米屋から黒トリガーの争奪戦の話を聞いて、使命感と近界民の排除云々のために戦っている三輪とは対照的に、木虎ちゃんとの勝負の話を嬉々として語るこいつは、ボーダーの精鋭であるA級に相応しいかどうかは正直微妙なところだなと思った。実力があるのはちゃんと知っているけれど、それ以外の部分が色々と他の人よりずれている。

 彼の話を聞いて、考えたのはそれくらいだった。そのはずだ。なのに今、「木虎が」とそのくちびるが動くたびに、胸の真ん中がちくちくと痛むのは何故だろう。答えは解らないこともない。でも信じたくなかった。とても、不毛だからだ。


「んだよお前、腹でもいてーの?」
「え?」
「難しそうなカオしてんぞー」

 眉間のシワを親指と人差し指できゅっと摘ままれる。思った以上に近くにあった米屋のカオは、イタズラが成功した子どもみたいな表情だ。正常で適正な心の距離だと思う。友達以上恋人未満、なんて甘酸っぱい響きですらない。せいぜい悪友未満だ。

「………、かも」
「んあ?なんて?」
「おなか、いたいかも。保健室行ってくる」

 本当はお腹じゃなくて心臓が痛い。きりきりとした痛みに変わったその胸をそれとなく服の上から押さえて、ゆっくり席を立つ。保健室のベッドは空いているだろうか、保健の先生に詮索されたら女の子の日だって言おう。そして薬はあまり効かないからと言って一時間だけ寝て、そしたら、ぜんぶ無かったことにだってきっとできる。


「っわ、」
「あ、わり…っ、大丈夫か?」

 突然腕を引っ張られて体勢が崩れて、足がもつれた。ただそれだけのことなのだけれど、要因である米屋は何を思ったのか、らしくない柔らかい言葉を吐いて、わたしの肩を軽く支えてわたしに合わせて歩きだした。自分を棚に上げるけれども、授業はどうする気なんだ。その前に何故ついてくるんだろう。触れられている肩や腕が火傷しそうなくらい熱いのを感じる。早く離れてくれないと困るのに、身をよじればその分だけ強く肩を抱かれる。仕方がないので何か言ってやろうと米屋を見上げると、「痛みは大丈夫か?」と見当違いな答え。わたしがお腹がいたいと言ったせいで心配されているということだけはなんとなく分かった。

「だ、大丈夫だから。教室戻りなよ」
「一人で行って途中で倒れたらどうすんだよ」
「倒れないって、」
「いいから」

 こんなに真剣で真面目な表情の米屋を見たのはいつぶりか。戦っているときは笑ってるし、勉強してるときは分からない問題を前にうんうん唸っているから、眉間にしわが寄っている。そのどれでもない、初めてみるカオだ。余計に心臓がいたくなってきた。
 教室や廊下の騒がしさが離れていく。わたしはゆっくりと足を止めた。米屋は立ち止まったわたしに合わせて止まり、心配そうに背中を丸めてわたしと目線を合わせようとしていた。ボタンをふたつ開けてあるシャツの襟を掴んで、背伸びをして顔を近づけた。ほんの一瞬、くっついたかもしれないという程度に触れたくちびるは、感触なんてすこしも分からなかった。


「米屋といると、色んなとこが苦しい。だからついてこないで」


 保健室とは真逆、屋上へ続く階段を登る。足音は自分のものしか廊下に響かない。随分ばかなことをしたし、冷たいことを言ってしまった。友達以上ですらなくなるのかもしれない。今となってはどうでもいいことだけれど、男女の友情はやっぱり成立しないのだろう。ちなみにわたしは成り立つと考えていたタイプだった。笑い話にもならない。







「なあ」


 屋上で唯一日陰になる場所へ腰を下ろせば、後ろからよく知った声が聞こえてきた。一度も振り返らなかったのは確かだけど、足音もしなかったのに。音も気配も消せるなんてなるほどA級は大したものだと、心の中で皮肉を吐いた。

「一応、確認すっけど。腹が痛いわけじゃねーんだよな?」
「…そうだよ」
「で、体調が悪いわけでもない、と」
「………そう。嘘ついたのもさっきのも、謝るよ。だから授業戻りなよ」
「何言ってんだ。俺がこんなチャンス逃すわけねーじゃん」


 一瞬で、背中にコンクリートの冷たさを感じた。日陰だってなんだって、空を仰いだらすこし眩しい。世界の反転はあまりにも突然で受け身なんて取れるわけもなかったけれど、頭に衝撃はなかった。わたしの後頭部とこの屋上のコンクリートの床との間に米屋の手のひらが添えられたらしいということに気付いたときには、逆光で自分の上にいる男の表情が見えなくなっていた。


「で、さっきのアレは、どう受け取りゃいい?」
「………忘れてくれていい」
「バーカ。甘えっつーの」


 米屋の手がわたしの耳に触れた。細長い指が耳朶の輪郭をなぞっていくその動きに、背筋がぞくぞく震える。「耳、よえーんだ?」嫌に楽しそうな声が本当に近くから聞こえたと思ったら、ぬるりと生温かい感触がやってきて、普段出さないような声が上がる。思い切り目を瞑って顔を背けてやり過ごそうとしたら、こっち向け、と優しい響きが降ってきた。

「色々期待すんだけど。俺ら、付き合えるって結論で問題ねーよな?」
「え…?」
「俺のこと別に好きじゃねーってんなら、今からすること、ちゃんと拒めよ。じゃねーと調子乗っちまうから」

 視線がぴったりと合う。米屋が顔を傾けて目を閉じたとき、わたしも同じように瞼を下ろした。隙間なく合わさったくちびるから、温度がせり上がっていく。そこそこ長いけれど、舌なんかはすこしも触れないキスだ。角度を変えて何度もくっついたり離れたりが繰り返されるけれどその間に息継ぎをすることができず、わたしは右手で米屋の胸を押した。


「…こんなもんで息上がられたら、俺が困るんだけど?」
「…、うる、さい…っ」
「うわー、なんかそそるわ」

 くすくすと笑っておでこにも同じようにキスをした米屋を、逆光に慣れた目がとらえた。嬉しそうで楽しそうだ。授業が終わるまであと30分はあるはずだ。ほんのちょっとだけの身の危険と、くすぐったい幸せを感じながら、わたしも笑った。
 わたしたちはたった今、友達以上なんとか未満の関係を卒業したのだ。


title by 英雄

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芦夜さん/米屋陽介(wt ワールドトリガー)


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