シュレディンガー、或いはパンドラ






昔から、あいつとは一緒だった。
あいつがサッカーを始める前から、ずっとずっと。

ずっと ずっと 





「―――キレイ、だな」
「あぁ、キレイだ」
風丸は、円堂を連れてライオコット港の波止場に来ていた。
波が防波堤に叩きつけられて白い泡になって消える、その繰り返しを風丸は淡々と見ている。
その儚い様を見て、唐突に人魚姫の物語を思い出す。

自分の想いを成就することはできず、恋をした人の為に自分の命を捧げる愚かな姫。
泡となった後は空気の精になり世界中の恋人達を見守るという結末を迎えて、彼女は幸せとは言えないと風丸は思う。
恋に破れた結果死を選び、そして他人が恋を成就させるという拷問にも近いそれは、彼女にとっては苦痛なのではないのか。



―――そして、それはきっと今の円堂の状況にも当てはまる。


生きるというごく一般的な行いを他人の為に奪われ、そしてその後人は生き続ける。
犠牲を当然のことにして、いつかは忘れてしまう。



『―――なら、今のうちに円堂を せばいいじゃないか』
聞き慣れた声が風丸の耳元に届く。
『いずれにせよ円堂に残された結末は決まっている。お前が行きつく道も一つだ』
『結末は変えれない、だが過程は簡単に変えられる』


『お前が、 円堂を  』





「―――かぜまる?」
袖をくいと引かれ、意識も引かれる。
「…なんか風が強くなってきたな。宿福に、帰るか」
「…あぁ」
そういって円堂は柔らかく笑う。
その様に、絵本の人魚姫がフラッシュバックする。
(今お前の背を押して、海に沈めてしまえば俺はどう思うんだろう)

そう心の中で思案して、風丸は円堂と共に帰路についた。






浸食されていく、自分の思考がゆっくりと確実に蝕まれていく。
声に浸食されていく…でもそれを拒もうとは思えない。


その声は、他ならぬ風丸の声だからだ。



『どうしてあの時突き落とさなかった。そうしたらお前は楽になれただろう』
「どうして俺が円堂を さなきゃいけないんだ」
『そうすればお前は、俺は楽になれただろう。喪失の痛みを感じずに、逆に円堂を手に入れれることもできる』
「結局円堂を失うだけじゃないか!!」
『でも、奪われることはない』


ぴくり、と手が震える。
『お前はいつだって奪われていたものな?その地位も、なにもかも』


そう、いつだって風丸は誰かに円堂を取られていた。
幼馴染としても、同じチームメイトとしてもその地位を誰かに脅かされていた。

風丸は円堂を一番に想っていても、円堂は風丸を一番には想ってくれない。
『正義としてもう円堂を止めることはできない。円堂はもう選んだからだ。それに反することは円堂にとって正義ではないだろう』


『だからお前が円堂を止めるには悪魔になるしかないんじゃないのか?結末を変えずに過程を変えるにはお前が円堂を弑するしかない』



痛い、痛い。
風丸の脳裏にチリリと痛みが迸る。
もう何を考えてどうすればいいのかさえ分からない。
(俺はどうすればいい、どうすればいいんだ)
円堂を さなければ俺は苦しむ、でも したらきっと円堂が苦しんでしまうだろう。

もう分からない、どっちが良いのか悪いのか。


2つの意志が風丸の中に在している。
円堂を したくない自分と、円堂を そうとする自分。
(どっちが正しい、どっちがふさわしい)
自分の手で円堂を したいと願う自分、少しでも円堂を  したい自分。
ごちゃごちゃになって、混ざって、もう分からなくなって、 もう 。



『せいぜい悩むがいいさ、俺。あぁ、でももしかしたら…


    もう 狂って しまうかも な?



俺 の  よう に  』





―――そうして人魚姫は、海に沈み泡となって消えました。

   しかし魂は空気の精となって、世界中の恋人を見守るのです。


   その海に落ちたのが人魚姫の意志なのか、だれかの意志なのかは明かされぬままに―――









狂い人
(なにもかもが、夢現)




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