悩めるじじい三日月宗近
旧・哲学じゃなくて心理学とも違う
私たちが生活を送る"本丸"とはつまるところ私たちの"城"であり居住区である。日本国の特別史跡に指定されるような"現代"を生きる私たちにはテレビの中の建物であり社会化見学の対象であったりと歴史というよりすでに伝説級のあの建物を模した建物を囲うように、これまた高い塀があり堀がありその向こうにも塀がありと、とんでもなく厳重なつくりになっている。内側には、篭城の予定でもあるのだろうか、結構しっかりとした畑があっていったい政府の偉い人たちのどんな魔法か同じ畑で同じ気候で育てられるわけが無いだろうと言った多種多様な野菜が病気もなく害虫害獣に脅かされることもなくのびのびと私たちの口に胃に入り血肉になるべく収穫の時を待っている。馬が8頭いて、それも全て立派なものだ。毎日面倒を見ているけど専門家でもない私たちは毎日餌カゴにに入っているものを決められた量に分け決められた馬に食べさせているだけなのだ。藁で体を擦ってやったりはするけどそれだって気休めで、どうしてどの馬も気分を悪くしたり下世話だけど盛りがついたりけんかをしたりしないのか…これだってきっと餌とか小屋の環境整備の問題なんだろう。つまり政府の方々の魔法だ。建物の外観こそため息をつくほどに600年前のそれだが、その実時は2205年なうである。内部構造は玄関の石畳から床から鍼から天井から畳の一編みから浴槽の底から便器のふちまでどこまでもハイテクな精密機器で管理されている。これはもう科学でも化学でもない。魔法だ。これも魔法がなせる技なんだろうが、本丸の中庭には枯れない桜がある。ものすごく美しい桜だ。どうしてそこにあるのかは分からない。この不気味なまでに美しい桜で私たちのメンタルすら管理しようとでも言うのだろうか。いつも満開なのにいつも散っている。咲きやまなければ散りやまないし枯れることも青い葉が芽吹くこともない。ただ降り注ぐあたたかな花びら。政府のお偉いがたは魔法使いではなく花さか爺さんなのかも知れない。花さか爺さんといえば三日月だ。三日月宗近。いつもいつもぬれ縁で湯飲み片手に桜を眺めている。毎日毎日そうしてるもんだから、もしかしたらこの桜が散りきらないのも枯れないのも彼の仕業なのかもしれない。そうだ。一番の魔法は彼らのほうだ。刀が人になる。とんでもない話ではないか。付喪神を呼び覚ます審神者。そういえばまるで私の方がすごい者のようにきこえるけど、そんなことはない。私はこんのすけの言うがままだ。特に不思議な力は無い。殺人的に刀使いに長けてるわけでもないし、おばあちゃんの代から使ってる実家の木しゃもじとおしゃべりが出来るわけでもないし、あまりにも綺麗に掃除された廊下で滑って転べば膝には不吉な青痣を作って薬研に叱られるし、たまねぎを切れば目に沁みて涙も鼻水も垂れてきて歌仙に「雅じゃない」と雅じゃない顔で非難されるし、叩けば痛いし切れば血が出るし首が落ちれば死ぬ。心臓が止まれば死ぬ。そんなもんなのだ。ただ「審神者」と名乗り、政府の人から言われた事をしてこんのすけにしたがっているだけ。ただ、本丸でみんなが仲良く暮らせるように居心地悪い!って出て行っちゃわないように、なんか高校のクラス担任みたいにみんなの機嫌を伺ったりなだめすかしたり仲良くなっておしゃべりしたりするだけだ。炊事洗濯とかは、大変だけど、それだって手伝ってもらってる。なんというか、私は大変平凡な生き物なのだ。いまだってくしゃみをしたら鼻水が垂れて大変恥ずかしい「お、主か」主はおしゃれが得意か、と自分の鼻の下を指差して私に(鼻水たれてるぞ)と示して笑う。はっはっはって軽く優しく愉快そうに笑う彼は他の大半の人たちと違って威圧感が無く嫌いじゃないけど、こうやってすぐに馬鹿にしてくるところはいただけない。言い方によっては私は彼らの飼い主と言うか保護者というかお母さんというかお父さんというかなんといっても主である。もっと尊重するというか恭しく扱うというか、なんかこう、私が鼻水をたらしてたらそっと近づいてきて懐紙を取り出し「そのような妖艶なくちびるで誘ってくれるな」みたいな悩殺セリフでまるで僕はくちびるを隠したんですよー鼻水なんて知らないですよーって態度で、くちびるを拭くような仕草で、私がセクシーな三日月にドキドキしてるうちに鼻水拭いてくれるとかさ、そういう…そう、いう…う、うーん…それはそれで気持ち悪いか…「ほれ、使いといい」差し出された懐紙を素直に受け取って、自分の変な妄想を鼻水と一緒にぶーんと吹き飛ばす。