▼ ・
愛してる、好きだよ。
何度もジェイドは小さい頃の俺に愛の言葉をつげていた。
他の誰も好きにならない。
俺だけだとも。
でも、実際、俺を信じてはくれず、俺じゃないやつの言葉を信じた。
俺を誰よりも大事だといった口で、あいつは俺を信じずに別の男の言葉を信じた。
目に見える真実が、真実とは、限らないのに。
目に見える現実は作られたものもあったのに。
あいつは、あの男を信じ…一度その綺麗な羽が黒くなり闇へと堕天しかけた。
『ねぇ、君を飼おうと思うんだ…。この屋敷で。
そうしたら、君は誰のものにもならないだろ?
ずっと僕だけのものでいてくれるよね?』
俺は、ジェイドにとっては、所詮‘もの’だった。所有物としか思って貰えず、個人の思想なんてどうでもよかったのだ。
『愛しているよ…ジル…』
所詮、愛なんてもんは自己満足なのかもしれない。
相手のことなんてどうでもよくって、自分が満足すればそれでいい。
言葉が通じなくても、わかりあえるのが愛。
そんなことをいうやつもいるだろうけれど。
少なくともそんなものは、俺とジェイドはそんな間柄にはなれなかった。
言葉なんて薄っぺらいもの。
信じて…と縋った言葉はあいつに届かなかった。
助けて…と縋った手はあいつに届くことはなかった。
‘あのとき’
傷つき、俺に背を向けたジェイド。
あの瞬間に、俺の心は、ぱきりと折れた。
どれだけ好きだと言ったとしても、所詮それは砂のように軽い言葉で、風がふけばたちまち消えてしまうような重みがないものだった。
ジェイドはただ自分の‘もの’として、俺を支配したかったんだろう。
一人可哀想な俺に同情し、俺に手をさしのべることで、こんな惨めな存在にも優しくできる自分に悦に入っていたのかもしれない。
お互いがお互いに甘い関係に浸れる、恋人ごっこがしかたったのかもしれない。
愛だの恋だのが好きな天使様らしい。
要するに、相手にとって自分が1番の存在と思われればそれでいいのだ。
ただ自分が満足できればいいだけ…。
自分の欲求が満足してしまえばそれで十分で、そこに相手の気持ちなど関係ないのだ。
現に…
「そうそう、今、ジェイド様、シルバ様とつきあっているらしいよ?」
「シルバ様って、あの綺麗なエルフだよね?
いいなぁ…シルバ様…」
あの日以来、愛や恋に幻滅した俺に対し、ジェイドはこの学園の誰かと付き合っているらしい。
こうして親衛隊が噂をしているところをよく耳にする。
相手に困ったことはないらしく、別れはいつもジェイドからなんだそうだ。
つきあいも長くは続かないらしい。
それでも、ジェイドは恋人が途切れたことはなく常に噂になっていた。
ジェイドと別れ、インキュバスの血が目覚めた俺はもう数え切れないほど誰かに抱かれたが、ジェイドもジェイドで、俺じゃない誰かを抱いていたらしい。
もはや、俺は純情可憐なキスだけで真っ赤になっていたうぶうぶな子供には戻れないし、戻るつもりもないが、ジェイドはジェイドで俺のことなんかさっぱり忘れお盛んらしい。
『君以外いらない…。
僕が欲しいのは君だけだ…』
そういっていたのに…口がうまい、天使様は今別の誰かに愛をささやいているらしい。
同じく口で俺を口説いたように甘い言葉をささやいているのか。
俺が男に抱かれたときは淫乱だの口汚く罵ってくれたくせに、自分はいいのか…。
とんだペテン師天使様だ。
あいつの言葉は嘘ばかり。
本当の言葉なんてないじゃないだろうか…。
幼い頃はあんなに神聖化し、誰よりも好きだったジェイドなのに、今はメッキが剥がれたかのように、おれの目にはあの頃の様に輝いて見えない。
あの日、あのとき、俺が好きだったジェイドは死んでしまったのだ。
純粋な俺も、優しい天使様だったジェイドも。
あの日、あの時に死んだ。
いま、存在しているのは、全くあのころとは異なる存在。
俺は男に抱かれて喜ぶ快楽主義で、あいつは天使のくせにうそつきで、本当は誰かを傷つけることすら厭わないやつになった。
そう…あの日俺が裏切られた…と泣くのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、本当は性格が悪い天使様。
あいつに憧れていて、ほのかな恋心まで抱いていた俺だったけど、別れた今じゃ憎しみと幻滅しか抱かない。
