差し出した湯呑の白湯はあっという間に空になった。すぐにおかわりが要るかどうかを尋ねたのだが、無言のまま首を横に振られてしまう。返事の代わりに畳まれた羽織を広げ、胡坐をかく彼の肩にかけたのなら、鼻を擽る独特の苦い香り。紫煙が染みついたそれだけがあのときから何も変わっていないように思い、私は唇を噛んだ。
一瞬だけ手の甲で触れた首筋は、酷く冷えていた。色白の肌どころか青褪めている顔色は優れず、開いた右目は濃い隈が浮かんでいる。いま何日だろう。あと何日だろう。黄泉平坂をさ迷う亡霊のような彼を見つめなければならないのは。

「……左足、どうした」
「え、」

突然の問いかけに思わず反応が遅れた。畳の上で正座の姿勢を保ったまま、馬鹿正直に左足首の方へ手を滑らせれば、短い舌打ちが飛んでくる。
待ってください、何ともないです、と上っ面の言い訳すら舌がもつれてしまい話にならない。彼の冷たい手が隠そうとした足首を掴み、私の身体を強引に引き倒した。喉の奥から引きつった悲鳴が出る。目を白黒させていると容赦なく足首を持ち上げられ、重力に従い捲くれ上がる裾を必死に押さえようと足掻くも無駄だった。露にされた素足が一気に粟立つ。

「やっ、総督……、待って!」
「いつ痛めた」
「…………」
「もっと恥ずかしい格好させられてェのか」
「……三日前の、星芒教の施設を爆破したときに」
「ほォ。隠し事すんのが随分と上手くなったもんだ。……そんなに俺の心配は要らねェか」
「ち、ちが……っ」

人差し指と中指を足袋の中に突っ込まれる。するすると剥ぎ取るようにそれを脱がされて、痛めて腫れ上がった患部に舌を這わされて。手は氷みたいに冷たいのに、唾液でぬるつく舌は生温かった。
生きている。息をしている。この人はちゃんと生きて、二本の足で歩んで、侍のまま憂き世に齧りついている。私はいつの間にか泣いていた。悲しいから泣くのか、嬉しいから泣くのか、それさえもわからない。心臓を締めつけられるような痛みと痺れが、ジンジンと疼いて止まらなかった。

「ナマエ」

小さく名前を呼ばれたかと思えば、彼は掴んでいた左足首を解放し、蹲ってしまった私の上に覆いかぶさるように身を屈めた。閉じた左目を覆い隠す長い前髪が流れ、開いた右目が真っ直ぐに私を見下ろした。
年甲斐なく涙を溢れさせる目を見つめ、ふっと息を吐き口元をゆるませる。やさしく弱々しい薄い笑みは、しゃがれた声の大きな赤ん坊をあやすようだった。
声が震える。手が震える。ふらふらとさ迷い歩いた果てに届かないところまで落とされてしまいそう。無意識のうちに伸ばした手が、派手な羽織を握っていた。黙りこくる彼に縋りついても、泣きついても、得るものなんて何一つないのに。

「そ……、総督」
「…………」
「私もつれて行って。……私も、そっちに行きたい」
「…………」
「駄目なら、約束してください……。もう、それ以上は何も望まないから……それでいいから」

鬼になれと言うから、がむしゃらに戦った。死ぬなと言うから、仲間の屍を越えて生き残った。それなのにもう「俺のために」鬼になれとも、死ぬなとも、言ってくれなくなってしまった。
いつだったか、彼が咳き込み吐いた血液を舐めようとしたことがあった。不死の回復力を得る可能性がある、人の理を外れた力を持つそれを。もう少しのところで感情を露にした彼に頬を打たれ、口にすることこそ終ぞ叶わなかったが、いくら叱咤されようが怒鳴られようが私は本気だった。
同じところに行きたかった。果てのない世界をどこまでもいつまでもついて行きたかった。そんな子供染みた馬鹿馬鹿しい願いを、彼は容易く粉々に砕いてしまう。
あのとき――彼が不死になったときから決して背中へ回されなくなった腕が、私から彼を遠ざける。

「悪いが……俺は守れねェ約束はしない主義なんでね」

ああやっぱり、あのとき口にしてしまえば良かった。
もう一緒にいられないと言外に告げられるのは、彼らしい優しさゆえだった。私のために言ってくれる言葉であるはずのそれが、私にとっては無慈悲でむごたらしい。そうであっても、そうだったとしても。恋だとか愛だとかそういった類の憂き世の言葉が似合わない、焦げつく痛みにも差し込む痺れにも似た感情の名前を、他の誰でもないあなたに教えて欲しかった。

毒を食らわば地獄まで
21'0202

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