俺は気の晴れぬまま摂津を発ち甲斐へと向かった。
「先日は挨拶も無いまま甲斐の地を発ってしまい申し訳有りませぬ」
そして今、信玄公の前に座し頭を下げている。
「良い、分かっておる」
そう言った信玄公は、何処となく窶れて見えた。
「して、頼み、とは?」
「うむ」
そう呻いたきり言葉に詰まる信玄公。
俺は急かすでもなくただ待った。
「幸村達は今どうしておる」
信玄公は庭へ目をやったまま何とはなしに聞いてきた。
どうやら大阪城に滞在している事は耳に入っているらしい。
「出奔同然に国を出た部下の事も心配するんですね。いや立派な方だ!」
如何にも気分がささくれ立ってしまっており良ろしくない。
言うつもりも無かった嫌味を言ってしまった。
「む…」
「それはもうお元気ですよ、天女様とお戯れ遊ばして!あれで政が成るのでしょうかね」
この人に言っても詮無い事ではあるが言ってしまったものは仕方無し。
天井裏の陰護衛が殺気を放ってくるのも知った事か。
「今、あやつ等の目は曇っておる」
難しい顔で黙る信玄公は何とも小さく見える。
搾り出すように言ったそれは
「頼む!幸村たちの目を覚まさせてくれ!」
悲痛の響きを俺の耳に届けた。
「…。ご自分でなさるが良いでしょうよ」
「儂の言葉はあやつ等に届かなかった…!頼む、お主なら…」
「何故、ですか。何故俺に」
「儂にも分からぬ。だが…お主なら出来ると思うた。どうか頼む!」
何でこの人はこんなに真っ直ぐなんだ。
「…国主が一兵卒の俺に頭なんか下げないでくださいよ」
俺は逃げてばかりだというのに。
「頼む!!」
この人と俺は違う。
この人は向き合っている、俺は…駄目だ。
「…」
こうして俺なんかに頭を下げる信玄公はとても器量の大きい人物だ。
上げられる様子の無い頭に俺は一つ溜め息をついた、とびきりでかいヤツを。
「確約は出来ませんが……頼まれましょう」
これが踏み出す一歩になればいいと思った。
そしてその後、宴だと言って信玄公の酒盛りに付き合わされた。
俺敵国の人間なんですけどねえ!