今日は、この地では例年稀に見るほどの大雨が降った。障子を開けていなくても、ざあざあとすさまじい雨の音が聞こえて、少しうんざりした。この雨だと、遠方に帰省した後輩たちはひどい目にあっているだろう。心の中で同情しながら本でも読んで暇をつぶしていると、あっという間に夜になってしまった。夏休みの初日が、何もしない最悪な形で過ぎていった。
せっかくの夏休みだというのに、やることがない。誰かと話そうにも、私は忍たまとは仲が良くないし、くのいちの友達はみんな帰省してしまった。図書室で借りてきた本をぱたんと本を閉じ、あまりにじめじめとした部屋の空気が気に入らなかった私は、なんとなく部屋の外に出てみた。すると、ここはくのいちの長屋のはずなのに、なぜか忍たまがいた。暗闇でも目立つ紫色の装束、肩に担いだ大きな踏鋤。この時点で大体誰か見当がつく。彼は私の部屋の前に植えてある、夏の日差しですっかり枯れてしまった紫陽花を、指でつんつんとつついている。私がわざと大きな音を立てて障子を閉めると、彼はゆっくり振り向いた。やはり、四年い組の穴掘り小僧だ。

「綾部喜八郎ね」
「どうも、こんばんは。よくご存知で」

あれだけ色々やってたら当然だろ、と言ってやりたくなったが、まず、注意をしなくてはならない。こいつは学園中で穴を掘りまくって下級生を餌食にしている穴掘り小僧だ。自分の部屋の前を落とし穴だらけにされてはかなわない。

「ここで何してるの?いくら私しかいなくても、ここ、くのいち教室の敷地よ。このへんに穴掘ったりしてないでしょうね」
「ああ・・・今日は地面がぬかるんでますから、穴掘りはまた今度にします」
「はいはい、ぜひ別の場所でお願い」

とん、と地面に降りて、彼の隣にしゃがむ。綾部は一瞬不思議そうにこっちを見たが、また紫陽花の葉をつんつんとつつき始める。いったい何がそんなに楽しいのだろうか、と覗き込んでみると、彼の指の先には、ちいさなかたつむりがいた。のろのろと紫陽花の葉の上を這ってみたり、時々綾部の手にぶつかって、小さな目玉を引っ込ませてみたりとせわしないそれに、私はつい見入ってしまっていた。綾部が「どうかしましたか?」と聞いてきたので、私はついつい憎まれ口をたたいてしまう。

「これをいじめてたのね」

かたつむりの進路を妨害しながら、綾部は面倒くさそうに「遊んでるんです」と 一言。本当に、この子は何をしにここに来たのだろう。どこかの迷子やナメクジ中毒じゃあるまいし、忍たまの教室からかたつむりを追いかけてここまで来た、なんてことはいくらなんでもないだろう。それなら、

「誰か、お目当ての子でも?」
「はあ」

意を決して聞いてみたけれど、どうやらそういうわけでもないらしい。なんだよ、はあ、って。どっちつかずな返事に困惑し、どうしたらこの子と普通に会話ができるのか、と沈黙の中で考えていると、綾部は私の目を、自分の大きな目をいっぱいに見ひらいて見つめてきた。何か気に障るようなことでも言ってしまっただろうか。まるで幼い子どものように自分の感情に素直な綾部は、やはり何か気に障ったようで、はー、とわざとらしくため息をついてみせた。

「ここにいるだけでそんなふうに言われるのは、心外ですね」

どくん、と心臓が大きく脈打って、この蒸し暑さなのに冷や汗が流れた。綾部の声色があまりに冷たくて、冷酷だったからだ。手元の愛らしいかたつむりでも握りつぶしてしまいそうなほどに、綾部の眉が吊り上がっていく。思わずごめんなさい、と言いかけたが、よくよく考えてみれば、くのいち教室はは男子禁制のはずだ。そこにいるだけで、って、そもそもいることがおかしいんじゃないのか。私はくのいちだけれど、彼はれっきとした忍たまなのだから。数々の罠やカラクリを潜り抜けてまでここにやってきて、誰かお目当ての子がいるのではと言えば不機嫌になるなんて。野暮なことを聞いた私も悪いけど、綾部だって、あってないようなものではあるけれど、校則を破っているじゃないか。

「でも、あなただっておかしいのよ。ここ、くのいち教室だから」
「・・・ああ、そうか」

なんだか拍子抜けしてしまった。すぐに元の声色に戻った綾部は、じゃあお互い様ですね、と、あっけらかんと言った。そしてすぐに私から目をそらし、また紫陽花に目を向ける。いつの間にかかたつむりは別の葉に移動していた。空ももうすっかり暗くなってしまっていた。綾部が相手をしてくれなくなったので空を見上げると、いつもよりきれいに星や月が見えているような気がした。いつか、先輩に聞いたことがある。雨が降った後は、空気中の塵や埃が洗い流されて、いつもより澄んだ空が見られるんだと。今日くらい雨が降れば、さぞきれいになっていることだろう。

「綾部、上見て」
「上?」
「星。きれいよ」

私と話し始めてからずっと、綾部は下を向いていた。綾部はまた私の目をじっと見つめてきたので、また何かしてしまったか、と少し不安になる。すると、彼は何もなかったように視線を上に向けて、「あーあ」と言った。星は嫌いなのだろうか。それとも、彼にしてみたら、いつもと同じ風景に見えて退屈してしまっているのだろうか。

「あれ、すばるですか。六つある」
「すばる・・・違うんじゃない?あれは冬に見えるのよ」
「そうなんですか」
「詳しいことはよくわからないけど」

綾部の指す場所には、確かに六つか七つの星がぽつぽつと輝いていた。私は天文に関してはさっぱりだから、もしかしたらあれは本当にすばる星かもしれないけれど。いち、に、と指を動かしながら星を数える綾部の横顔が、月明かりでくっきりと見える。今まであまり気にしていなかったけれど、綾部はくのいちの間で噂になるだけあって、それなりに整った顔立ちをしている。そうすると急に綾部のことを意識してしまい、顔を伏せてしまう。そんな私に、どうしたんですか、って綾部が聞いてくるから、私はあわてて、なんでもないよ、って取り繕った。それとほぼ同時に生温かい風が吹いたのと、美しく輝く満天の星空が、いよいよ夏を感じさせた。
学園生活最後の夏、今年は、となりでぼうっと星を見る不思議なあなたと、もう少し仲良くなれたらいいな。







			
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