「名」

「よう、みつ」
名を呼ばれ振り返れば部屋の中から手招く加藤の姿が在った。
「加藤か…何か用か」
「なーに、ちとお前に聞きたい事が有ってな」
心底嫌そうな顔をしてやったのに、まあ座れ、と目の前の畳を指されて仕方なく腰を下ろす。
この男の話し等碌な物では無い。
「あー…まあ、なんだ、しっかし壱矢殿が我を失うとは珍しいよな」
暫く奴は無言で居たのだが、おもむろにがりがり、と頭を掻きつつ言った。
…恐ろしく話しの切り出し方の下手な男だ。まあ、それはどうでも良いが。
加藤の言う「我を失う」とは先日…そうアレらが来た日の事を指しているのだろう。
その場に居た福島に聞いたが(むしろ奴が吹聴していた)、確かにあの男の取り乱した様子など珍しい。
だが、
「それがどうした」
私の応えに加藤は肩を竦めてみせる。
「いや…ただ知りてえだけだ、興味が有る。俺と正則はあの人にたんと世話になったからな。…みつは知っとるか?理由を」
「知らん。本人に聞け」
何故私に聞くのかが分からない。
「恐くて聞けねえから、こうしてお前に聞いてんだろ。しっかし、そうか知らねえか…」
加藤はへら、と笑って頭を掻いた。
あの男が…恐い?何時もへらへらと笑っている印象のあの男が?
私の疑問を他所に加藤は一人語り続けた。
「もしかしてみつには言っておるかと思ったんだがなあ…。壱矢殿はあまり自分の事を語りたがらない…が夫婦であってもそうであったか」
そこで話しが途切れたが、何とはなしに退席し辛い空気で私はただ黙って座っていた。
腕を組みうんうんと唸っていた加藤が不意に
「おぬしら…本当に、夫婦か?」
問うてきた。それは、呟くと言った方が当て嵌まるような小さな響きだった。
「何だと!」
何を言い出すかと思えば!!
「おっとそうカッカするな!いやなあ、ただ思っただけさ…。俺は妻帯しておらぬから分からんのかも知れんが…おぬしらはどこかぎこちない、おぬしらはまるで夫婦に見えない」
刀に伸びた私の手を押さえながら加藤がおどけた様に言う。
「夫婦と言うより…そうまるで雛人形だな。キレーに飾られたままで男女の生臭さなんかねえ、な」

先程加藤に言われた事が頭の中でぐるぐると廻る。
男女の生臭さなんて有ろう筈が無い。
私は一度たりともあの男に求められた事は無かった。
加藤は夫婦に見えないと言ったが、そんな事私には分かっていた。
分かっていたからこそ怒ってしまった、人は図星を指されると怒りが湧くというのは本当なのだな。
そう、あの男にとって私は妻ではない、ただの「誰かの代わり」なのだ。
だから褥を共にしない、だから必要以上に自分の事を話さない。
私はあの男の事を何も知らない。
刑部の友で父の知己のようで、それで?
腕が立って、秀吉様に「何故か」信頼されていて、他には?
そんな知っているとも言えぬ些細な事しか知らない。
加藤が恐いと言うその顔を知らない。
私は…あの男の元の家名すら知らなかった。
私が廊下で呆然と立ち尽くしていれば、
「三成っ!」
知らぬ名で呼ばれぐい、と腕を引かれる。
見れば天女などと酔狂を吐く女がいた。
この女、事在る毎に半兵衛様のお手を煩わせていると言う、目障りな。
鬼か物ノ怪かのような奇妙な姿は何と忌まわしい。
触れられた腕から毒の染みる気すらする。
「私に触れるなっ」
女の腕を振り払い私はその場を離れた。
ああ!この女も、あの男も苛々する!!

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