DBH | ナノ


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「RK900、名前の登録を」

人間は、名前を呼ばれずに他人に呼ばれた時、その声を聞き分けて反応ができるのだという。

「ニール」

くるくると回るLEDと、瞬きがいくつか。
冷たい目で愛想笑いを浮かべた綺麗な顔が、復唱する。

「私はニール」

す、と片手が伸びて来て、握手を求められる。
やはり震える手を何事もなかったふりをして、その求めに応えた。

「よろしく...ニール」
「ええ、改めて」



刑事の仕事といっても、毎日事件を追っかけているわけではない。新人のやることはとりあえず事務作業が大半で...つまり動かないデスクワーク。
ほかの刑事も仕事をする上で免れないことではあるから、仕方ないけども、それでも身体はだんだん鈍って行くのを主張する。

「何か事件起きないかなあ...」

カフェテリアのスタンディングテーブルで漏れた不謹慎極まりない呟きは、オフィスの喧騒にかき消されて誰にも届かないからちょうどいい。

「おいコナー」
「なんでしょうハンク」
「行くぞ、通報だ」
「XX通りの事件ですね」

アンダーソン警部補が、相棒のアンドロイドと出かけていく。事件が起こらない日はないので、ただ単に私に担当させてもらえる事件がないだけなのだとはよく分かっているつもりである。

「はあ...」

自然と出たため息は、そんなもっと違う仕事やりたいと言う欲求とは別の悩みに原因があった。
ニールのことである。
あの身体つきの良さ、そしてあまり喋らないせいか、とても威圧的。時々話しかけても「それは必要ありません」だとかなんとかで打ち解ける気もない。
そしてなんと言っても、あの冷たい目線。

(怖いんだよなあ...)

底冷えするような視線にさらされると、嫌な記憶まで蘇ってくる。それだけはだめだ、と思い気をそらすべく、カフェテリアに設置された画面に視線を戻した。

『革命の日から...年の月日がたち、アンドロイド製造する権利をアンドロイド側に譲渡したサイバーライフは選択を迫られています...CEOに復帰したイライジャ・カムスキー氏は...日に声明を発表し...』

ニュースはアンドロイドが最近新しく進めている権利拡大や、サイバーライフのアンドロイド製造に関するニュース...ここ数日続けて見ている内容で特に代わり映えはなさそうだ。そんな考えごとをしながら、紙のカップに口をつける。

「暇そうだなァ新人」
「!! アヅッ」
「何やってんだ間抜け」

ニュースに気を取られすぎていた。突然掛けられた声に動揺してコーヒーを零したせいで、反対の手の甲が被弾して悲鳴をあげる。
現れたのはギャビン・リード刑事...初日に私を見ながらゲラゲラ笑っていた先輩。
ここ数日過ごした感覚では、ほかの刑事には突っかかり警部補には突っかかり、私も既に数回いびられ...かなり嫌な奴だ。

「デスクワークで暇してんだろ?今しがた通報があった事件に連れてってやるよ」
「...暇ではないです、まだ処理しないといけないのが山積みで...」
「あ?」
「ハイ暇デス、準備シテキマス」

この先輩は怒らせないほうがいい。署に勤めるほかの同僚や警官と世間話をした中でもそう忠告された。
デスクで銃とバッヂと最低限のものを準備して出れば、早々に用意が終わったリード刑事とRK900が二人待機していた。

「行くぞお嬢ちゃん」
「...バカにしないでください」

バカにされるのも限度がある。
ささやかなに不満を漏らせば、ハンと鼻で笑われた。

「少しは可愛げあるじゃねえか」

アンドロイドはお互いを見つめあったきり、黙ったままだ。



レストランでの乱闘の始まりはずっと燻っていた不満だった。

アンドロイドなんているからこんなことになったんだ。気色悪いったらありゃしない。
そんなつぶやきを拾ってしまったアルバイトの変異体アンドロイドが、正論で突っ込んだ。
我々を奴隷にしていたのはあなた方の都合だ。勝手な言い分に付き合ってる暇はない。
言い合いから殴り合いになり、周囲を巻き込んで大きな騒ぎになった、らしい。

