ふかくふかく塞がれた唇は相変わらず乱暴だった。こちらのことなどお構いなしに好き勝手にくっ付いて離れてを繰り返すものだから、ままならない呼吸に我慢できず口元を緩めると隙間から生温かい舌が差し込まれる。唾液でぬるついている真っ赤な舌がまるで蛇のごとく口内のいたるところを順々に這っていく。くぐもった湿った音が鳴るたびに脳が焼き切れそうになる。右も左も分からない馬鹿になって、なにも考えられなくなる。背筋を何かが駆け上っていって、脚の力が瞬く間に抜けていって、奥の奥がずくんと疼いて震えている。解放された口の端から透明な糸が零れていく感覚を覚えつつ拭う気力も体力も既に絶え絶えだった私に代わって、一虎が自由自在なその舌で輪郭を撫でて舐め取った。
二年と数ヶ月越しのキス。してしまえばなんてことはなかった。思うことも感じることも何もなく、ただただ、体だけは記憶の底から蘇った快楽を訴えていた。
リン、と。一虎が首をもたげるたびに耳元で揺れるピアスの音を聞きながら、何故こんなことになってしまったのかを薄ぼんやりと思い返す。
羽宮一虎が少年院を出たことを風の噂で聞いて、実際に再会するまでそう時間はかからなかった。クラスは違うものの同じ学校なのだから、意図的に避けたとしても限界がある。放課後、のんきに日直の仕事をしていた私の腕を引っ掴んで、一虎が強引に連れて行ったのは彼の家だった。なにも変わらない。壁に貼った売れっ子グラビアのポスターも、否が応でも視界に入るトラ柄のベッドも、ゴツくて趣味の悪いアクセサリーも。ゆいいつ変わっていたのは、ハンガーに吊るされている特攻服が白色になっていたことくらい。無人の玄関とリビングを通ってたどり着いた彼の自室に入って早々、一虎はにっこりと人のいい笑みを浮かべてから当然のように言った。

「なあナマエ、また相手してよ」

いったいなにを? なんてカマトトぶれたらどんなに良かったことだろう。散々この部屋で一虎と事に及んでいた私は、今さら馬鹿を演じられるような浅はかな女じゃなかった。ぎゅっと拳を握ると、あのときと違って伸びた爪が手のひらに食い込む。痛みはいつだって私を正気に戻してくれた。羽宮くんは駄目だよ、暴走族に入ってる子なんてやめた方がいいよ、とあのとき教えを説いてくれた友人はとっくに私に愛想を尽かしたけれど、結局彼女は間違っていなくていつも正しかった。目に見えない傷口が痛んで目が覚めるまで、夢を見続けて正しくなれないのは私だけだった。緊張から引き攣りそうになる声を喉の奥から絞り出すように、恐る恐る口を開いた。

「……やだ」
「あ?」
「だ、だって私たち……」
「ナマエさぁ。オレの言うこと聞けねぇってことはオレに逆らうって……つまりそういうこと?」
「え……? わ、私……」
「どうなんだよ」
「………………」

とっさに頭の中で痛みと恐怖が天秤にかけられたものの、均衡は一秒と持たず右へと傾いてしまった。たとえ頷いたとしても、首を振ったとしても、この後におこなわれることが一緒なら痛いより気持ちいい方がずっといい。「いいよ」と蚊の鳴くような小さな声でつぶやいた私に、一虎は仄暗い瞳を細めて愉快そうに笑う。

「そうこなくっちゃ」





何度目なのか分からない限界を迎えた後、ふかくふかく息を吸って吐いてを交互に反復していると軽快な音でインターホンが鳴った。一回、二回、三回……と続けざまにピンポンと轟く機械音が途切れて静寂が戻ったかと思えば、今度はマナーモードに設定された携帯がブルブルと震えて誰かからの着信を知らせた。けたたましいインターホンに見向きもしなかった一虎が、床に転がっていた携帯を拾い上げて液晶画面へと目を向ける。
カチ、カチ、と暫くボタンを爪弾く音だけが一定のリズムで聞こえ、疲労感と倦怠感からだんだんと瞼が落ちてくる。眠たくて仕方ない。喉は渇いたし、腰は重たいし、掌は爪痕が残って痛かった。終わったなら寝ても大丈夫だろうと勝手に結論付けて、ベッドに横たわったまま一部分が金色に抜け落ちた髪を見つめながら微睡んでいた、そのとき。

「一虎ぁ。オマエいるなら出てこ――」

バン! と勢いよく開いた部屋のドアに驚く暇もなく、室内へ踏み入った人物と目が合った。場地くん。記憶の中の姿より伸びた背丈と髪の毛が一虎が逮捕されて以来、場地くんとも一切会わなかった歳月を感じさせた。きょとんと驚愕から丸まった鷲色の目が、あられもない私の有様を捉えた次の瞬間には、胡坐を組んで欠伸を零す一虎へと向けられる。

「は? ナマエ? オマエまさか……」

響いたのは舌打ちで、漏れたのは溜め息だった。ひどく見覚えのある光景に絶句した様子の場地くんが艶のある黒髪を掻きむしる。

「いい加減巻き込むなよ。どういう神経してんだ」
「いい子ぶんなよ場地ぃ。それこそ今さらだろ。……混ざるよな?」
「……ナマエはそれでいいのかよ」

良いも悪いもなくこの場において私に決定権はない。彼氏である一虎とその親友の場地くんと三人で火遊びすることだって、過去を思い返せば今さらだった。まさに事後というロクでもない現状に少しだけ怯んだ様子の場地くんは、最初こそ逸らした鋭い目を私に向けた。見えないはずの心の中を見透かすような目。嫌だったら正直に言え、と優しくお節介なそれをなんてことないように突っ撥ねる。

「うん」
「ほら! 本人がこう言ってんだからいいんだって。ハイこれ場地の分」
「……もういっこ寄こせ」
「なんだかんだノリノリじゃん」
「ウッセーな」

けらけらと痛快に笑いながら場地くんに正方形のパウチを二つ投げ渡した一虎は、「ラストいっかい」と言って私に覆い被さってくる。
禍々しいトラの墨絵を撫でるように首筋に手を這わせて、そのまま一虎の背に手を回した。つつ、と背骨にそって指を滑らせると、くすぐったかったのか肌がぶわっと粟立ってなめらかな肌の手触りが悪くなる。なにすんだよ、と言わんばかりに太腿の内側をまさぐる手が無遠慮に奥へ奥へと突っ込まれて、嬌声の代わりに反射的に爪を立てた。あのとき感じなかった皮膚を、肉を、細胞を、痕を刻みつけるように抉る感触に胸が打ち震えた。
あのときとは違う。そう思うのに。爪さえ満足に伸ばさせて貰えなかった、あのときとは。そのはずなのに、二人がかりで身体を暴かれて快楽を教え込まれて、もうなに一つ考えたくなかった。
真っ暗闇で底のない穴にふかくふかく突き落とされた私を、誰か早く掬い上げて。

Mayday
21'1116

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