もう一度つき合えたらいいな…なんて、うすら寒いことも思うこともない。
あいつが誰と付き合おうが、今の俺には関係ないし、できるならば一生このまま俺じゃないやつと付き合ってればいいとすら思う。
せいぜい、俺の見えないところで思う存分イチャコラして、勝手に幸せに浸っていればいい。
もう2度とあいたくない。
あいつに、2度と俺という存在を意識づけたくない。
だから、俺は万が一のことを考えて、この学園じゃ別の姿に変身している。
妖艶なインキュバスとは180度違う、平々凡々な地味な悪魔の姿に。
あいつにとってはもう思い出で、俺のことなんて1ミクロも覚えていないかもしれないけれど…
それでも万が一のことを考え、学園ではずっと変化した姿でいた。
俺はただでさえ魔力がないと言われるインキュバスのなかでも一際、魔力は低い。
それでも、わざわざなけなしの魔力を使って変化するのは、あいつにそれほど会いたくないから。
もうあんな思いはしたくもないし、あんな惨めな気持ちも味わいたくなかった。
唯一、あいつに感謝することがあるとするならば、うぶうぶで恋に憧れていた俺を殺してくれてありがとう…ってことぐらいだろうか。
あのときは手をつなぐのも顔を赤らめて、キスすら怖がっていたけれど…、今じゃ男を物色するくらい不貞不貞しい今の俺になった。
あのころの俺じゃ、男漁りなんてまともにできなかっただろう。
男に抱かれなきゃ、インキュバスは生気がなくなってしんでしまう。飢え死になんてまっぴらごめんだった。
干からびてゾンビになる…なんて冗談じゃない。
インキュバスにとって、最大の屈辱は獲物である男からの生気がなくなり干からびることだった。
恋愛感情なんてのはとうに捨てた俺は、簡単に男と寝れるし貞操感なんてない。
気持ちいいことを欲しいときにするだけする…、
そんなインキュバスらしい生き方を送っている。
ま、遅かれ早かれこんな性格の俺になっていたと思うし、別れは当然だったのかもしれない。
「くだらない噂しないでくれる…?」
親衛隊の噂話に、ジュネが顔をしかめる。
先ほどまではジュネも話に耳を傾けていたくせに、彼の恋人の話はいくらジェイドのことでも不快らしい。
ジェネの不機嫌な態度に、親衛隊はすぐに口を閉ざした。
ジェネ様は大のジェイド好きでジェイドの追っかけをしている。
もう妄心的にジェイドに恋をしているようで、ジェイドに近づこうとする輩で自分より格下の人間は容赦なく排除するらしい。
なかには翼をもがれたやつもいるとかいないとか…。とにかく攻撃的らしい。
こんなにジュネが好き好き光線出していたり、ジェイドに近づく輩を排除したりしているのに、ジェイド自身は気づかないのか無視しているのか…。
ジェイドとジュネが噂になることはなかった。
ま、ジュネだけじゃなく同じようにジェイドを妄信的に好きな信者は沢山いたし、目立たなかったんだろう。
ついでに、もう学園に通ってから1年たったが、俺とジェイドの接触はほぼ0だった。
不幸中の幸いだが、学園にきた当初、俺はジェイドが俺を見つけるよりも前にジェイドを見つけた。
学園で銀髪は数えるほどに少ない。
万が一、ジェイドが俺の姿を覚えていたらまずい。
そんなわけで、誰かに生気をもらう時以外、俺は平凡でじみな、魔力のない悪魔の姿に変身していた。
この地味な姿に、なけなしの魔力を使ってわざわざ変身するのはそういったわけがあるのだ。
ただまぁ…、この世界は魔力重視・顔重視なところがあるから…変身後の平凡な姿はけしていいことばかりじゃないんだけど…。
ジェイドの次に本当はジュネとも関わりたくないんだけれど、生憎ジュネは俺でストレス発散したいようで、ちょくちょく俺にチョッカイをかける。
俺としてはそんなに嫌いならば、ほっとけばいいのに…って感じなんだけど。
「ほんと…むかつく…」
ジュネ様はそう呟いて、腹いせのように俺の腹に蹴りをいれた。
それが合図だったように、周りの取り巻きもジュネと同じように蹴りをいれてくださった。
ああ、ほんと…そんな蹴って足は痛くないのかね…。
もはや常習化した暴力に、暢気にそんなことを考えるあたり、俺も結構図太くなってきたな…と自分で自分に感心してしまった。
[ prev / next ]