてきた蜜柑の方が熟れて甘かったものだから、自他共に認める甘党である自分は駄目になってしまったらしい。我が儘か! と新八の冴え渡るツッコミが銀時の脳内で披露されたが、この場にいない者に口を出す権利は当然なく、残像は雲散霧消した。
白いスジまで適度に取り除かれた剥き出しの蜜柑は、まだ半分ほど残っている。銀時はそれを一粒ずつ丁寧に取り分けると、にやにやと口元を緩ませながらナマエの眼前に差し出した。

「ほらナマエちゃん、あーん」
「せっかく剥いてあげたのに」
「いいからいいから。銀さんは新しいやつ食べるから」
「誰が剥くの?」
「そりゃお前だろ」
「……まったく」

言いながら大人しく餌付けされ、新しい蜜柑を剥き始めるナマエは、なんだかんだ銀時に甘かった。今ならさっきの蜜柑も美味しく食べられるかも、と心にもないことを思いつつ、銀時は捲れていた炬燵布団を深々と被り直す。師走の暮れに炬燵で手足を温めながら、恋人と蜜柑を食べる和やかな団欒。趣があるねえ、と呑気に独りごちる。

「やっぱり冬は炬燵と蜜柑だな」
「年寄り臭いわよ」
「あーあ。本当は愛しの恋人の膝枕がいいってんのに、どこかの誰かさんが全力で拒否るもんだから、大人しく炬燵で暖取ってんのになァ。毒舌で指から蜜柑の匂いがする女の人肌が恋しいなァ」
「銀時」
「……なんだよ」
「あーん」

差し出されたのは、蜜柑の粒だった。渋々といった調子で銀時が口を開けば、細い指先に摘ままれた蜜柑が口内へ押し込まれる。歯が薄皮を突き破った瞬間から爽やかな風味が口いっぱいに広がり、無意識のうちに「甘い」と味の感想を零す銀時に、ナマエは満足そうに笑っていた。
いつだってそうだった。ナマエが銀時の名前を呼ぶときは、主導権を握るときのものだ。うだうだとくだを巻く銀時を黙らせ、口と指先で骨抜きにするときのものだ。
昔は俺が振り回す側だったはずなのに、と銀時は過去を懐かしみ悔し紛れの溜め息を吐いた。

「……ナマエ、俺の扱い上手くなってねえ?」
「本当? どうしよう」
「待ってナマエちゃん。なんで困ってんの? 困ることなの? 銀さんの相手すんのそんなに面倒臭いの?」
「冗談じゃない。そんなことよりアイス食べたいな。買ってきて?」
「どこのマリーアントワネットだお前は」

この我が儘女王様が! と先程までの自分を棚に上げ、銀時は盛大にツッコミを入れた。話の脈絡も何もなく、突然アイスを欲して買いに行けと命令したところで、いったい誰が引き受けるというのだろう。
お願いを却下されたナマエはムッと顔を歪ませ、姿勢を正して勿体ぶった様子で口を開く。

「炬燵と言えば蜜柑とアイスでしょう」
「いやいやそんなの聞いたことねェよ。炬燵と言えば蜜柑といちご牛乳だろ」
「そっちの方が初耳だけど」
「つうかこのクソ寒いのに出歩くなんざ馬鹿のすることだろ。年の瀬に外駆け回んのはサンタクロースとガキ共に任せて、大人の俺たちは狭い炬燵の中で足つつき合ってる方がお似合い……」
「銀時」

いつだってそうだったと、分かっていたはずだったのに。たったの一言で、銀時の警戒心は容易く崩れ去ってしまった。ずるいな、とそう思う。ほとんどノーガード状態の無防備なところを、ナマエはいつだって掻っ攫っていってしまう。
数分前のことさえ学習しねェなんざどっちが馬鹿なんだか、と自嘲したくなった。

「じゃーんけーん」

ぽーん、とお決まりの音頭を取られ、反射的に出した手のひらに向けられたのは、晴れ晴れとした笑顔とピースサインだった。口元を引き攣らせながら広げた手を見つめている銀時に、ナマエが「よろしくね」と上機嫌な様子で財布を手渡して追い打ちをかけ始めた。敗者はいつだって勝者の言いなりなのだから、銀時は諦めたように押し入れにしまい込んだダウンコートとマフラーの所在を思い出し、ふっと息を吐くように笑う。
――ああ、また、負けてしまった。

蜜柑とバニラとそれから
20'1231

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