※22巻軸


複数の部署合同の大規模な飲み会――という名の今年の総決算である忘年会。へべれけになった上司たちに向けたお世辞と忖度が飛び交う一次会を終え、ストレスから解放された若手メンバーが生き生きと杯を重ね合う二次会へと突入した。
フフフ、ハハハ、なんて上品な笑みを携えながら恵比寿様のラベルがついたビール瓶を傾けていたアイツもコイツも、今やジョッキを片手に一気飲みコールの真っ最中だ。酒を覚えたての大学生かよ、と呆れ返る俺はどうやら少数派のようで、周囲は興に乗じて煽っている。いくら騒ぎ立てていようが、いくら馬鹿やっていようが。そんな些細なことは全然気にならないし、正直今はそれどころではなかった。
ワンフロア貸し切りの、座布団が散乱した座敷の一角。一次会の席運は絶望的で直属の上司に囲まれてしまったから、酒と料理を楽しむ気持ちも消え失せ、例に漏れず年長者の介錯に徹底し続けた。入社五年以内のメンツを集めた二次会で、今度こそ飲むぞと意気込んだ直後に、「隣失礼しまーす」と間延びした声が降ってきて。咄嗟のことに碌な反応ができなかった俺がドギマギと片言で「ミョウジさんっ?」と言えば、ミョウジさんは可笑しそうに笑いながら「ミョウジだよ。一緒に飲ませて」と言ってタイツに包まれている脚を座布団の上で折りたたんだ。一次会で帰る選択肢はなかったものの、二次会に参加して本当に良かった。
ちまちまとつまみの茶豆を剥いて食べている俺の隣で、ミョウジさんが「わぁ」と驚いたような心配したような声を上げる。まんまるな目を瞬かせるのも、口を手で押さえる仕草すら可愛い。最高のポジションだ。視線の先を見るとミョウジさんと仲が良かったと記憶している営業部の女エースが、ストッパーが外れたようにけらけらと笑ってなみなみと注がれたビールを胃袋へ流し込んでいた。

「酔ってるなぁ。明日休みとはいえ大丈夫なのかな」
「そうですねぇ。恥ずかしいんであんまり大声出さないで欲し……、ミョウジさん?」

同意して、ついでとばかりに小さな愚痴みたいなものを吐き出すと、ミョウジさんの視線がいつ間にかこちらに向いていることに気づく。本人にその意図があろうとなかろうと、じい、と真っ直ぐに俺を射抜いてくる視線は心臓に悪すぎる。表情もいつもよりゆるゆるで、雰囲気もふわふわと柔らかくて。少なくとも俺はミョウジさんに下心を含む好意を持っていて、知らず知らずのうちに目で追っている存在であるのに、こんな風に見つめられるとどうしたらいいのか分からなかった。
濡れた唇を尖らせたミョウジさんが、子供っぽく不服を唱える。

「なんで敬語なの?」
「だ、だって」
「だっても明後日もない! 中途入社でも同い年なんだからいいでしょぉ?」
「…………ミョウジさんもう酔ってる?」
「んふふ」

めちゃくちゃ可愛いなぁ、でも彼氏いるって噂なんだよなぁ、と初めて見たミョウジさんの酔い姿に分かりやすく胸をドキドキと高鳴らせながら、俺は口の中に溜まった唾を呑み込むためにグラスを呷った。キンキンに冷えたビールが体内をめぐって、けれどアルコールだから冷やされるだけではなく湧きたてられる熱に顔を手で扇いでいると、ミョウジさんが感化されたようにつぶやいた。

「暑くなってきちゃった」
「ジャケット脱いだら? そういえば今日はいつものマフラーしてなかったけど……」
「マフラー?」
「黒いチェックのやつ」
「ああ、今日家に忘れてきちゃって。他人の持ち物なんてよく覚えてるね」
「え?! そうかな、オシャレだったから目についたのかも……」