警官が仲裁に入ることはしばしばだが、刑事と捜査官が投入されるのはだいぶ大きなことになったものだけだ。
ぐちゃぐちゃになった店内に入れば、警官がすでに現場を抑えていて被害を受けたアンドロイド数体が座り込み、頬や身体の一部にブルーブラッドを滲ませていた。

「はー、またショボいなこりゃ」

殴った本人たちはすでに逮捕されていて、パトカーへ移送されている。私たちは関係者と顔をあわせ、彼らに話を聞いて護送するためにやって来た。

「さっさと終わらせんぞ」

アンドロイドの供述は、アンドロイドが取る。警官型アンドロイドとRK900たちがそれぞれ散らばり、スキンを解除した手で記録を取っていく。
アンドロイドは人間と違って正確に記憶が録画されるので、人間のそれより絶対の信頼性がある。

「供述の転送が完了しました」

全員それぞれが当たって、すぐに作業は終わったらしい。側にいた家庭用男性型のアンドロイドに手を貸して立たせてやれば、ありがとうとホッとした声がかけられた。

「貴女は刑事?」
「ええ」
「ありがとう...アンドロイドに手を貸してくれる人なんて今まで見たことがなくて」
「...きっと今からはもっと増えますよ」

さあ行きましょうか、と誘導しようとしたその時だった。警官の制止を振り切ってやってきた男が、大声で喚きながらアンドロイドに飛びかかってきたのは。

「お前らのせいで!!!」
「危ない!」

男とアンドロイドの間に入り、拳を頬に一発受ける。ぐわん、と頭が揺れたが、力の入り方が浅かった。まだ行ける。次の動きを読んで、腕を掴めばあとはこっちのもの。背負い投げの形で地面に叩きつけ、制圧できた。
うぐえと呻く男、キョトンとしたアンドロイド、そして片眉を釣り上げたニール。

「手を後ろに!」
「へえ、意外にやるじゃねえの」

先を行って成り行きを見ていたらしいリード刑事が口笛を吹きながら手を叩き、ニヤニヤと笑う。手伝ってくれる気はなさそうで、私は手錠を取り出してその手首にかけながら権利を述べた。

「あなたには黙秘権がある、なお供述は...」

口の端が切れたらしい。血の味がして、ちょっと嫌な気分になった。



「やれやれ。私は保健室の先生ではないんだがね」
「すみません...」
「現場に出る以上仕方ないが、みんな何度言えば分かるんだろうねえ」

お前そのアホヅラなんとかしとけ、とリード刑事にいわれ、苦笑いするクリスさんが教えてくれた検死室にドクターはいた。検死官のドクター・モールズリーは、そんな愚痴を言いながらも穏やかに目元を緩ませて手当をしてくれた。警官なら怪我は日常茶飯事のこと、手当にとお願いしにくる人は多いらしい。
座りなさいと示されたのは空っぽの検死台で、ちょっとだけギョッとした。

「ハイ...」
「何事も命あっての物種だからね。時代遅れかもしれないが、女性が顔に傷を残すのはよくない」

気をつけなさい、と肩を叩かれて氷嚢を渡した彼は、片付けに向かったのかその場を離れる。
残されたのは検死台に座り、ガーゼを頬っぺたに貼った私と、無表情のニールだけ。

「貴方が庇う必要はなかった」
「...そうね」
「私には通常のアンドロイドには使用されない強化フレームが採用されています。指示をもらえれば28秒早く制圧できました」
「あっそ」
「ではなぜあんな無謀な行動を?初めての任務だからと冷静さを欠いていたのでは?」
「っはあ?!張り切って頑張っちゃいけないわけ?!」
「そうは言ってません。貴女の過去の記録を見ましたが明らかにほかの警察官より勤務中の負傷の回数が多い。今後もそういった行動を取るなら私はその対処に当たらなければならない」
「別に対処されなくてもいい」
「...過剰な自己犠牲の精神は何か抱えるトラウマでも?」

パン、と乾いた音がした。あたまのなかは真っ白で、ニールの頬を、思いっきり叩いていたようだ。大声を出して切れた息に、嫌な動悸とじっとりとした冷や汗がやってきた。

「...話す気はない」
「...」
「サイテー」
「......」

デスクに戻ろう。とりあえず、落ち着いたら何か打開策があるかもしれない。自分に言い聞かせながら、その場を立ち去った。



(ソフトウェアの異常:???)
(なまえ:敵対)



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