「はっは、ひどい音だの」「勇ましいでしょう?」「敵わぬな」すんっと鼻をすすると懐紙に沁みたお香がほのかに香った。おしゃれは苦手だとか言うけど、この人のこういうのは"おしゃれ"じゃないのかな。隣に座ると三日月はまた桜に向き直った。濃紺の髪に、その衣装に、桜色の花びらはよく映える。三日月はもしかして自分に桜が似合うって分かってて、自分をかっこよく綺麗に美しく見せるためにこうやっていつも桜を眺めているのかもしれない。だって抜群だ。分かっててここに居るなら大変な策士だし、分かってないならいっそう性質が悪い。「三日月はこの桜が好きなの?」「そうだの…主はどうだ?」質問に質問で返すなとひっぱたいてやりたかったけど、ぴたっとあった視線がすごく真面目でふざけちゃダメだって思った。降り注ぐ桜が私の膝にも届く。この桜が好きか?「悪くないね」好きとか嫌いとかじゃない。美しいからそこに在れば良いと思う。でも本物の、生き物の桜を知っている私としては、この儚い桜吹雪のあと、目の覚めるような緑の芽吹きがあり赤黄橙のかさかさ舞う落ち葉を経ての寂しく硬く雪を背負った幹あってこその美しさだと思う。でも、どっちが良いとかとかは無いのだ。どちらも美しいんだから。それでも降り止まぬ桜吹雪はやっぱり不気味で、美しすぎて奇怪で尊くて簡単に好きなんて言葉で収められない。ただ、悪くは無い。綺麗だ。美しい。「悪くない。そうか、それはいい」悪くない、悪くないと繰り返しては三日月は笑った。何がおかしいのか分からないけど、珍しくお腹を押さえて頬を赤らめて、口元を隠して懸命に笑ってる三日月が可愛くて、体中がむずむずして、震えだしそうになるのを、口をぎゅっとつぐんで我慢することしか出来なかった。この人はこんな風にも笑えるのか。風向きが変わり、私たちの膝に乗っていた桜の花びらがさらわれていく。風に乱された髪を直しているとやっと笑いが治まった三日月がそっと私の頭に手を伸ばした。髪に絡んでいた桜の花びらをつまんで、微笑んだ。「主、満ちぬ月は好きか?」口を開く前に、そっと抱きしめられた。重たい着物は日差しであたたかくなっていてさっきの懐紙と同じお香の香りがした。私に触れる手は優しくて、まるで壊れ物を扱うようだ。畑当番でにんじんを引っこ抜こうとして根元でへし折った不器用さから想像もつかないほど優しい手つきで髪を撫ぜられる。満ちぬ月って、自分の事を言ってるんだろうか…好きかって…恋愛感情?それともさっきの桜と同じ感じ?別に、満月だろうと半月だろうと三日月だろうと私は構わないが、単純にそっちの月の話では無い事くらい私にだって分かる。から、簡単に返事が出来なかった。ただ抱きしめられているのは心地が良かった。「悪く、ないよ」苦し紛れに答えれば、少しだけ濡れた瞳で三日月は微笑んだ。「俺はな、待っているのだ。この桜がいつか全て散ってしまうのを」終わるときを。詳しくは知らないけど、きっとこの桜も畑の野菜のように8頭の馬のように、彼らのように…政府の美しい魔法で咲いているんだ。枯れない。散りきることは無い。きっとそんな日が来るとすれば、そんな時は、全てが終わったときだ。その時を?待っているんだろうか?「千年前から桜は咲き、散り、青い葉が芽吹き、紅く染まり、枯れて死ぬ。また息を吹き返すようにつぼみが膨らみ、開き、七重八重と咲き誇り、雨と散る」目を細めて、その両手で包んだ私の手指には昨日の夕飯の仕込みでしくじり切って覗いた肉がまだ桃色にてっている。ぴりっと痛む。「主、俺はそういうものが愛おしい」私の手をそっと持ち上げて、自分のくちびるを寄せる。肉が覗いた傷口にそっと温かくざらついた舌を這わせる。あまりの痛みに体がびくついた。何を考えてるんだこいつ。「みかづき、いたい」手を引けば、少し力をこめられたけど、ひるまず引けば放してくれた。「主、死なぬ人は好きか?」桜顔負けに儚げに切なげに微笑んだ三日月に、この桜吹雪に、ああだめだ。私まで魔法にかかってしまいそうだ。「ごめん、みかづき…わたしはしぬよ」散るのだ、枯れるのだ、私は彼らとも野菜とも馬とも桜とも違う。分かっているのに、目の前で頬を濡らして優しく微笑む彼を抱きしめずには居られなかった。桜は振り続け、再び開いた私の手指の傷口からは赤い血が零れた。

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