しまった、失言だったかも、と焦る間もなく、静かにミョウジさんが俺の左肩に凭れ掛かってきたから思考が止まった。混乱したままの頭で少し視線を落とせば、艶のある髪の毛が見えて、さらに訳が分からなくなってしまう。ミョウジさんの頭の重みだとか、服越しの微かな感触だとか、うやむやに呻くような囁き声だとか。そういったものに全神経が集中してしまって、俺は堪らなくなって悶絶しそうになったのをなけなしの理性で押し留め、いたって冷静を装って会社の同僚で然るべき一声をかける。

「ほんとに酔った? 大丈夫?」
「たぶん平気だとおもう。でもこういう雰囲気で飲むの久々だから回るの早いなぁ。いっきに眠くなってきた」

ごめんね、と言いながら頭を元の位置に戻そうとしつつ力が入らない様子で、ミョウジさんはいよいよ本当に酔っぱらったみたいだった。
俺とミョウジさんの状況に気づいた周囲からの目が生温かいし、相変わらず重量がかかった左肩は緊張しっぱなしだし、ぐるぐると良くない方向へ思考が働いてしまいそうになる。
どうしよう、ミョウジさんが、でも、でも……! とあらぬことを考え始めた脳が「ナマエ」と知らない声を捉えて我に返った。やや高めの、けれど女にしては低い男の声。

「…………かずとら?」

いったい誰、と俺が口を開く前にミョウジさんが上を向いた。さっきまでの気怠さなんて嘘のように、声を聞いた途端にパッと跳ね起きたミョウジさんの視線の先には、バングカラーでロン毛の男が立っている。

「な、なんでいるの?」
「はぁ? 携帯見てねーの?」
「えっ、ごめん、見てない」
「一次会で帰るっつって出てったくせに二次会行くとかふざけたメール送ってくるから回収しに来たんだよ、この酔っぱらい」
「べつに酔ってな――……んうっ!」
「こんなウルセーとこで欠伸してんの見えてんだよ。それ巻いたら帰るぞ」

心の底から呆れたように盛大な溜め息を吐いた男が、自身の首に巻いていたマフラーをミョウジさんの顔に投げ渡して――俺は天地がひっくり返るような衝撃を受ける。だって、その黒いチェックのマフラーは、普段ミョウジさんが着けていたものだったから。突然現れた男とミョウジさんのいかにもな会話を聞かずとも関係性は明け透けにされていて、くらくらと眩暈がした。
いつの間にか静まり返った四方八方から突き刺さる視線に構わず、男がミョウジさんの手を掴んでさっさと帰ろうとするのを、ミョウジさんが「待って、お金払うから」と言って引き留める。よたよたと壁伝いに幹事の方へ向かうミョウジさんの背中をぼうっと見送っていると、男から「なあアンタ」と曖昧な呼び方で声をかけられて肩を露骨に震わせてしまった。ほとんどいない者として扱われていた気がするのに、急にどうして。嫌な予感というものは図らずも的中してしまうもので、俺は「なんですか」と謎の威圧感があるその立ち姿を見上げる。
ニコ、と。効果音がつくほど朗らかな顔で笑いかけられ、つられてへらりと口元が緩んだのもつかの間、背筋を走ったうすら寒いものに酔いが一気に醒める。俺の倍以上あるんじゃないか? と疑うほど大きな瞳が、欠片も笑っていなかった。

「アイツが世話になったな。そんじゃ後よろしく」

ひらひらと手を振った後、男が背を向けた拍子に靡いた髪の隙間から、黒い模様のようなものが覗いてひゅっと喉が閉じていくのを感じた。もうこれ以上、何も見たくない。知りたくない。
すっかり注目の的となってしまった二人が立ち去った後、「なにあれ! 超イケメンじゃん!」「ミョウジちゃんやるぅ〜」「噂の彼氏ちょっと危ない系かぁ」「つーか俺思いっきり睨まれたんだけど……」とコール以上の盛り上がりを見せる座敷で、ただただ呆然としている俺の肩にポンと優しく無骨な手が置かれる。同じ部署で比較的よく話す男だった。いつもはおざなりな対応しかしないくせに、このときばかりは「ヤケ酒なら付き合ってやるぞ」と生温かい笑みと共に慰められるのが悲しくて悔しくて、俺は小声で「うるせぇ……」とぼやく他なかった。

ブラックスチュアート
21'1205

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -