「雑賀荘」

「我らと契約を結びたい、と」
豊臣の使者を名乗るその人間は
「そうだ」
とても不安定な目をしていた。

「我らは我らを認めるものと契約をする」
生真面目な様子で佇む人物−石田みつと名乗った−を観察してみる。
初めは男かと思ったが、名からして女で、矢張り男と言い切るには細く嫋やかさを帯びた体付きであった。
石田は断るなとばかりに睨みを利かせてくるが、それでいて何処か遠くを見ているようだ。
「…フフ、良いだろう。「今孔明」と名高い豊臣の軍師が我らを選んだのだ…お前達と契約を交わそう」
そう答えれば、石田はほんの僅か目端を緩ませる。
「そうか」
契約は滞りなく進んだが、その間も石田は心此処に在らずな状態で…そして随分と憔悴しきっているようだった。
その様子はすぐにでも壊れそうで、見ていられなくなった私は石田に声を掛けていた。
「…石田、一体何を思い詰めているんだ」
私が誰かを心配するとはな、私にこのような感情があったのか。
「…それが、貴様に関係有るか?」
「無い、な。しかし我らはお前達と契約を交わした。内容如何によっては我らの不利益になるかも知れない」
随分な詭弁だと己自身思ったが、石田はそれ自体は気にした風もなく、
「………唯の私事だ」
ただむっすりと言い捨てるだけだった。
「そうか」
「孫市…」
「何だ」
石田はその先を言うか言わないかで迷っているのか、目を揺らめかせ唇を噛む。
「私は、どうしたら良いのか分からない…」
ぽつり、と零す石田。
それが引き金になったのか、途端に声を荒げ私に掴み掛かってきた。
「あの男は私を見ない!私の向こうに誰かの影を見る!!私はそれがひどく、」
石田の手は、体は、声は、怒りで打ち震えている。
しかしその目は怒り以上に
「ひどく、悔しい」
悲しみを湛えていた。
「いっその事、あの男を、殺してしまいたい…っ!」
取り乱した石田は最後には項垂れ、搾り出すようにそれだけを言った。
私の肩を掴んだその手も力無く滑り落ちる。
「落ち着いたか、石田」
「…ああ」
そう答えた石田は確かに訪れた当初よりは落ち着いたようだった。
溜め込んだものを吐き出せた事が良かったのだろう。
「貴様に言っても仕方の無い事だったな…。忘れろ」
自嘲気味に笑う石田はきっとまた溜め込んでしまう。
何と不器用な生き方だろうか。
「…我らはその様な感情を持った生き方をしない」
「…そうか」
「しかし何故だろうな。お前は苦しげなのに私はそれが羨ましくも思う」
何を言っている、と睨め付ける石田。
その騙りも裏も無く感情を露にする目が、奴の真っ直ぐに生きる証拠のようで少し微笑ましかった。
「誰かをそこまで想えるお前はとても美しいな」
石田は驚きで目を丸くしていたが、少しの間を空けて「そうか」とだけ返して視線を私から逸らした。

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