短編 | ナノ

「…大丈夫ですよ…」

幼子に語りかけるように、優しく声をかける。
口端はあげて、微笑んでみせて。


「大丈夫です…」
敵意がないことを示す。

「ボクは、何もしませんから。っと、言葉通じてますよね…?
今、助けますから、大丈夫です」

何度もボクが人魚に声をかけると、人魚はようやく少し身体の力を抜いた。

といっても、まだ警戒しているようなのだけど。

動くのをやめて、ボクをじっと見つめている。

まるで小動物のような、大きな澄んだ瞳。


それにしても、誰かに微笑むのなんて、いつ以来だろう。

とんと、記憶がなかった。
もしかしたら初めてだったかもしれない。

誰かに微笑む必要もなかったし、微笑んでも不気味だといわれそうで微笑んだことがなかったから・・・。


「網…外しますよ…」

一声かけて、魔法で鋏を出す。
いきなり手に出てきた鋏を見て、人魚はぎょっとしまたバタバタと網の中を動く。

ボクは人魚を傷つけないように、注意しながら、網を鋏で切ってやった。


「あ…、」
「ほら、もうだいじょう…っ、」

どん、と、体当たりされ、体がのけぞる。
人魚は網が切られたと知るやいなや、勢いよくそこから出て、海を凄いスピードで泳いでいった。

よっぽど、怖かったのだろうか。

助けたボクにはなにも言わずに、人魚は消えていった。


 ゆらゆら、と波が漂う。
淡い気泡。

控えめな顔をした、美しい、人魚。

あんな愛らしい生き物がこの世界にいたのか…

また、会えるだろうか…
礼も言わず、ぶつかり謝りもしなかった人魚なのに…

その人魚を、一目見ただけでボクは見事に、魅了されていた。

たった一目で、人魚はボクを魅了してしまったのだ。
ただただボクは消え去った人魚の後を、じっと見つめ続けていた。



 人魚に再び出逢ったのは、次の日の事だった。
昨日と同じ散歩コース。

ボクは人魚に会えないかと、いつも歩いている数倍遅くそこを歩いた。
もう一度あの人魚に会いたかったから。

といっても、あの逃げ方だ。
人魚にとって、人間は得体のしれないものか、はたまた恐怖対象なのかもしれない。

そもそも、海に人間がいることがおかしいのだ。
人魚が怖がっても仕方ないだろう。


「あっ…あの…」

小さくて控えめな、鈴を転がしたような、声。
なんて、綺麗な声。
昨日の人魚の声だ。


注意深く辺りを見回すと、人魚は大きな岩影から、恐々とボクを見ていた。
警戒されているのか、すぐにでも逃げられそうな体制だ。
ボクと人魚の間には、かなりの距離がある。


「…あの…えっと…」

よんだはいいものの、何をいえば考えていなかったのか…
人魚は困った顔をして、ボクを見つめる。

どうしよう・・・、そう明らかに顔が物語っている。

可愛らしい。
つい笑みが浮かんでしまう。


「今日は、逃げないの?」

ちょっと意地悪な言い方をすれば、人魚は眉を下げて、いまにも泣きそうな顔をした。


「ごめんなさい…昨日…は、お礼も言わずに…
すぐ逃げてしまって…」

小さな声で、紡ぐ人魚。

「怖くて…逃げた後、貴方にお礼を申し上げてなかったと気づいて…

助けて下さったのに、逃げたりして…、失礼して、ごめんなさい。
あなたがいなかったら、私大変なことになっていたのに…」

人魚はたどたどしく、ごめんなさい…と零す。

どうやら、人魚はわざわざボクに昨日の礼と、逃げてしまった詫びをしたかったようだ。

人魚はボクを怖がりながらも、それでもボクに言葉をかけた。
律儀な人魚だ。わざわざ例にこうやって昨日捕まったところにくるなんて。
今日また罠があったら、どうするつもりだったのだろう。



「貴方は…」
「は、はい…」
「人魚なのですか?」
「は、はい。そうです…けど…、貴方は…」
「ボク?ボクは普通の人間ですよ」
「人間…」
「見るのは初めてですか?」
「は、はい…。尾鰭がないかたにお会いするのは初めてで…、父から人間の話は聞いていたのですが…」


人魚はおどおどしながらも、きちんとボクの言葉に返事を返す。
臆病ではあるが、礼儀正しい人魚らしい。
常に敬語の美しい言葉を崩さない。

「ごめんなさい…、私、人間を見るのは初めてで…」
「ボクも人魚を見るのは初めてですよ…。」
「そう…なのですか?」
「ええ。人魚は空想なものだと思っていましたから」
「…空想…」

ボクの言葉に、ぱちぱち、と瞬きをする人魚。
自分たち、人魚という存在がなぜ空想なのか、理解しかねる、といった風でもある。
人魚の中では、人間はどういう存在なのだろうか…。


「ここであえたのも何かの縁。名前を伺っても良いですか?」
「私の…」
「えぇ…、ボクは…、そうですね、カリアとでも名乗りましょうか…」
「カリア様…」

人魚はボクが仮でつけた名前を呟く。
優秀な魔法使いは、元々本当の名前を滅多に人には教えない。

それは、名前が1番呪いをかけやすい事を知っているからだ。
本当は人魚に本当の名前を教えたかったけれど…口から出た言葉は偽物の名前だった。


「私は、アリエル…、アリーと申します…」

人魚はペこりと礼儀よく頭を下げる。
控えめに、微笑みながら。


礼儀正しく控えめで臆病な人魚…
でも、上品で品があって高貴な身分を感じさせる人魚。


それが、貴方に初めてボクが感じた感想だった。
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