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何杯目のアルコールなのか分からない酒を呷りながら、剥がれそうになる「安室」の仮面に、降谷は人知れず毒づいた。ナマエが気に入っている店だと言うバーのカウンターで乾杯、と互いのグラスを重ね合ったのが三時間ほど前。事を進めるため、酔い潰れたナマエをあわよくば……、と期待するのは浅薄だったらしい。侮った訳じゃないが、ナマエのペースに乗せられ次々とグラスを空け、瞳の奥が熱くなった降谷を余所に、素知らぬ顔のままアルコールを飲み続ける姿を見ると、数時間前の自分を殴り飛ばしたくなる。何が「お酒はちょっと強いんです」だ。心の中の悪態が当事者に至ることは叶わないのだけど。
モヒートが入ったグラスを弄ぶ降谷の横で、ナマエは琥珀色の液体を飲み込んでいる。傾けられたグラスの重力に従うまま、とろみのある液体が口の中へ消え、残されたチェリーが底に転がった。女王の呼び名がついたカクテルは普段のナマエには似合わない、子どもが背伸びをするようなものだ、と笑い飛ばすことが出来るのに。薄っすらと笑みを浮かべ機嫌良くアルコールを楽しむ様子は中々、様になっている。酒好きとは知らなかった、と思いながら、降谷は減らないグラスの中身を見た後、勢い良くグラスを傾けた。
カッと燃えるような、焼けるような。嚥下した途端、喉の奥と胃が熱を持ち、再び投下された燃料に頭がふわふわと宙に浮きそうになった。意識はある。しかしながら、酔った感覚を味わうのは随分と久しかった。「安室」のときは初めてかもしれない。僕の恋愛対象は手強いらしい。
僕の、おれの、好きな女性が、気だるそうに項垂れる安室の肩に優しく触れる。

「――安室さん!」
「……はい?」
「顔が真っ赤ですよ。そろそろやめた方がいいんじゃ……」
「ああ……。じゃあ、最後はナマエさんが選んでくれますか?」

ナマエを気遣った台詞だったのだけど、「安室さんは駄目ですよ」と断られてしまった。ええ、と不服そうな声を上げる安室を余所に、ナマエは「彼にお水をお願いします」と早々に安室のオーダーを終えていた。
悔しい気持ちと有り難い気持ちが半々のまま、安室が出された水を飲んでいると、横から視線を感じた。ナマエと目が合う。「なにか?」と軽く笑む安室をジッと見つめたナマエはバーテンダーを呼び止め、カウンター奥の棚に陳列する酒瓶を指差す。

「バーボンをロックでお願いします」
「……」

差し出されたグラスの氷をからんからんと鳴らしながら、バーボンを飲むナマエはやっぱり上機嫌だった。安室は揺れる琥珀色を見る。カクテルの女王・マンハッタンのベースはライウイスキーとベルモット。飲み終えた後にオーダーされたバーボンウイスキー。と或る秘匿名を思わせたいのなら随分と大胆だと思った。まさか、と思いながら疑いを暴きたくなるのは職業病なのかもしれないが、酔いに酔った頭はいつものように回らない。
ふふふ。相変わらず楽しそうなナマエが、今度はカウンターをトントンと爪弾く。

「安室さん、普段は飲まないんですか?」
「僕も強い方だとは思いますが……。ナマエさんが酒豪なんです。可愛らしい女子大生だと思っていたら、随分と辛口のようですし」
「最近、知人に勧められたのが癖になっちゃって。嫌いですか?」
「好きですよ。バーボンは特に……ね」

カウンターの上にある白い手を覆い隠すように手を重ね、指と指の間をぎゅっと握り込んだ。微かな反応を示すナマエに気を良くし、ニコニコと笑い掛けると――意外や意外。蕩けるような笑みを向けられ、安室は面食らった。
普段からどちらかと言えばやわらかい雰囲気の女性だが、目元は緩んでいるし、口調は甘ったるい。見た目の違いがあまり見られないものだから惑わされていた。ある程度は酔っているのかもしれない。それならば、と安室が当初の目的を思い出したのと同時に、ナマエが再び口を開く。

「ここ、いいところだと思いません?」
「ええとても。今日はちょっと飲みすぎちゃいましたが、常連になっちゃいそうです。連れて来てくれてありがとうございます、ナマエさん」
「うそつき」

笑顔のまま、ナマエが同じ言葉を繰り返す。うそつき。
誰が? ……僕が?

「……え?」
「知ってるんですよ、わたし。前にここへ来たことあるでしょう?」
「人違いじゃないですか? 僕は本当に……」
「やっぱり、安室さんはうそつきだ」

ナマエの唇が無音のままに動く。せんしゅうのきんようび。先週の金曜日。安室は思わず舌打ちしそうになった。
ナマエの言葉の通り、安室が店に来たのは二度目だった。先週の金曜日に、クライアントと取引きのため、奥にある個室を使った。問題は名乗った名前が安室透じゃなく、バーボンだったということだ。店員への口止めを含め、アフターケアを組織の構成員に任せていたものだから、油断していたのかもしれない。一般市民の、女子大生の、ミョウジナマエが安室透の裏の顔を知っている訳がない、と。
まずい、まずい。想定外だった。やっぱり酒は呑まれるものじゃない。
握った手に力を籠める。圧迫し続けたのなら折れそうに細い普通の女の指。煽られ翻弄され、可愛がってくれた礼はするべきだと思うし、逃すつもりは更々ない。ナマエの目に映る自分の、瞳の奥に揺れる熱がアルコールなのか、一種の情欲なのか、安室には分からなかった。

「安室さん?」
「場所を変えましょうか。もっと素敵なところへお連れしますよ」
「……」
「駄目?」
「……いいですよ」

カツン。ヒールを鳴らしながら、ナマエが椅子から飛び降りたときにふわり揺れたスカートは、出会った日の物と同じだった。

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