※22巻軸


仕事終わりの平日夜・都内スーパーにて。
ペケちゃんの牛乳取ってくるね、と言って青果売場から姿を消したはずのナマエがちっとも戻ってこない。白菜、ネギ、春菊……と本日の献立である鍋に使う野菜たちをカゴに入れ、オレは次の目的地の精肉売場へゴロゴロと買い物カートを押した。彼女は昔からこういうやつだった。あっちへふらふら、こっちへふらふら。目当てである牛乳を取る前なのか取った後なのかは知らないが、菓子売場かアイス売場で引っかかって道草を食っているに違いない。気ままで気まぐれな猫みたいな性格で、鈴が必要なのは愛猫のペケJではなくナマエの方ではないかと思う。
たいして気に留めないまま黙々と買い物を続けていき、豚バラの大パック、鶏団子、豆腐、そして最後にシメのうどんを二玉カゴに突っ込んだところで買う予定だったものは確保し終わった――が。案の定いまだに戻ってこないナマエに痺れを切らし、電池が乏しい携帯でメッセージを送ってみるものの、オレの『どこ?』『おい』と一方的な呼びかけに返答はない。どこにいるんだアイツ。カートの滑車を滑らせながら格子状の通路の一つ一つを確認して進んでいくと、見覚えのあるベージュのストールが目に入って慌てて足を止める。賑やかな装飾の陳列棚の前でしゃがみ込んでいるから子供かと思った。気がつかずに危うくスルーするところだった。なにやら手に取った菓子を見つめている様子の彼女に近づいていって、後ろから「ナマエ」と名前を呼んで腕に抱えている牛乳パックを引っこ抜く。

「わ、千冬?」
「どこふらふらしてんだよ。探しただろ」
「ごめん」

オレが呆れたように窘めると素直な謝罪が返ってくる。ナマエから取り上げた牛乳をカゴに押し込みつつ膝を折ったままの彼女を見下ろすと、どことなくぼんやりしてるというか、あるはずの心ここにあらずというか。ていうかヒールでそのカッコすんの疲れねぇ? とオレも全然関係ないことを考えながらナマエの隣に立った。

「なにやってんの」
「今日だったなぁって思い出してた」
「なにを」
「千冬と初チューした日」

むせた。

「は……、ハァ?!?!?!」
「声デカ。お店の中だよ」
「あ、ヤベ……っじゃなくて! なんの話してんだよ!」
「ポッキーゲームの話」

ポッキーゲームだぁ? とオレが反抗するのを拒むように、ずいと両手で掴んだ小箱を体の前に突き出されてしまい目を瞠る。お馴染みの赤色がベースのパッケージにチョコレートがかかった棒状ビスケットの写真が載っている。そういえば今日は十一月十一日で、ポッキー&プリッツの日だ。学生の頃はイベントと名の付くものに節操なく食いついたものだが、社会人となった今となってはそういう感覚すら久しい。
なんでポッキーと初キス? と口を開こうとしたところで固まる。ジンと痺れるように込み上がってくるのは羞恥心だった。これっぽっちも思い出したくなんてないのに思い出してしまう。十三年前。ナマエと付き合うことになった前日。緊張でガチガチになったダセぇオレと面白がるように顔が笑っていた彼女。中学時代の黒歴史の一つ。

「東卍の先輩たちがキッスコールしてるのに日和って折っちゃったんだよねぇ松野くんは」
「あんなのノーカンだろ」
「折れちゃったけどちゃんと当たったもん。だから千冬との初チューは十一月十一日」
「……つーかオレ初キス次の日だと思ってたんだけど」
「付き合った記念日ってこと?」

好きな女の子には揶揄われて、東卍の先輩たちには煽られて。まったくもって公開処刑という言葉が似合う地獄のポッキーゲームから一夜明けた次の日、オレはナマエに告白した。駄目で元々、玉砕覚悟だったものの難なくオーケーを貰ったので驚いたものだ。あんなことをさせておいて「私も松野くん好きだったんだ」と言われたときはショックを受けたが、付き合えることと初めての彼女に浮かれてしまった思春期の頭にはそんなこと些細なことだった。思い出したら出したで段々とむかっ腹が立ってきた。
ナマエは「ええ」と不満そうな声を上げつつ、当時と違って薄いピンクの色がついた唇を尖らせる。

「どうせなら十一日にしようよ。話のネタ的にも美味しいよ?」
「ゼッテェやだ」

取り付く島もなく切って捨てて、会話は終了と言わんばかりにレジへと向かい始めると「待って待って」と言ってナマエがなにかをカゴに落とし入れた。中に入っていた白菜やら牛乳やらに当たって跳ね返ったそれに視線を向けたオレは、顔が引き攣るのを感じる。コイツ、本当に。そんな気持ちのまま横を歩くナマエをジト目で睨みつけると、当時とおんなじ顔をした彼女が悪戯に微笑んだ。

「人一倍負けず嫌いな松野くんにリベンジさせてあげる」
「オマエなぁ……。ストップもギブアップもナシだからな」
「また顔真っ赤で固まっちゃったら今度の飲みで酒の肴にしちゃお」
「バーカ」

いつもの調子で会計は払うつもりだったけど、このポッキーは絶対に一銭たりとも出してやらねぇ。子供みたいに馬鹿馬鹿しい意地を張りながら、オレは百円と数十円の回収を心に誓ったのだった。

甘くなあれ夜になあれ
21'1112

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