04
血脈門が開いた、というスティーブンさんの一言で、それまで平和だったライブラ事務所は一気に緊張が走る。
一年前の自分ならその言葉だけで奮い立ったのに、今はただの足手まとい。スティーブンさんは自分の車で先に出ていって、さっきまでフライドチキンを貪っていたザップもスクーターで現場に向かってしまった。
「ハルさんはここにいてくださいね!一人で帰っちゃダメですよ!」
レオは、ザップから呪術開発者の話を聞いてから少し過保護になった気がする。笑いながら分かってるよ、と書いて見せても、絶対ですからね!と念を押してきた。
「じゃあ行ってきます!」
「留守を頼む、ハル」
クラウスさんが、レオとともに出動の時間を告げる。とっさに咲かせたサンダーソニアを渡すと、緑色の目は優しく笑って、わたしの頭を撫でてくれた。
「ああ、分かっている」
諱名を読むため、レオも前線に出て行く。聞いていた話だし理解していたつもりだったけど、少し羨ましく思ってしまった自分を叩きのめしたくなった。ギルベルトさんも二人を前線に送るために出ていってしまって、空っぽの事務所に残されたのは音速猿のソニックと私だけだ。
「......」
緊張感に勉強どころじゃなくなって、ペンをクルクルと回していると、ソニックが遊んでくれると思ったのかじゃれついてくる。危なくないようにキャップの方でうりうりとつついてやれば、ソニックは嬉しそうな顔をしていた。
「失礼します、ハル様!」
びっくりした。誰もいないと思っていたから、肩が思いっきり跳ねた。後ろを向くと、部屋の入り口に立っていたのはフィリップ・レノールさんだった。声は大きいけど、優秀な執事さんだ。
「ミスタ・ギルベルトより、貴女と共に留守を預かるよう言われております」
「!」
ギルベルトさんには何も隠せないな、と苦笑いをひとつ。
1人になってはいけないという約束もあるが、誰もいない空間に自分が取り残されるのが怖くて仕方がなかったのだ。メモに"ありがとうございます"と書いて見せると、フィリップさんは「お礼を言われるほどのことではありませんよ」と笑った。
「ところで、こちらの花瓶に飾る花をハル様にお願いするよう指示をいただいたのですが...」
差し出されたのは小ぶりのガラスの花瓶。
そんなことなら、と持っていたペンで指先に傷をつけた。
今日はどんな花を咲かせよう。
頭を過るのは戦闘に出ていったみんなのことで、やはりこれしかないと思ったものを中心にすることにした。
花瓶の大きさと飾る花のことを考えながら血を垂らして、集中する。首のあたりが締め付けられるように痛んで息が詰まったが、枯らすことなく花束を作ることができた。
「おお、これは見事...では早速」
ガーベラを中心にカラフルにできた花束を、フィリップさんがテキパキと生けていく。2人と1匹しかいない空間はどうしても静かで、いつも賑やかな事務所がまるで別世界のように感じられる。
「暗い顔をしてますね」
フィリップさんに指摘されて、慌てて笑顔を作る。
誰かがいる前では心配をかけないよう笑っているのだが、崩れてしまっていたらしい。しかし焦りか不安のせいでうまくいかず、歪な表情が出来上がってしまった。
「...貴女の事情はミスタ・ギルベルトからお聞きしました。戦いに行けないから役立たずだと、ご自分を責めているのではありませんか?」
「...!」
ものすごく的確だ。表情が落ちてしまった私を置いて花を生け終わった花瓶を置きに行ったフィリップさんは、お茶を入れてすぐに戻ってきた。
「私はこのHLで脳を奪われこのような姿になるまで、強さとは戦うことだけだと思っていました。しかし強さとは様々な種類があるのです」
フィリップさんが脳を奪われた事件はわたしもよく知っている。
レオとザップがかなり興奮気味に話してくれたからだ。異界の犯罪者に巻き込まれてしまったフィリップさんの救出劇は、ギルベルトさんの運転テクニックと老獪な戦術によって行われたらしい。
