黒い獣

天竜人という生き物はくだらない下衆な暇潰しにかけては天才的だと思う。
「――――宮は、」
聞き慣れないこの体の名前で呼び掛けられる。嫌々ながら顔をそちらへ向けた。
下卑た哂いを浮かべた男が見下ろしていた。
醜い。
形がではない、
「確か奴隷を一匹しか持っていなかったがいいのかえ?」
その心根が、醜い。愚劣で穢らわしい。あらゆる罵倒語を使ってもまだ足りぬ。
誰かも知れない男が何やら言ってきて、私は吐きそうになる溜息をなんとか抑えた。
不愉快な男の面を見ているよりはこの不愉快な催しを見ていた方がまだいい。私は向けていた視線を元に戻す。
見下ろす位置にある円形の舞台、闘技場。そこでは血が流されていた。
剣を合わせる音、銃声、殴りつけたような鈍い音に悲鳴。
目の前のこれは己の『所持』する奴隷を戦わせるというだけの単純で野蛮な遊戯だった。
そこに疾走する黒い影。
こんな馬鹿げたもの、参加させるつもりなんてなかった。なのに『父親』が勝手に…。誰に聞かせるでもないのに言い訳がましく思う。
ああ、でも…見る限りは傷を負ってはいなさそうだ。飢えた獣のように猛々しく駆ける姿が確認出来る。詰めていた息を吐けば、それは少し安堵が含まれていた。
婆娑羅の力は健在のようで奮った刃からは迸る閃光。
宙を焦がす雷火の音まで聞こえてきそうな激しい、白。
「…………しかもその一匹がずいぶんと気に入りだとか」
「何が言いたい」
「いやいや…替えを用意しておいたほうがいいという話だえ。なんせわっちは強いのを十匹も買い集めて、」
「『替え』などありはしない。それに不要だ」
言葉を遮る。くだらない戯言はこれ以上聞きたくない。
「あの男が負けるはずがない」
男は面白くなさそうに鼻を鳴らした。


薬を使われすでに自我のない者、勝てば『自由』を約束された者、または単純に死にたくない者。戦う者たちの中であの男以上に純粋に生きたい、と戦う者はいないだろう。
生きたい、生きて、
「俺には死ねない理由が有る、テメェ等には無え。故に俺は負けぬッ!!」
私の側に…そう思っている。きっとこれは自惚れではない。
「ムゥン!負けたら仕置だえ!そんなヤツさっさと捻り潰せェッ!!」
喚き声が隣から上がる。
気付けば舞台には血に濡れて哂う黒い獣と、
「グ、ゥ、ウ、ヴ……」
たった一人。
巨人族よりはまだまだ小さいがそれでも常人の五倍はありそうな巨躯。
その目はすでに狂いに染まり、口から溢れるのは言葉にならない喚きと涎。
この場にいる者たち…天竜人たちは勝負はすでに決したと退屈そうに息を吐く。
巨男が手にした鎖を叩きつける。石の舞台が砕けた。
その轟音の中で、はたしてどれだけの者が薄氷を踏むに似た小さな音を聞いていただろう。
「いやいや――――宮も惜しかったえー。まあでも仕方なかったえ、なんせわっちはアレを2億ベリーもだして買って、」

ぱき、

影が跳躍する。黒が一瞬で巨男に肉薄していた。
刃が閃く。

「悪ィな。俺に遭ったが運の尽きだ」

噴き上がる赤、落ちた首がぐちゃりと音を立てる。
それから遅れて首を失った体が仰向けに倒れた。
しいんと静まり返った場。
予想外の結果に誰も何も言わない、身じろぎもしない。
ただ、その場に一人立つ男に視線を注ぐ。
「ッチ……口ン中切れた」
ぺ、と血を吐き出した小さな音すら耳に届いた。
「ぁ、な、な…な…」
勝ちの優越と共に言葉まで失ったか、意味のない音だけを吐く男。
醜く、愚かな男、
「あの男に勝てると思ったか?……残念だったな」
鬼に勝てると思うだなんて本当に、愚か。

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