目が覚めるともう折原さんは居なかった。ひとりぼっちの部屋の中はまだ薄暗くて、冷えた空気がわたしの体温をどこかに持っていく。ケータイを開くとまだ朝の五時だった。ケータイを閉じて鈍い痛みに気付く。右の人差し指が痛いと思ったら内出血していた。折原さんに噛まれた所。こんなに歯形つくまで噛むなんて折原さんはわたしの人差し指を食い契るつもりだったんだろうか。変な色に変色したわたしの人差し指は脈打ってじわじわ熱くなる。折原さんのざらざらした舌の感覚が鈍く頭の中に広がって、今度は顔が熱くなる。あの人の舌は猫みたいにざらざらしてる。(だからあの舌が体を這うと、ものすごくくすぐったいんだ) 部屋の中に、折原さんはもう居ない。あの人は行為が終わるとすぐに消えてしまう。いつもいつもわたしを置いて部屋を出て行ってしまう。わたしはずっと一緒にいたいのに。なんて言ったら折原さんに捨てられそうで、怖くて絶対に言わない。わたしは折原さんに捨てられたくないから、言われた事は何でもするし、もちろん我が侭なんて言わない。折原さんはあんなにかっこ良くて頭も良いからすごくもてるし、わたしなんかより可愛らしい素敵な女の人はいくらでも寄って来る。わたしは折原さんにとって別に特別な存在なんかじゃなくて折原さんの周りにいる複数の女の中の一人だって事くらい分かってる。折原さんにとってどうでも良い存在だから我が侭なんて言ったらすぐ捨てられる事も分かってる。 折原さんはどうしてわたしなんかを抱くんだろう。大して美人じゃないし頭も悪いし運動もまるで駄目だし良い所なんて一つもないわたしをどうして抱くの。 「折原…さん」 「なーに」 「えっ?」 静寂を破ったわたしの声に返事をした低い声。わたしの大好きな、大好きな、声。ベッドから飛び起きると真っ黒なコートを着た愛しい愛しい影がベッドの側に立っていた。…どうして、 「おり、はらさん…?」 「なに?」 「…あの、どうして、ここに…」 「俺が俺の家に居たら何かおかしい?」 「いえ、…おかしく、ないです」 折原さんはコートを脱いでベッドの中に入って来た。今まで外に居たからだろう、体が冷えきっている。わたしは頭の整理が出来ないまま、折原さんが眠るのを邪魔しちゃ行けないと思ってベッドを出ようとした。ら、突然折原さんがわたしの腕を引っ張って、体制を崩したわたしはベッドに倒れ込んだ。 「わ、ごめんなさい!わたし帰りますっ」 「何で?」 「…わたしいつまでも折原さんの部屋で寝ちゃってて…邪魔でしたよね」 「は?いればいーじゃん」 「でも、」 「俺寒いんだよね。一緒に居てよ」 「…は、い。」 折原さんがわたしを抱き寄せた。小さなわたしは折原さんの体にすっぽり収まってしまう。こんな風に折原さんに抱きしめられるなんて産まれて初めて、で。いつも折原さんはすぐに居なくなっちゃうからこうしてベッドの中で一緒に寝るなんて事も産まれて初めてで、わたしはもう何をどうしたらいいのか分からない。 「名前の体あったかー」 「…折原さんは、冷たいです」 「だからあっためて」 折原さんがもっときつくわたしの体を抱きしめてくれる。それからさり気なく名前って呼んでくれた。なんだか現実じゃないみたい、と思う。幸せが重なりすぎて夢みたいだ。でもわたしを抱きしめているこの冷たい体は間違いなく本物の折原さんで、この声も、においも、体温も、全部本物で。ああ、別にもういいや。折原さんの一番じゃなくても、わたしは十分幸せ。幸せすぎるくらい。 「名前、七時に起こしてね」 「分かりました、折原さん」 後二時間だけ、わたしは幸せに浸っていられる。折原さんに抱きしめて貰える。永遠に七時なんて来なければ良いのに。もしわたしが七時に起こさなかったらいつまでも一緒にいられるのかな、なんて馬鹿な事考えるのはやめた。だってわたしは今幸せなんだもの それを不自由だと喩えるなら幸せなど来ない title by mutti 100207 |