BBB | ナノ


00



長い長い夢をみていた。最初に感じたのは聴覚。聞こえたのはざわざわとした人の話し声で、つぎに感じたのは匂い。吸い込んだ空気はツンとした消毒液の匂いがして、その刺激臭に思わず顔が歪んだ。

「ハル...?」

この声は誰だろう。低くて、荘厳さを持った、大好きな声だ。脳裏に浮かんだのは、紅い体躯をもつ我がライブラのリーダーの顔。
クラウス・V・ラインヘルツの顔を思い出したその瞬間、今わたしがなぜこんなところに横たわっているのかを思い出した。
そうだ、わたしはたしか、久しぶりの血界の眷属との戦いに行っていたんだ。呪術に長けていて、苦戦してたんだっけ。バリケードを作り損ねて受けてしまった呪いが喉に張り付いて、息ができなくなったところで意識は終わっているが、生き残ったのか。

(起きなきゃ)

まだくっついていたいという瞼を無理矢理持ち上げて、たくさんの生命維持装置を引きずりながら顔を動かす。長らく動けなかった首の関節は、動かすたびにポキポキと骨が軋む音がした。紅い体躯はやはりそこにあって、わたしを覗き込む緑は心配と安堵をかき混ぜたような色をしていた。

「ハル、目が覚めたのか」
「 、 」

クラウスさん、と言ったはずだった。なのに喉がカラカラなのか、出たのは空気が出入りするはくはくという音だけ。でも、本当に乾いているだけなのだろうか。何かがおかしい、と頭の隅でわたしが叫んだ。

「どうしたのだ、ハル」
「ザップ、医師を呼んでこい!」
「ナースコールあるじゃないっすか!」
「いいから!」
「ハル!」

クラウスさんが、そばにいたチェインさんが、ちょっと離れたところにいたザップさんとスティーブンさんが、慌てて動き出す。
みんなに囲まれたベッドの上でわたしは、何か言わなきゃ、ともう一度口を開ける。

「 、 、」

それでもやっぱり出たのは空気だけで、しばらくはくはくと口を動かしたのちに静かに口を結ぶ。これは乾きなんかじゃない。
声を出すときに感じる振動を、喉がしていないのだ。
カラ回りした喉が異様に痛くて、咳でごまかす。

「声が出ないのか」

クラウスさんの問いかけに頷いて答える。点滴を打っている右手を、落ち着かせるようにチェインさんがぎゅっと握った。

「ほかに異常はないか」

声が出ないショックで紛れていたが、言われて考えれば、身体のどこかを鷲掴みにされたような気持ち悪さがある。視線はなぜか自然と、いつも出血を促す手袋のギミックで傷をつけている左手をみた。そうだ、掴まれているのは、能力を使うときに集中して感覚を回す部分で。

(まさか)

重い左手を動かして、歯で皮膚を食い破る。
ポタポタと落ちてきた血を布団に垂らして花を咲かせようとする。
勘違いであってほしい。気のせいであってほしい。そんな願いもよそに現れた花は、咲ききらないうちに一瞬で枯れてしまった。
クラウスさんを見上げると、彼もまた驚愕の表情を浮かべている。

「奴が残した呪いだ」

誰かがそういった。呪い。
あのとき受けた、喉の。
わたしがわたしであるための能力が、無くなりかけている。
打ちのめされたわたしの頭の中は真っ白で、誰が言ったのかはわからなかった。




prev next