トビウオの夢 | ナノ


「おーい、窓は閉めないでくれ」

事務所の窓が開いていたのに気付いたのは、ついさっきのこと。兄弟子はレオくんと情報集めの外回りに出されていて、クラウスさんやチェインさんもいない、珍しく静かな日だ。そして、気候が穏やかなHLでも強めの風がある日だった。スティーブンさんの机の書類が飛ばないように、そう思って窓に手をかけたところで、机の主が現れた。

「書類、そこの本でも重石にして載せといてくれたらいいから」
「...わかりました」

適当に置かれていた本を一冊とって、書類の山のてっぺんに乗せる。飛んでいきそうだった書類は本の重みでしっかりとおさえられて、飛んでいきそうな気配はなくなった。

「すまない、今日は開けとかなきゃいけないんだ。結構いつも突然来るもんでね」
「来る?あの、窓から?」
「ああ。今追ってる魔術系犯罪の資料を外部に頼んでて、そのデリバリーがね」

空からくるデリバリー、と聞いて思い出されるのは先日レオくんから見せてもらった遠い島国のアニメーション作品だ。黒猫を連れた女の子が、空飛ぶ箒に乗って届け物をする、ほっこりとする作品だった。でもまさか、と思えないのはここがHLだからだろう。

「時間は聞かされてないし、紅茶でも飲みながら待つのがいいかと思ってね。飲むだろう?」
「あ、ありがとうございます...」

外部からの使者が窓からくる、と聞いてもピンとこない。見ればわかるさ、と笑うスティーブンさんの手にはトレーがあって、3つのマグカップが整列していた。今の事務所に残っているメンバーは僕と彼だけのはずなのに、不自然に残ったもう一個のマグカップに自然と目がいく。

「ああ、噂をすれば」

開け放ったままの窓が、大きな影に覆われたのを僕は見た。
かつん、と窓の桟に固いものが当たる音がした。続いて吹き込んできた風の渦は優雅に羽ばたく翼から生み出され、やがて穏やかに消えていく。半人半鳥、その表現がぴったりと合う生き物は、伏せていた目をすっとあげるとにっこりと微笑んだ。

「こんにちは、ミスタ・スターフェイズ」
「やあ、ナマエ」

ナマエ、というのか。絵画の中の天使のような、それとは似つかないような、そんな不思議な姿をした半獣。彼女は綺麗に磨かれたライブラの床を傷つけないようそっと足を動かして降りてきた。

「頼まれていたものです。だいぶ急いで来たんで、欠けてないか確認してください」
「助かるよ。今日は寒かっただろう」

抱えていた重そうな封筒が、スティーブンさんの言っていた資料だろうか。中身を確認してよしと頷いた番頭は、用意していたマグカップを渡す。

「ありがとう、ミスタ」

マグを包んだ彼女の手は人のそれで、寒さからか少しだけ爪が青紫になっているのが見えた。

「君のマスターはなんて?」
「おそらくライブラの力があれば十分とのことです」
「手助けはこれだけか...。そうだ、新しいメンバーが入ったんだ」

新しいメンバー、とは。そこまで聞いて、僕はハッと我に帰る。惚けている場合じゃないのだ。ライブラと友好関係にある組織のメンバーと僕をスティーブンさんが引き合わせているということは、僕はパイプの一つに選ばれたということなのだから。

「ツェッドといいます...ツェッド・オブライエン」
「ご挨拶が遅れました。魔法技術師協会のナマエといいます」

手渡されたマグカップのおかげで少しだけ暖まった手が、僕の冷たい手を握る。ゆるやかに握手を交わしながらじっとお互いのことを観察していると、ナマエさんがそっと言葉を選ぶように口を開いた。

「あなたは...」

しかし、その言葉の続きは紡がれることなく消える。何か、とても言いにくいことなのだろうか。首をかしげていると、スティーブンさんが苦笑いをしながら小さく呟いた。

「彼も君と同じさ」

同じ、という一言。彼女の姿と僕の姿、それを含めて何を示すのか、僕は聞かずともわかってしまった。目をまるくしたナマエさんは、スティーブンさんを振り返ったあともう一度僕を見た。人に近い瞼を持つ目が、きゅっと細くなって奥でキラリと光った気がした。