それは、

「すまなかった」
目の前には頭を下げる男。
どんな顔をして会えばいいのか分からずに、避け続けていた男。

朝の内に「客人」が居なくなり、城内は戦準備で俄かに騒がしくなっていた。
そんな折に話しがある、と逃げる間もなく腕を掴まれ座敷に引っ張り込まれた。
男が頭を上げ、初めて「ちゃんと」目が合った。
「何を、謝る」
私は思ったよりも冷静でいる事が出来た、と思う。
ともすれば男を殴りつけたりしてしまうのでは。そう思っていたが平淡な声が出ただけだ。
「…俺が弱いばかりに、お前を傷付けた」
後悔に顔を歪め、訥々と語る男。
「すまない…本当に…」
男の襟元から覗く肌には赤黒い痣が浮かぶ。
「壱矢」
私は手を伸ばし、それに触れる直前で止めた。
「痛むか?」
虚を突かれたのだろう、男は目を見開き「大事無い」と小さく呟いた。
ああ、この男も、
「貴様は何も分かっていない」
私も、
「私は貴様の詫びや弁明が欲しいわけではない」
本当に馬鹿だ。
この男の背に庇われてしまった。その背は私が思うよりも広かった。
この男はずるい。
私はまた期待してしまう、この男が私を見るのではないかと。
「私が欲しいのは……」
言葉を切った私に、男は困惑顔を浮かべた。
先を促すようなそれに、私は首を振って返す。
欲しいのは、たった一言。
それを教えてやるのは簡単だが、それでは駄目だ。
「待っていてやる。分かるまで…待っていてやる」
この男はきっと分からないから…答えをやらない事でこの男が考えて、考えて…私の事を考え続ければいいだなんて。
あまりの己の浅ましさに泣きたくなる。
「だから、必ず…言え。それまで私は貴様を許さないからな」
そう言い切って目の前の男、壱矢に抱き着いた。
壱矢は一瞬身を固くしたが、力を抜くとたどたどしく私の背に手を回した。
「…分かった、約束だ」
その声は優し過ぎて、また少し泣きたくなった。
ほとんど初めてと言っていい程に近くに感じる壱矢の体温。
私は壱矢の胸に顔を埋めて、顔を見られないようにした。
ぎこちなく背を擦る壱矢の掌は大きくて、熱かった。

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