猫のみぞ知る

「おい。貴様まだ寝ているのか」
みつが廊下から声を掛けてくるが答えられない…何故なら俺は今変異に見舞われているからだ。昨夜も変わりなく床に就いたはずだ。なのに…。
「…何だ居ないのか」
返答の無い様子を不審に思ったのかみつが障子戸を開けて部屋へ入る。
朝の薄明かりが差し込む。そして布団に蹲る俺…基、
「猫だ」
猫。みつは呟いて俺を目の高さまで持ち上げる。
だらんと身体が伸びて黒くて長いふさふさの尻尾が見えた、泣きたい。
みつは俺の顔を覗き込んできて、
「壱矢」
ぽつりと零した。まさか俺の事が分かったのか!?
「…にそっくりだな」
…そんな訳無いか。人が猫になるなど普通は思いつくまい。
俺を畳へと下ろし、その横に座り込んでみつは俺の頭を撫でる。
「ふてぶてしい面をしているな」
それは人の俺もふてぶてしい面をしていると…そう言う意味なのか?
「傷だらけだ…貴様は野良なのか?」
違う、野良じゃない…豊臣に飼われているからな。否、今のは撤回だ。断じて飼われてなどいない、居座っているだけだ。
「壱矢」
「ニャ」
何だ。答えるように鳴けばみつは何故だか嬉しそうな顔をした。
「返事した。ならば貴様の名前は壱矢だな」
「ニャア」
まあ、本人だから…別に良いが。しかし、みつは何を思って猫に俺の名を付けるのだ。
「本当にそっくりだ。…壱矢、壱矢」
みつは俺に滅多に見せない笑みで猫…俺の頭を撫でてくる。
楽しそうに呟かれる名前に俺の耳がぴくりと動く。
「壱矢、好きだ」
そして、ぎゅうと俺を胸に抱くみつ。
…甘い、みつの匂いがして…ああ、この身体は厄介だ。鼻が利きすぎる!
「猫相手に何をやっているんだ」
しばらくして、みつは溜め息混じりにそう零し敷いたままの布団へと倒れた。
「………今なら何度でも名を呼べるのに、どうして顔を合わすと呼べないのだろう」
ぽつりと小さく零れた声もこの耳はよく拾った。
「おいとか貴様とか…こんな可愛げのない女など……」
ほんの僅か悲愴に歪められた顔もこの目ではよく見えた。
「壱矢が側室でも持ったら…きっと私は見向きもされない……」
…みつ、ああ…お前は、何て事を言うのだ。
側室なんて要らない、俺にはお前だけでいいんだ!
「壱矢」
優しく呼ぶ声に答えてやれないなんて…
「…壱矢」
切なく呟く声を止めてやれないなんて…
「……壱矢」
儚く叫ぶ声を如何にもしてやれないなんて…!
涙こそ無かったが、悲しく歪められた顔は見ているこちらが苦しくなった。

……
ええい、俺は今猫だ!猫なんだ!!
みつの顔に頭を摺り寄せて、それから頬を舐めた。ああ!恥ずかしさで死にそうだ!!
「…慰めて、くれているのか?」
そうだ!だからそんな顔をするな!!
肯定する様にもう一度舐めるとみつの表情がふ、と和らぐ。
「良い子だ、優しい子だ」
ふわりと笑むみつはとても美しく儚い。俺を撫でる手は優しく嫋やかだ。
今のこの身がもどかしい。抱き締めたい。口付けたい。
お前に伝えたい言葉が有るんだ。
みつ、
「ウニャー」
……そうだ、俺今猫だった。
今なら…みつに言ってやれると、そう思ったのだがなあ…。
「…壱矢が戻ってきたら…貴様を、飼ってもらえる…ように、たのもう、な」
言葉が途切れがちになり、俺の背を撫でる手も止まった。
何事かと思ったらみつは寝てしまったようだった。
吊り上がり気味の目は今は閉じられて少し幼く見える。…可愛い。
みつの匂い、みつの熱。
…きっと、この身体のせいだ、何だか俺まで…眠くなって、きた…


「おい!」
「…ん?ああ…おみつ、お早う」
良かった、人間の身体だ。戻らなかったら如何しようかと…。
「貴様、早くこの手を放せ」
どうやら無意識の内に抱き寄せていたみたいだ。
俺の腕の中にすっぽりと納まるみつは…何時もの調子のみつだった。
別に期待してなかったさ…本当だぞ?
「そうだ。貴様猫を見なかったか?ここに黒猫が居たはずなんだが…」
「見てない」
そうか、と落胆の声を出すみつ。
「……みつ、猫には俺の名で呼ぶのに俺の事は呼んでくれぬのか?寂しいぞ」
「ッな!?聞いて、いたのか…?」
そんなみつに少し意地の悪い言い方をしてやる。
そうすればみつは顔を赤くした。
「みつ」
ああ…本当に、
「お前は可愛いな」



思いっきり殴られた。

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