ゆめみる小狐丸
旧・待ち狐
柔らかな敷き物はぬしさまの匂いがした。いまだ朝靄が切れぬ庭では鳥の1羽も鳴くこともせず、私の手が敷き物を引く衣擦れの音が耳に残る。さらりと乾いたその肌触りは心地好く、それは私に覆われ横たわるぬしさまも同じようでいらっしゃる。敷き物に髪を散らし、頬ずりでもするように敷き物にその顔を摺り寄せた。私の影の中でそっとまぶたを伏せその瞳のみでこちらをちらりと盗み見る様がいじらしく愛らしい「小狐丸」呼ぶ声に身が震える。私を見つめるその視線に身が焦がれる。ああ、ぬしさまもう一度。もう一度呼んでくだされ。この名を私を小狐丸と。想いを声にしたく口を開こうにも言葉が足りぬ。くちびるが震えるばかり熱い息が漏れるばかり。押し寄せる慕情に込み上げる劣情に手も足も出ず、この途轍もない愛おしさに身動きも取れぬ「ぬしさま、ああ、ぬしさま」白百合の花弁の程に可憐なその御手で、この頬に伸ばされる。待ちかねたその温度に我慢は利かず私自らがその御手に擦り寄ればくすりと声をこぼされる。ああ温かいああ柔らかいああ愛おしい。添えられただけの御手に触れて欲しくこの全てに感じたく必死になって擦り寄った。頬もくちびるも鼻も顎もまぶたも額もこめかみも首筋も頭を屈めうなじも自慢の毛も頭頂もすべてすべてぬしさまの御手に擦り付ける。この小狐の匂いがぬしさまにうつってしまえばいい、ぬしさまの匂いが私にうつってしまえばいい。その温度も柔らかさも何もかも。すべて私に沁みてしまえばいい。ぬしさまぬしさま嗚呼ぬしさま!息も絶え絶えになれば瞳から熱い涙が零れ落ちた。ぬしさまの腕がぬっと首に回される。着物がずり落ちその肌で触れられる。嗚呼ぬしさま。そっと頭を胸に抱かれ、撫ぜられる。嗚呼!ぬしさまぬしさま!愛しい小娘!人の身体を得た小狐にもっと教えてくだされ!ぬしさま!温度を分け合う喜びを身体に触れ合う悦びを思いを言葉に伝うるよろこびを!「こぎつねまる」寒さにではなく身体が震える。これほどにも熱くなってしまっては溶けては鉄に戻ってしまう。嗚呼ぬしさまぬしさま!どうか哀れな小狐を救ってくだされどうかいやしい小狐を赦してくだされどうか小狐を愛してくだされ触れてくだされ呼んでくだされ包んであたためて離さぬよう。私よりずっとずっと小さなその身体にしがみつき必死にその胸に額を押し付ける。怯えた小物をそうするように、この小狐を撫でていてくだされ。母の乳房に食らいつく子どものように、必死にぬしさまの乳房にむしゃぶりつけば、頭を撫でていたその御手にぐっと力が入る。吸い付き舐め上げ骨ばったところに噛み付くとぬしさまはひゅっと喉を鳴らした。歯を立てぷつりと人の肌を破く。爪を立てぷつりと人の肌を破られた。嗚呼ぬしさまなんと素晴らしいのでしょう人の身体を得て痛みも喜びも温かさも得られた。こうしてぬしさまを抱き抱かれ温かさを痛みを喜びを分かち合い、この小狐はどれほどに幸せにございましょう!?嗚呼!ぬしさまぬしさま、ぬしさま!ぬしさ「…ま」

冷ややかな朝露にまぶたを叩かれ目が覚める。私がこの手に掴んでいたものはまだ見ぬぬしさまの身体でも着物でもましてや人の使うあの滑らかな敷き物ですらない。湿った土と青々とした草。身体は芯まで冷え、肌は朝靄に湿り薄く凍ってしまっている。咳をしても何も返らず、耳を澄ませどもちろんこの小狐を呼ぶ声は聴こえなかった。そのうちにいつもの銃声が山に山にぶつかり響いてくる。戦の音はまだ遠く、今日もこちらに辿り着きそうも無い。嗚呼、こちらだ、こちら。この小狐はここにおるぞ。どうか早く哀れな小狐を見つけてくだされどうか早く寂しい小狐をあたためてくだされ、どうかどうか、嗚呼ぬしさま、寒さに震え孤独に怯え自らを掻き抱き小さくなった私を早く。どうかどうか、嗚呼、ぬしさまどうか小狐を愛してくだされ触れてくだされ呼んでくだされ包んであたためて、どうかどうか離さぬよう。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -