それは、毒のような

吉継と別れた俺はその足で練兵場へと向かっていた。
(分かっている、分かってはいるんだ…)
俺を呑み込む感情の嵐を払う為、早く槍を振りたかった。
(おや…あれは)
練兵場を臨む廊下に佇む人影が一つ在った。
その横顔は憂いて、じっと鍛錬に励む兵らを見つめている。
「真田殿」
「…石田殿?」
声を掛ければ、はっとした様子で振り向く真田。
男は気まずげに視線を泳がせた。
当たり障りの無い挨拶でもして通り過ぎようかと思ったが、信玄公に頼まれたのだ、と思い直す。
いい機会だ、真田と話してみた方が良いだろう。
「如何した?何か困り事でも?」
「いや、」
ぎゃあぎゃあと騒がしい印象しかなかったが今は落ち着いて…いや、沈んでいる。
「それが、分からぬのです。訳も分からず焦燥に掻き立てられっ、某、」
握り締められた拳は力を込め過ぎて白くなっている。
必死に言葉を探す様は、本来のこの男の姿を思わせた。
「分からねえつっても、何かしら…原因はあるだろう?」
言い聞かせるように真田に言った、これが正しいかは分からねえ。
「…?」
「例えば、天女…だとか」
ただ俺は焦りにも似た何かに駆られていた。
早く分からせなければ、と。
「真、姫殿…が?否、これは、某が、未熟ゆえ、」
瞠目する真田。
否定の言葉を吐くも、目の奥に微かな疑念が揺らめいた。
「違う、お前は立派な武人「だった」。何時からそうなった?アレが来てからじゃねえのか?」
「そのようなっ」
言葉に詰まった真田に、更に追い討ちを掛ける。
「なあ真田殿…本当にアレを天女だと思っているのか?」
「石田殿っ!…当たり前であろう、真姫殿は天女に相違なしっ!!」
言い切るものの、それは何処か白々しい響きを持っていた。
「ならば、何故目に迷いがある」
「何をっ」
真田はこの異常な様を理解しかけていた。
しかし性根の真っ直ぐなこの男の事、恋情を抱いた相手を疑う事が出来ず苦しみもがいている。
「気付け真田!……信玄公の信に応えてみせろよ」
「お、お館様…の……。…某、しかしっ、」
「幸村!」
その瞬間に真田の目から葛藤が消え、茫洋とした目になってしまった。
理智も自己も無い、その目。
「真姫殿!!」
駆け寄ってきた天女に笑みを浮かべる真田の抜け殻。
それを間近に見てしまった俺は初めて天女に恐怖した。
つ、と冷や汗が背を流れる。
「こんなトコで何してたのぉ?」
「何でもござらぬよ。そ、それより、某と一緒に団子でも食べませぬか?」
「うん!みんなで食べようね!」
「み、みんな、でござるか…」
「どぉしたの?幸村??」
「いえ…さあっ行きましょうぞ!」
立ち去る二つの背。
それが小さくなり角を曲がり見えなくなって、
「毒婦め…ッ!!」
俺は膝から崩れ落ちた。
嫌悪と憎悪と恐怖が腹に溜まり、耐え切れず嘔吐してしまう。
「っち、く、しょうっ…」
そこで意識がぷつりと切れた。

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