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――ひとりでここへ来い。
要件と住所のみが記載された淡白なショートメールに従ったナマエが行き着いた場所にあったのは、洋館の豪邸だった。東京都米花市米花区米花町二丁目二十一番地。表札の工藤。目の前の豪邸が沖矢昴の居候先である、ミステリー小説作家の工藤優作の家だということは簡単に予想が出来た。
挨拶すらそこそこに書斎に通されたナマエは、本の物量に思わず圧倒される。高い天井を仰ぐように上を見上げていると、背後からフッと短く笑われたものだから、咳払いをしながら姿勢を正す他なかった。「随分と可愛らしい真似をするんですね、ミョウジさんは」と沖矢昴の声色で言われたのは、完全に揶揄われているのだと思う。チョーカー型の変声機はとっくの昔に首元から外されているのに。
ナマエが赤井を睨みつけると、細められた目の奥からグリーンを覗かせた赤井が「冗談はこれくらいにしよう」と前置き、本題に入る。遊んでいるのは赤井さんだけですよ、と物語るナマエの視線を黙殺し、赤井から告げられた事実に、ナマエは目を見開いた。

「楠田陸道が拳銃自殺したことを知られた? どうして」
「キャメルが口を滑らせたらしい」
「キャメルさん……。腐った林檎がジョディさんに変装して油断を誘ったんでしょう?」
「あの二人には荷が重かったようだ。俺の正体を突き止められるのは時間の問題だろう」

悠々と椅子に腰掛け、足を組んでいる目の前の男は全然、焦っているように見えない。それは絶体絶命の危機に違いないのに、余裕すら浮かぶ不敵な笑みは何なのだろう。
ナマエには知り得ない、危機を好機に変える手段が赤井にはあるのだろうか。それとも。

「あなたのシャーロック・ホームズはどうするつもりなんですか?」
「ボウヤか。勿論、迎え撃つさ。君にも協力してもらう」
「……わたし?」
「射撃の腕は落ちていないだろうな」
「あなたには負けますよ」

赤井がナマエに突拍子もないことを言い出すときは大抵、碌でもない作戦に巻き込まれるときだと相場が決まっている。最後に銃を構えたのは数週間前だし、トリガーを引いたのは本国に居たときだし……と心の中で言い訳を並べ立てるナマエを一蹴するように、赤井は小さく笑った。嫌な予感がする。
詰まるところ赤井の作戦を要約すると「来葉峠でカーチェイスを繰り広げることになるだろうから、後続車のタイヤを撃ち抜いてくれ」だった。相変わらず無茶苦茶を言う。
エックスデーの予測日時、当日のコース、連絡し合うためのインカム等々。赤井と、恐らくは彼が称賛する小さな名探偵が考案した作戦を聞きながら、知らず知らずのうちに眉間に皺を寄せていたらしいナマエを見て、いつの間にか立ち上がった赤井がナマエの頭をぐしゃぐしゃと撫でつける。見た目は東都大学工学部の院生なのに、言動と瞳の色が赤井秀一そのものだから、ナマエは思わず呆けてしまった。

「そんな顔をするな。失敗すれば俺やジョディ、キャメルが危険な目に遭うだけだ」
「……責任重大じゃないですか、それ」

嫌だなあと言いながら、諦めたような笑みを零すナマエに、赤井はUSBメモリーを手渡した。先程、口頭伝達された作戦の詳細が入っているのだろう。今日中に頭に叩き込んで破棄しなければ、と今夜の予定を組み立て始めると――不意に。視線を感じて顔を上げる。
目の下に濃いクマを浮かべた深緑の双眸がこちらを真っ直ぐに見つめていた。

「ミョウジ。……君の仕事はここまでだ」
「分かってます」

最初から決まっていたことだ。ナマエが来日した理由は「バーボンの正体を暴くこと」だった。偶然、バーボンのもうひとつの顔である安室透に出会ったものだから、当初の計画とは違う立場から接触する羽目になってしまったが、結果的には良かったと思っている。運命のエックスデーに間に合わない、なんて目も当てられない間抜けにならずに済んだのだ。
今回は最重要機密である「赤井秀一の死を黒ずくめの組織に疑われないようにする」ために、命令に従うだけ。そして。仕事を終え、元居た場所に帰るだけ。ただそれだけ、なのだから。

「バーボン――降谷零の件に片がついたら、アメリカへ帰国します」

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