「銀時くん」

呼び止められて振り返った銀時は、声をかけてきたナマエを上から下まで見てから一点で視線を止めた。華奢な腕に抱きかかえられた数枚の白い羽織は自分の戦装束で、戦闘の際に血と泥で汚してしまった折に洗濯を頼んでいたことを思い出す。あてがわれた部屋に置いておけばそれで済むものを、わざわざご丁寧に持ってきてくれたらしい。短く礼を言ってナマエから羽織を受け取って、すんと鼻を鳴らしてみるとお日様の匂いがした。
一仕事終えた風な表情をする幾分か背丈の低い女を、銀色の髪に手を突っ込んでガシガシと掻き回しながら、銀時は内心で溜め息を吐いて密かに盗み見る。ナマエは陣営の雑用係でも、ましてや飯炊き女でもない。講武館出身の高杉晋助や桂小太郎と時期同じくして松下村塾の門下生となった、相弟子の一人だった。一旦戦地へ赴けば身の丈に合わない大刀を手に天人らの首を刎ねて、腹を突き刺して。布地本来の白々しさを取り戻す洗濯と真逆である、血で血を洗う攘夷戦争の渦中へその身を置いている。
いくら快く引き受けてくれたとはいえ、洗濯なんか頼むべきじゃなかった。銀時は過去の自分へ舌打ちしたい気分だった。ナマエを女としてつれて来た訳ではない。当然、ナマエも女としてついて来たはずもない。分かっていたのにナマエが笑顔と共に申し出てくれたものだから、ついつい淡い下心を含んで「じゃあ頼むわ」と甘えてしまった。
誰彼に言われずとも知っている。惚れた腫れたにうつつを抜かす暇なんてないことも、自覚も認知も不十分な恋路に強大な障害が待ち構えていることも。それなのに。思わず口を衝いて出てしまった言葉は、かかわり合いを避けるどころか懐に入れるために手招いていたので、銀時は完全なる自業自得ながら頭を抱えたくなった。

「おまえさァ……いい加減に俺のことくん付けすんのやめてくんない? ガキの頃から知ってるやつに他人行儀にされると変にむず痒いっつーか、調子狂うっつーか……」
「……!」

ぱあっと晴れやかに顔を輝かせるナマエに、銀時は「んん」と喉を鳴らして唇を引き結んだ。チクショウかわいい。絶対に口に出すことのないその言葉を、強引に呑み込んで腹の底に閉じ込める。

「じゃあ今度から呼び捨てで呼ぶね、銀時くん……」
「……え、いやあの、俺の話聞いてた?」

銀時としては今直ぐにでも呼び捨ててくれて構わないというのに、ナマエは目の前にいる当人など放ったらかしで、どことなく恍惚とした表情で申し出を噛み締めている。
恐らくは嫌われてはいないだろうし、好かれていると感じることすら多々あるものの、決定的な決め手に欠ける理由がときどき見せる曖昧な態度だった。現状に満足しているゆえの牽制なのか、或いは無意識のうちの振る舞いなのか。どちらにしても絶対の自信がある訳でもなく手をこまねくしかない銀時にとって、近づいてきたかと思ったらついと身を翻してしまうナマエの言動には、煮え切らない気持ちを抱えるほかなかった。
そんな取り留めのないことを一人で悶々と考えていると、砂利を踏みつける二人分の足音が聞こえてきた。吐息とそう変わらない音量ながらもしたたかに耳朶を叩く「へッ」と小馬鹿にするような声音の笑い方が鼻につく。

「飽きもせずに猫被ってやがる。見てるこっちが恥ずかしいねェ」
「全く同感だな」

言い方さえもこちらを煽っているのだろう嫌味を吐いた男二人は、高杉と桂だった。銀時が「出たよ」と萎えた表情を浮かべる一方で、ナマエは先程までの笑みを削ぎ落として「げっ」と露骨に顔を顰めていた。
にやにや、にやにや。そんな効果音が聞こえてきそうな顔で嘲って笑う彼ら二人は、擦れ違い様に突っ立ったままの銀時の体をぞんざいに押し退けてくる。そして示し合せたようにナマエの両側に回り込んだかと思えば、片や右肩を肘置きのように腕を置いて、片や左肩を軽く叩くように手を置いた。イラ、と分かりやすくナマエのこめかみに青筋が立つ。

「……何しに来たの、高杉にヅラ」
「ヅラじゃない小太郎お兄ちゃんと呼べ」
「俺は晋助お兄ちゃんでいい」
「絶対嫌」
「口の利き方がなってねェ。あの頃の可愛い妹分はどこに行っちまったんだ?」
「おまえには女子の前に武士として恥じぬように教え導いたつもりだったが、年長者を敬うことすらままならんとは。一体いつからこんな跳ねっ返りに……」
「誰が妹で誰が兄よ! それに教え導いてくれたのは松陽先生でしょ」

銀時の目の上のたんこぶ――もとい、高杉と桂はこうしてことあるごとにナマエの兄貴分を気取っては本人からうざがられていた。確かに、当時を思い返すと松下村塾に揃って入門したばかりの頃は、そこそこ人見知りだったナマエが二人のどちらかの後ろをついて回ることが多かったように思うが、今となってはそんなこと遠い過去の話だろうに。年下の幼馴染みを妹分であると自称する兄擬き二人は、ナマエを大切にしているゆえの助太刀なのか、銀時を気に入らないゆえの邪魔立てなのか、或いはその両方なのかは定かでないものの、ナマエと銀時がひとたび口を利こうものなら目敏くちょっかいを出してくるのだ。
当然、そんなことが面白いはずもなく。不機嫌な様子をあらわに銀時は耳穴に小指を突っ込みながら「けっ」と吐き捨てるようにつぶやいた。

「相変わらず仲いいなテメーら」
「べ、別に仲良くなんて……」
「分かってねェな銀時。俺たちゃ所詮前座だ」
「ああ。こいつの本命は別にいるということだ」

何言ってんだ、と高杉と桂に向かって怪訝な顔をする銀時とは裏腹に、両隣から指し示されたナマエは唇を引き結んで黙ってしまった。
高杉にけしかけられるように背中を叩かれて、桂に促されるように「ほら」と声をかけられて。やがて意を決して仄かに赤らんだ顔を上げると、ナマエはまっすぐに銀時を見つめてくる。大きくまるく開かれた彼女の双眸がどことなく潤んでいる気がしたものだから、からからに乾いた喉をごくんと鳴らした。

「……わ、私が本当に好きなのは――」
「好きなやつは?」
「好いてるのは?」
「〜〜っ、もう! 馬鹿二人は黙ってて!」

ほんの数秒前までの緊張感はどこへやら。高杉と桂の両者の手によって頬を摘ままれて頭を撫で回されるナマエの姿を、銀時は口元を引きつらせながら眺めていた。珍しく自らが火付け役になってくれたのかと思ったのもつかの間、馬鹿二人には銀時とナマエの関係を進めさせる気はこれっぽっちもないらしい。強大な障害を前に、なす術などなかった。
俗に言うそれらしい雰囲気が霧散して騒々しくなってしまった現状に、銀時は肺の底から息を吐く。この状態から進展しねェの二人の馬鹿どもせいだろ。頼むから馬に蹴られて死んでくれ。そんな叶うはずもない願いを込めて天を仰いだところで、いつもと変わらないお日様が輝いているだけだった。

第三次思春期
21'0320

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