聞かせてくれ、教えてくれ。





カーテンも天上も壁も服もシーツも、視界に映る全てが白かった。四角い一室に充満する様々な薬品の混ざり合った匂い、即ち病院の匂いは好きではなかったが、自分が病院の一部になった途端にたちまち分からなくなった。ごわごわしたシーツの感覚も、全く味の無いお湯の様な食事も、折原の腕に繋がれた点滴も、小さな違和感は直ぐに消えてなくなった。

折原は二週間ほど前、血まみれの状態で病院に運ばれた。左の腹と耳から大量の出血をしており、病院に運ばれた時には既に両耳の聴力を失っていた。その日から折原の音の無い生活が始まった。今まで聞こえていた物が何一つ聞こえない世界。車の音、風の音、他人の笑い声、小鳥のさえずり声、自分の声、脈を打つ心臓の音も、両耳を手で塞いだ時に聞こえる地鳴りの様な血液の音さえも。両手を何れだけ叩いても、肉と肉がぶつかる音が全く音が聞こえない。痛みは感じるのだけれど、折原の耳には一ミクロン程も届かないのだ。突然全ての音が遮断された世界は気味が悪く、虚しく、気が違いそうになった。



(いっそしにたいとさえおもった)

(だけど)



気が違いそうになる折原をなんとか食い止めたのが彼女の存在だった。折原が血まみれで病院に運ばれてから毎日通っている、折原の彼女。純白のワンピースを身にまとった彼女もまた病室に馴染み、病室の一部のように感じられた。折原の彼女は毎日、朝と夜と二回病院に通い、朝と夜と二回涙を流す。ベッドの横の椅子に腰掛け、何を話す訳でもなくただじっと折原を見つめ、涙する。何の発言もしないのは、どうせ喋っても折原の耳には届かないだろう。と思っているからではなく、彼女の発言が届かない自分への気持ちを気遣っての事であると折原は思っていた。

口にこそ出しはしないが本当に彼女には精神的に救われている。感謝もしていた。しかしその反面、自分が刺され、聴力を失った事で彼女は相当深いダメージを覆っている事も分かっていた。健康そうだった彼女は少し窶れ、毎日泣くせいで目の周りが真っ赤だ。



(ほんと、ごめん)

(きみには迷惑かけてばっかだ)

(駄目だな)

(なんて、今更だけど)



しかし彼女と別れるなどと考えた事は無かった。こんな状態になった自分といたら彼女が幸せになれない事は分かっている、しかし彼女を手放したくなかった。彼女の幸せよりも自分の我が侭を優先してしまう、そうでもしなければ折原は壊れてしまいそうだった。きっと彼女が折原の前から消えれば、間違いなく折原の気は違ってしまうだろう。



「    、」



ぱくぱく、と彼女の口が、折原が入院して初めて動いた。勿論彼女の声は自分の鼓膜には響かないし、何を言っているのかは分からなかったが折原は少し嬉しかった。まだ折原の耳が機能を果たしているとき、彼女はよく喋り、笑う女の子だった。いつも楽しそうに他愛の無い事を話して、笑う。折原はそんな彼女が好きだった。だから自分のせいで喋らなくなる彼女を見ていると申し訳なく、悲しい気持ちになったのだ。



(何でも良いから)



少しずつ、ゆっくりと。折原の手を握り、彼女は口を動かした。頬に透明の涙を伝わせて、目を赤くして、鼻を啜りながら。繋がれた手は少しだけ痩せているように思えた。折原の耳が聞こえなくなろうと、繋がれた手の感触、体温、脈は感じられる。耳だけが意思疎通の手段ではないのだ。伝えたい事は紙にかけるし、抱きしめる事も出来る。そう考えていると少しだけ折原の心は軽くなった。そして思う、ずっとこのこと一緒にいたい、と。

じんわり、と鼓膜が痺れた。聞こえる筈の無い、柔らかく、優しい彼女の声が聞こえた気がした。


(あいしてる)










「違うの、ほんとうは」

「わたしが折原を刺したの」




「耳、ごめんね」

「わたし以外の女の声が折原に聞こえるなんて」

「耐えられなかったの」




「お腹、ごめんね」

「さすところ、間違えちゃったの」

「狙ったのは、そこじゃなくて、ほんとは」

「しんぞう。」





(俺が退院したら、二人でどこかに行こう)

(君の笑った顔がみたい)




聞いてはいけない、知ってはダメ。
あなたををころしたかったの、わたしといっしょに。







0626 さいしょは純愛だったこの話





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