※血、注意

 薄暗い路地裏、コンビニで買った安ワインを電柱に叩き付ける。小気味良い音と共に簡単に瓶は割れ中身が白のコートに溢れた。赤ではなく白を選んだ辺り、多少の理性は合ったのか。染みは目立たない。



 きらりと月に反射した透明の瓶はぎざぎざと歪に尖っていて、このまま歩いていれば間違い無く不審者として捕まりそうだ。
 そういえば高校生の時に暫く過ごした留置場の中はスタンドのお陰で随分快適だったと思い出す。また行きたいとは決して思わないけれども。


 瓶の口を落とさぬよう慎重にコートの裾を捲ると、我ながら良く鍛えた腕が現れた。薬指には鈍く輝くプラチナリング。小さいながらもダイヤも埋め込まれていると誇らしげに渡された物で、海に入る時以外は外した事がない。

 そこに口付けを一つ落とし、右手に持ったままの瓶で腕をざっくりと切りつけた。見る間に血液が溢れ、肌はおろか服や地面までも汚していく。数秒見据えた後投げ捨てた血塗れの瓶は、すぐにコンクリートで砕けた。



 ぼたぼたぼたぼた、無遠慮に流れる血が妙に生暖かい。



 近くの壁に背中を預け、胸元から煙草を取り出す。ライターを探り出そうとしたが切りつけたばかりの腕は上手く動かず、舌打ちを一つしてスタンドに火を点けさせた。一瞬だけ辺りが青白くなりすぐに戻る。それなりに一気に多量の血液を失ったからか。
 少しだけ唇が震えた。


 結局、白い生地は汚れたのだからワインの色など気にしていた己が馬鹿らしい。この服は廃棄しなければ。どうせ着られない。恋人に頼めば真新しく修繕してくれるだろうが、まさかこんな赤と白の対比を見せられない。腕の惨状と合間ってヒステリーでも起こしかねないし、当面は外出するなとでも云われそうだ。


 数秒ほど考えた末、着ていたコートの一部を破って止血代わりに腕に巻き、乱雑に腕の汚れを拭き取りると、近くのゴミ箱に捨てた。
 幸いにも長袖の黒シャツをインナーにしていた為、それ以上は目立たない。出血もほぼ収まったらしい。動かすにはまだ痺れるがすぐ収まる。つくづく因果な血筋だ。


―――すうっと息を吸い込むと、鈍っていた痛覚が今更形を見せ始め傷口が痛み始める。この感覚は随分と久しぶりだ。
 最近は異常に心配性で正義感の強い恋人のおかげで怪我をすることがないし、包丁の小さな切り傷さえ瞬時に治されてしまう。
 それはとても愛を感じるし有り難いのだけれども、たまに判らなくなる。果たして本当に生きているのかと。
 勿論心臓は間違い無く動いているし体温もあり、思考能力も衰えていない。だが、そうでは無くて、この身体が己の物だと云うことが見えなくなってしまうのだ。


『この身体は貴方の物よ』


 昔、退屈な洋画のベッドシーンで女が囁いていた。男は優しく笑んで妙に恥ずかしい台詞を吐いていた記憶がある。愛しているだとか素敵だよとか、そんな言葉を。
 けれどそれは愛の延長線上、云ってしまえばリップサービスで己の身体を他人に捧げるなど出来るわけもない。
 快楽だろうが苦痛だろうが受け入れるのは己であって、他の誰でも無いのだから。


 だけれど、己の恋人は苦痛を取り払ってしまった。生や命を実感するみなもとの一つである痛みを、自分から遠ざけてしまった。彼のスタンドは優しく、どんな物も癒してしまえるから。それが酷く残酷である事も知らぬまま、ただひたすら愛する物を守りたいが故に。


 そこで、乖離が生まれた。
 痛みを感じる事のない身体は本当に自分の物なのか。愛を紡がれているのは本当に自分なのかと。考えれば考えるほどに混乱した。
 だから、切りつけた。生命を確認したかったのだ。決してマゾっ気など無いし、痛いのが好きと云うわけではなく、ただ。


――ピピッ、ピピッ、ピピッ…


 唐突にポケットに入れた携帯が鳴り、自由に動く右手を伸ばす。


 ズボンから取り出してみると仗助と書いた専用のフォルダにメールを受信していて、まだ遅くなるのかと、絵文字付きの心配そうな文面が綴られていた。
 まだ辺りが暗くなって間もないのにと呆れつつ、ちまちまと文章を打つのも面倒で通話ボタンを押す。


「もしもし!」

 携帯の前で待機していたのか、コール音が鳴る前に繋がって思わず吹き出しそうになった。

「俺だ」
「承太郎さん!メール見ました?」
「見たから電話したんだが」
「そ、そうっすよね!今どこっすか?今日はカレーなんですけど遅くなります?」
「帰るのは今から帰るが、少し怪我をしてな」
「はっ!?ちょっ、何で!?今何処ですか!??」
「商店街の裏路地だ。スタンド使いに手間取っちまった。もう始末はしたが…」
「今日徒歩ですよね!?すぐ行きます!!コンビニの前に居て下さい!動けます!?」
「おい、わざわざ来なくても……」
「とにかく行きますから!!もうちょっと我慢して下さい!」


 反論をする前に早々と通話は切れ、ただ無機質など電子音のみが響いた。今頃家を飛び出て、凄い勢いで車に乗り込んでいるのだろう。余計な事を云わねば良かったかと悔やんだが、もう遅い。


 しかし、先程まで脳内を占めていた靄は消えていた。浄化された様に、意識が鮮明さを取り戻していく。愛しい声によって身体の外部も内面も含め己だけが愛されているのだと実感し、ぽっかりとあった空白は無くなっていた。
 例え、茶番だろうが思い込みだろうが嘘だろうが悲劇だろうが、構わない。全部、俺の物だ。



 携帯を元の位置にしまい、つい漏れてしまった笑みを消しながら足を踏み出す。多少の眩暈はしたが、歩けぬ程でも無いし、変なところで鋭い仗助の事だからこの辺にいては割れた瓶やコンクリートの血液はおろか、捨てた服まで見付けられかねない。理由を訪ねられても説明は苦手だし、伝わりもしないだろうから。
 いいのだ、これで。


 待ち合わせ場所へ急ぐべく路地を曲がろうとした刹那、服の切れ端が緩みじわりと血の滲む。目線を落とすも、黒い生地と夜の闇に紛れて状態は伺えない。未だ動かし辛い腕を無理矢理持ち上げると、動かした所為で更に血が流れたのが判る。間近で見るとシャツが濡れていた。


――やれやれ。これは煩いだろう


 そう思いながら、結び目を断ち切る。暫くカレーはお預けで説教かもしれない。良い匂いのする部屋の中で怒られるのは中々の拷問だ。
 明後日はヒトデの研究に行く為航空チケットを手配しているのだから、外出するな等と云われなければいいが。
 握ったままだった白い生地の欠片を興味すら持てず後方に投げ捨てると、仗助の迎えを待つべくコンビニへと向かった。



 痛みを感じる身体も命も全て、自分の物だ。与えられる愛も全て、全て。
 こんなかすり傷程度で実感できるのなら。己を取り戻せるのなら。これからも何度だって治させてやる。



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