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ちゃぷちゃぷ…と水音をたたせながら、俺は妖精たちが飛び回っているちょうど湖の中心あたりだろう場所へと近づいていく。
チャリ、チャリ、と首からさげたネックレスについた金属のプレートの擦れあわさる音が水音とともに、静かな森に大きく響いた。
妖精たちが集まっていた湖の水面には大きな月が反射され映されていた。
ゆらゆら…と、水面にうつった大きな月が揺れる。
「…、っっと…」
湖の中心部にいる妖精たちに近づくと、俺はふぅ…と、大きく肩で息をついた。
じんわり…と何かに包まれているかのような暖かな錯覚が身体を巡る。
肌を痛々しく彩っていた青あざがすぅ…と消えていった。
あれだけあった痛々しいあとは、湖のおかげでひとつも残っていない。
傷跡だけじゃなく痛みさえも消えさったどころか、身体の疲れも消えている。
もう、すっかり元通り…。
いや、それ以上だ。
数日前よりも肌の血色がよくなっており、艶やかになっていた。
「やっぱすごいな…ここは…」
消え去った傷跡をみて、改めてこの泉のヒーリング能力の高さに驚く。
つかるだけで傷一つなくなるなんて、薬草を高額で欲しがっているやつらがしったらどう思うだろう…。死にものぐるいで欲しがるんじゃないか。
どんなに高額な薬草ですら、ここまで完璧に癒すことはほぼ不可能だった。
ここまで癒しの《ヒーリング》能力がある湖なんてほかにあるのだろうか?
少なくとも俺はここ以外にこんな癒しの《ヒーリング》能力がある湖は知らなかった
妖精たちを侍らせながら、少しだけ湖で泳ぐ。
誰もいない静かな真夜中の湖。
湖で変身をとき、一人手足を伸ばせるこの瞬間は開放感があって、今の俺が自由になれる一番好きな時間でもある。
傷もいやしてくれるし、妖精たちはかわいいし、人気もないここは俺にとっては安らげる穴場であり、誰にも知ってほしくない場所であった。
できるなら、俺が学園に在学している間は、誰にも見つかりませんように…と切に願ってしまう。
誰かにこの秘密の場所が見つかれば変身は気軽にとけないし、こうやって妖精たちとあうことも不可能になってしまうかもしれないから…。
できるなら、このままずっと俺だけの場所であってほしいと切に願う。
「学園を卒業するまで…、あと4年…か…」
学園を卒業するまであと4年。
まだここにきて、1年しかたっていない。
はたして、あの男が何のために俺をこの学園にやったのか…。
学園にきて早1年すぎたが未だにあの男の意図がわからなかった。
あの男は来るべきときがくれば、きっとわかる…って言っていたけれど…。
そのくるべきときはいつなのかだとか、あの男とこの学園なんの関係があるのだとか、そういったことは一切謎なままだった。
「くるべきとき…か…」
はたして、この学園になにがあるのか…。
あの男の考えはいつもつかみ所がない不確定なもので、どれだけ考えても、答えはてんで検討がつかなかった。
くるべきときが、俺にとっていいことかも悪いことかも、そもそも俺に関係があることなのかも、あの男は一切喋ってくれなかった。
あの男の口振りからして、この学園にはなにかある…らしいんだけど…。
この学園に通って1年たつが、これといって、変わったことは起きていない。
プライド高い奴が大勢集まっているなぁ…と思うくらいで、別段、なにか事件があったなどというはなしもない。
「…ねぇ、母さん…。
なにがあるんだろうね…この学園に…」
首に下げているネックレスを手で持ち上げて問いかける。
当然、ネックレスに問いかけたところで返事はなかった。
ベル・ド・リリス
私の宝物。
ネックレスには、3枚の銀のプレートのタグがつけられている。
このタグは自分を示す認識票のようなものであり、3枚のうち、2枚のタグには俺の名前とメッセージ、私の宝物の文字が記されていた。
これは、母からもらった最後の思い出の品であり、俺の宝物でもあった。
このネックレスをみていると、母とのことを思い出す。
ふわふわとした、掴めない煙のように自由でいつまでも少女めいていた母を…。
「…なるようにしかならないか…。
あの男はなに考えているかわからないけど…わるいようにはならないだろ…」
つぶやいて、プレートを両手で包み、瞼を閉じて月に祈る。
どうか、これからも平穏でいられますように…と。
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