無事に帰ってこれたのが奇跡に近い出来事を経験して、彼が随分と丸くなって成長したようだという話は、たしかギルベルトさんから聞いた話だ。
「貴女が呪いに負けず、ライブラに残ってこの事務所で皆の帰りを待っているのも、れっきとした強さだと思いますよ」
ギルベルトさんの紅茶と同じくらい美味しい紅茶を飲みながら、言われたことを噛みしめてみる。
待つのも強さ、か。
1年前では考えられなかったことだ。こんな身体にならなければ、戦闘に行く人たちを送り出し、帰りを待つのがこんなにも恐ろしいことだとは思わなかったのも事実だ。
「先ほど頂いた花にも、みなさんの無事を祈る意味が込められていたのでは?」穏やかに笑うフィリップさんも、ギルベルトさんと同じように隠しごとはできないのかもしれない。
「長い一日になりそうですね」
戦っていると一瞬の時間が、待つとなると体感時間が数倍になった気分だ。フィリップさんの言葉に頷きながら、わたしはもう一度紅茶を啜った。
*
「今戻った」
「そっちの温室を開けて水槽置くぞ、手伝ってくれハル」
その日の夜遅く、何やら大きな水槽のようなものと、気絶した水色の半魚人を連れてみんなは帰ってきた。
温室に場所を開けたり、今日の戦闘の事後処理を手伝っていたら夜はいつのまにか明けていて。ぐったりとしながら帰宅したり仮眠室に籠った人を見送り、ソファで倒れているみんなにブランケットをかけて一息ついたころにはすっかり日が昇っていた。
「...!あなたは」
一息ついて、わたしも寝ようかと思ったけれど、目が逆に冴えてきてしまった。みんなを起こさないように足音を忍ばせて温室へ入ると、半魚人さんはもう目を覚ましていたようで、ぐるりと水中で身体を回して振り返った。
"見えますか?"
持ってきた会話用ノートに書いて、彼に見せる。ぺたりと水槽の壁にくっついた半魚人は、わたしの質問にこくりと頷いてみせた。
"わたしはハル・星咲といいます。ライブラのメンバーです"
「僕はツェッド...ツェッド・オブライエン...」
"みんな、今さっき仕事が終わって、まだ寝ています。わたしは寝付けなくて、様子を見に来ました。よかったらお話しませんか"
*
レオと初めて会った時のように、ポツポツとお互いのことを話していると、だいぶ時間が過ぎていた。わたしが筆談しかできないということもあるかもしれないが、ツェッドさんは新鮮な感じで面白いと言ってくれた。彼の人生で一番長かった日の話を聞いていると、突然ドタンバタンと騒がしい音がして、踏みつけられたネコのような悲鳴と、レオ!!と叫ぶ声が響く。あちこちを走り回るドタドタという足音がして、温室のドアが乱暴に開けられた。
立っていたのはやっぱレオナルドで、わたしの姿を見た瞬間ほーっと長い長いため息をついた。
「ハルさん、よかった、ここにいた...」
レオはわたしを何だと思っているのだろうか。あんなに念を押されたのに、帰ったりしないよ。そんなことを思いながらノートに"おはよう"と書いて見せると、へなへなと座り込んだレオがもー!と怒り出す。
「一人で帰っちゃったのかと...びっくりしたんスから!」
"うんうん、ごめん"
「ザップさん踏みつけてきちゃったし...」
「うちの兄弟子ですか...全然踏みつけてもらって構いませんよ」
「え...」
水槽の中のツェッドさんの思わぬ爆弾発言に、わたしとレオが一拍おいて大爆笑してしまったのは、言うまでもない。
「す、すいません、つい...」
「もしかして、貴方達にも何かうちの兄弟子が迷惑を...」
「あー、それに関しては、ノーコメントで」
さっきのレオの足音よりも乱暴な音がどんどん近づいてくる。これは賑やかになるな、と笑う。
わたしの長い一日は、もう少し終わりそうにない。
(20150701:加筆修正)
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