それは、闇

先日の加藤とのやり取りを思い出しながら私は男を盗み見る。
男はばさばさと紙束を捲りながら執務をしていた。
時折、頭を押さえて呻いている(何か不備があったに違いない)他には変わった様子も無い。
そう言えば福島は言っていなかっただろうか、何に反応してこの男が取り乱したかを。
「おい」
「…ん?何だ?」
それは、確か、
「ねねとは誰だ」
その瞬間、男の顔からは感情が削ぎ落とされた。
ただ暗い目に私が映っているだけだ。
「それを、」
ゆらり立ち上がった壱矢はひた、と畳を踏み私に一歩近付く。
「誰に、聞いた」
ひた、ひた。
座る私の前に立ちはだかった男はその闇色の目で私を射抜く。
「っ福、島…が」
怒気とも言えぬ威圧に息が詰まり、それだけを何とか搾り出した。
「福島が…?……要らぬ事を」
要らぬ事、だと!?
矢張り貴様は私に何も話す気など無いのだな。
そう思えば、苛立ちが胸の中で澱み、それが私の神経を苛む。
「こ、答えろっ!ねねとは一体、」
「ソレの事は、知らぬ」
私の言葉を遮ったソレは、ただ淡々とした声色だった。
つ、と壱矢は手を伸ばすと
「知らぬで良い」
私の首を緩く絞める。
相変わらず目に光は無いのに、口元だけは優しげに弧を描いていた。
抵抗は出来なかった、しようとも思わなかった。
ただ男の目の中の闇をじっと見つめていた。
私の頬を水が伝い、それが壱矢の手に落ちる。と、途端男の目に感情が戻った。
それは、困惑、動揺…哀惜?
……何故貴様がそのような顔をする。
手を放した壱矢は
「忘れろ」
苦々しげな表情で吐き捨て、部屋を出て行った。
その背をぼんやりと見送る。
「貴様は何時も私の心を掻き乱す…」
ぽた、ともう一粒水が落ちた。

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