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――発達した低気圧の影響により、不安定な天気が続いております。今日は雨模様の一日になるでしょう。
――傘を忘れずにお出かけください。





からんからんと入店を告げるベルを鳴らしながら扉を開くと喫茶店の中は随分と賑わっていた。肩に乗った雨粒をマットの上に落とすように払い、店内を軽く見渡したのなら、目線が合ったウエイトレスが会釈とお決まりの常套句を口にする。

「お一人様ですか?」
「いえ。後から連れが来るので、テーブル席にしていただきたいのですが……」

悪あがきを言いながら、安室は数時間前の自分を少しだけ恨んでいた。水曜日の午後二時過ぎ。使い勝手の良い駅前の喫茶店。常ならば人が疎らのはずの店内は、雨が降り始めた途端に利用客が増えることを知っていたのに。今朝の天気予報を聞いたときは、傘を持って行かなければ、と抜けた所感しか思い至らなかった。
クライアントと約束した待ち合わせの時刻まで三十分ある。とは言え、周辺の店をしらみつぶしに探すとなると楽観視は出来ず、席に空きがあることを期待をしていたのだけれど。安室の申し出に、ウエイトレスが申し訳なさそうに頭を下げた。

「申し訳ございません。テーブル席が満席でして……。暫くお待ちいただけますか?」
「そうですか。では今回は結構で――」
「あの」

安室を呼び止めたのは若い女だった。入り口から一番近い、窓際の席。テーブルの上には角が丸くなった氷が入ったグラスとチョコレートソースが付いた食器が一組。手荷物を簡単に片付けながら、安室に微笑み掛ける。

「ここ、良かったらどうぞ」
「……良いんですか?」
「ちょうど食べ終わったんです。他にお客様は居ないみたいだから大丈夫ですよ」

ね?、と彼女が伝票を手渡すとウエイトレスは肯定するように頷き、片付けが終わったらお呼びしますと安室に断りを入れた後、再び彼女に向き直った。「いつもありがとうございます」「今日のケーキも美味しかったです」と言葉を交わすところを見るに、常連客らしい。歩く度に揺れるシフォンスカートと細身のヒールがよく似合っている。
親切な女性だと思った。食べ終わったと尤もらしい理由を言っていたが、彼女がスケジュール帳やペンケースと一緒に、栞を挟んだ新書をバッグへ突っ込んだことを、安室は見逃さなかった。

「ありがとうございます。助かりました」
「困ったときはお互い様ですから」

会計を終え、傘を手に取った彼女に話し掛けると、お礼を言う安室に「とんでもないです」と手を振った。嫌味ったらしさを微塵も感じさせない姿勢に少なからず好感を持った安室は、咄嗟に彼女の手を掴んでいた。

「あ、あの……?」
「実は自分、米花町のポアロという名前の喫茶店で働いていまして……。よかったら今度、店に来てください。今日のお礼に美味しいコーヒーをご馳走しますよ」

僕の名刺です、と茶色のカードを手に持たせると彼女は安室の顔と手中の名刺を交互に見た後に「ありがとうございます……?」と戸惑ったように言った。ほんの少しだけ強引だったかもしれないと数秒前の言動を恥じながら、安室が視線を外した途端に、先程のウエイトレスから声が掛かる。テーブルの片付けが終わったらしい。
席へ案内される安室を横目に、彼女は受け取った名刺をバッグのポケットに入れ、ご馳走様でしたと言いながら喫茶店を後にした。からんからんと扉のベルが鳴る。後ろ姿を追い駆けるように窓の外に目を遣ったのなら、傘を差した女が雨の中へ消えて行った。

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