「また子」
「はい、姐さん」

凛とした声に名前を呼ばれ、自ずと居住まいを正す。
また子が『姐さん』と呼び慕う彼女――ナマエは、攘夷時代の鬼兵隊から総督である高杉につれ添う武士だった。同門の出だということは人づてに聞いたものの、事実はあずかり知るところではない。ナマエと高杉が男女の仲であることは確かだが、剣の腕としたたかさが災いして事情を知らない輩に妬み僻みの視線を向けられることも少なくない。
正直、そんな些細なことはどうでもよかった。分かるものだけが分かればいいと、そう思っていた。幹部の中でも最年少のまた子は周囲から気にかけられていた存在だったが、特に可愛がってくれたのがナマエだった。また子もまたナマエに懐いていて、有り体にいえば姉のように慕っていた。だからこそ、ナマエに対して高杉と同じように憧憬の目を向けてしまうのは、仕方がないことだった。

「晋助のこの後の予定は?」
「午後から春雨の幹部連中と今後の動向について会談。その後に一橋派の使いが来ることになってるっス」
「全部キャンセルして」
「……え?」

仕方がないことだった、はずなのに。
うっとりと彼女を見つめ、耳を澄ませていたまた子が、たちまち都合のいい夢から目覚める。目の前には大好きな姉代わりがいるのに、ナマエは心ここに有らずといった様子で、捲し立てるように次から次へと言葉を紡いでいく。

「万斉……が駄目なら武市。それも駄目なら私が出る。とにかく今日の晋助の予定は全部白紙にして」
「え? 本当にどうしたんスか?」
「どうせあちらの利益になることしか言わないから、首を横に振れるなら幹部じゃなくてもいい。……ああでも、それだとさすがにこちらのメンツが立たないかな。是が非でも万斉に行かせよう」
「あれ? 姐さん私の声聞こえてます?」
「私は自分の体調管理も碌にできない大将を寝かしつけてくるから、あなたは厨房でおかゆ作ってもらってくれる? それと今日は第七師団の団長は出禁よ。やかましいし構ってられないから」
「もしかして晋助様のお体の具合が……、って姐さん?! 寝かしつけるのに帯刀する必要あるんスか?! どういう意味で眠らせるつもりなんスか! ちょ、待ってください姐さァん!」

――人の話、全っ然聞きゃしねえ。
また子自身も高杉とナマエに盲目的な自覚はあるが、ナマエはそれ以上に高杉しか見えていなかった。スタスタと一切の迷いなく歩いて行くナマエを引き留めるも「止めないで。どうせ言っても聞かないから最初から実力行使に出るだけよ」と言われ、鬼兵隊の船内には「いやその前に姐さんが人の話聞いてェ!」とまた子の甲高い叫び声が響き渡った。





ナマエから布団で寝るか墓で眠るかの二択を迫られた高杉は、言われて初めて自分が体調を崩しかけていることに気がついた。いつもそうだった。本人より余程高杉の身体に関心があるナマエは、一目で違和感や不調を看破してしまう。強引な手に出るのはナマエ曰く「口で言ったところで聞いてくれないから自分に素直になってるだけ」らしい。いつの話を根に持っているのか知らないが、心当たりがあるだけに高杉も強く出られないでいる。
それにしても、仮にも病人相手に凶器片手に脅迫しようとは恐れ入った。腰元の刀の柄に手をかけながら高杉に大人しく自室で寝ろと主張するナマエを、後ろから半泣きのまた子が必死の形相で止めていた。女性幹部二人の茶番ともいえる奇行にその場にいた隊員がざわつき始め、収拾がつかなくなったところで高杉が隣の万斉に視線を向ければ、彼は彼で「風邪は引き始めが肝心でござる」と見当違いの言葉を返してくる。もはや高杉に選択肢は残されていなかった。
否応なくナマエが望むままに休養を受け入れ床に臥せっていたが、二日も経つと気だるさと喉の痛みは治っていた。寝飽きたと言わんばかりに布団を跳ね退け、立て膝で座ろうが胡坐をかこうが昨日までの小言は飛んでこない。ナマエの目から見ても高杉の体調は回復したらしい。畳の上に置いた座布団に坐するナマエを横目に、高杉はくつくつと喉を鳴らし笑った。

「俺ァ随分と物騒な女を掴まされちまったらしい」
「何をいまさら」
「過去の自分に教えてやりたいね。てめェが選んだ女は大将に刃を向けて脅すやつだってな」
「脅したなんて滅相もない。手っ取り早くお願いしただけよ」

ああ言えばこう言う。口も出るし手足も出る。ナマエという人間を表現するのにこれ以上ふさわしい言葉はなかった。よく口が回る様はどこぞの誰かを彷彿とさせるが、苛立ちを覚えない理由はナマエが高杉を馬鹿にする気持ちが一切ないからだろう。とはいえ、かしましい口はさっさと塞いでしまうに限る。
ふいに高杉がナマエの名前を呼び、手招く。その意図をつかみかねたナマエが怪訝な顔をしたまま、緩慢な動作で腰を上げる。

「何? まだ煙管は駄目よ」
「今日はこっちでいい」

素直に寄ってきたナマエを片腕で捕まえ、親指の腹で形のいい唇をそっとなぞる。感づいたらしいナマエが目をまるく見開いたかと思えば、次いで眉間に皺が寄せられた。なぜか不服そうに見える表情に疑問を持つ前に、ナマエの細い指が高杉の薄い唇をつつき返してくる。

「……私の口はそんなに安くないわ」
「あ?」
「好い人の身体の一部を嗜好品と同列に扱うなんて随分と薄情ね、大将?」
「……相変わらず減らねェ口だ」
「素直になってるだけよ」
「分かったから、もう黙れ」

今度こそ重なった唇は、声音も吐息も何もかもを塞いでしまった。ナマエの口に生温かい舌を突っ込んで、届く限りの手当たり次第を舐め尽くして。くぐもったか細い声が喉の奥から鳴るたびに、高杉は無意識のうちに笑ってしまいそうになる。口うるさいナマエが口付けて抱き締めているときだけ静かになるこの瞬間が、たまらなく好きだった。
暫く堪能した後に解放すると、力が抜けた身体がしなだれかかってくる。少しはしおらしくなったかと思いきや溜め息を吐いて早速の苦言を呈するナマエを、高杉は嘲るように鼻で笑ってやった。

「介抱にきてるのに移ったらどうしてくれようかな」
「それこそいまさらだろ」

楚々と暴かれよ
21'0202

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