中学一年、十二歳の春。平々凡々な普通の一目惚れをした直後に、俺の淡い恋心は木っ端微塵に砕け散った。
スラックスの裾が余りがちな学生服に少しだけ慣れて、サッカー部とソフトテニス部の体験入部を無事に終えた頃。いかにも体育会系の見た目の先生が「委員会決めるぞ」と言って始まったホームルームで、厳正なるジャンケンに負けて決まった風紀委員会の集まりに参加したとき。おんなじ班だった先輩の笑顔に、簡単に恋をしてしまった。
ミョウジ先輩。ネクタイと上履きの色が紺色だったから二年生。自己紹介の後に「一年間よろしくね」と笑いかけてくれたことに惚けていたら、一学期の目標やら活動内容やらを説明する委員長の話なんてちっとも頭に入ってこない。下の名前はなんて言うんだろう。ヘアピンが紺色だから青系の色が好きなんだろうか。温和な雰囲気だから文化部なのかもしれない。どこまでも続く果てのない妄想の世界から、はっと我に返った頃には委員会の時間は終わっていた。俺はふわふわと浮いた気持ちのまま無駄にデカいリュックを背負おうとして――後ろから聞こえてきたとんでもない台詞に頭をがつんと殴りつけられることとなった。

「ミョウジー、彼氏迎えに来てるよ」

彼氏? 誰の? ミョウジ先輩の?
理解できない言葉の意味を呑み込む前に、ミョウジ先輩の「そんな大きな声で言わないで」という必死の声が容赦なく俺を揺さ振ってくる。最低で最悪な現実を突きつけられた。同級生にからかわれて照れたような顔を見て、きゅんと胸の高鳴りを覚えてしまうのが虚しい。勝手に膨れ上がって弾けそうだった心臓が、シュルシュルと音を立てて小さく萎んでいく。入学早々に一目惚れした憧れの先輩が実は彼氏持ちでした、なんて恋の始まりから終わりまでが早すぎてショックすらまともに受けられそうになかった。
彼氏っていったい誰だよ、と恨みがましい目をこそこそと教室の入り口に向けると、そこにいたのはクソダサいガリ勉メガネスタイルの男だった。ええ、なに、どういうこと。ミョウジ先輩の彼氏ってまさかアレ? ほんの数週間前までは小学生だった俺にも分かる。アレはない。典型的なサラリーマンでも見ないペッタリとした前髪の固め方で、顔の上に乗っている黒いフレームのメガネはレンズが分厚くて。校則を守って着られている制服はピシッと音が鳴りそうなくらい堅苦しい。アレだったら俺の方がまだ百倍マシだろう。
なんで。その行き場のない感情を腹の底に張りつけたまま、俺は身体がぺしゃんこに潰れそうなくらい重たいリュックを背負って教室を後にした。





美術室、理科室、家庭科室といった特別教室ばかり集められた校舎は、放課後になると人気がなくなって昼間の喧騒が嘘みたいに静まってしまう。俺が向かっている理科室の真逆にある音楽室からトランペットの甲高い音が仄かに聞こえてくるものの、渡り廊下を渡り切ってからは生徒の誰一人ともすれ違わない。理科の授業のとき実験ノートを置き忘れてしまった俺は、なんとなく居心地の悪い静寂の中をひたすらに進んで行く。
ふと思い出す。放課後の特別教室の校舎は穴場なんだということ、それから、その中でも家庭科室が飛び抜けてそうなんだということ。サッカー部の先輩が言っていたっけ。いったいどういう意味で穴場であるかなんて、そんな分かり切ったことは聞かなかったけれど。かすかに疼いた好奇心に突き動かされて、俺は理科室の手前にある家庭科室の前で足を止めた。扉の窓からそっと教室の中を覗き見る。蛍光灯は点いていない。大きな窓から差し込む夕日が薄暗い室内を照らしている。誰かが、いた。
人ふたり分の黒い影が窓辺の床に座り込んで、うごめいている。一人はスラックスで、一人はスカート。手と手を繋いで、頬を寄せ合って、悪戯にキスをする。
穴場って本当だったんだ、本当にいるんだ、と高揚感に胸を躍らせながら身を乗り出すと同時にぎょっとした。ロン毛の男の見た目があまりにもガラの悪い不良然としていたから。センター分けにされた長い前髪、ボタンが三つも開いたシャツ、首元にあるゴツいアクセサリー、行儀悪く投げ出された細長い脚。腕捲りされた袖から伸びる手が女の髪を雑に乱して、首の後ろを撫でて、華奢な肩を抱いた。というかこの女の方って、ミョウジせんぱ――。

「え」

凛々しく目力の強い瞳と目が合ったような気がした。けれど次に瞬いた後には男の視線は女に向けられていて、俺のことなんか歯牙にもかけない様子で。女の――ミョウジ先輩のサイドに辛うじて留まっていた紺色のヘアピンを引き抜いた男は、思い出したように口を開く。

「委員会なんだっけ」
「え? なあに?」
「だからオマエが入ってる委員会」
「風紀委員だけど……」
「……フーン?」

言いながら、スラックスのポケットから取り出したメガネをミョウジ先輩にかけてやる。風紀委員会。黒いフレームのメガネ。ミョウジ先輩の彼氏。点と点がつながる。数日前の記憶が否が応でも呼び起こされた。サイズの合わないメガネが段々と顔の上を滑り落ちていく様を見て、俺はあの日以来の衝撃を受けて固まった。
ロン毛でガラの悪い不良然とした男が、あのダサいガリ勉メガネだったはずの男が、にやりと犬歯を見せて笑う。その揶揄する視線の先はあからさまに、ミョウジ先輩ではなく恋敵である俺だった。

「風紀委員が校内のフーキ乱してんなよ」
「そ、それは場地が――」

言葉の途中で切れてしまったミョウジ先輩の声を合図に、俺は居ても立っても居られなくなって走り出す。
現実は最低で最悪だ。とっくにバラバラに砕け散っていた恋心を、すり潰してサラサラの砂粒にされたような心地。走って、走って、とにかく走って。いつの間にか肩で息をし始めた頃、すれ違った先生に「廊下を走るな!」と咎められて、やっと足を回転させることを止めた。呼吸を落ち着かせるためにふらふらと歩いて、自分の下駄箱の前に座り込む。
理科の実験ノートを取ってこられなかった。リュックが教室にあるから戻らないと。早く部活に行かなければサッカー部の先輩に怒られる。そう思うのに。俺は当分ここから動けそうになかった。

ユール・ネバー・ノウ
21'1105

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