紅明さんが寝てる
旧・眠る男
緋色の髪を白い枕に散らして生きているのか死んでいるのかもわからない顔で眠りについている紅明さまを月明かりの中で眺めていた。平和な寝息を立てることも地獄の底から響き渡るいびきをかくこともなく、ただ静かに眠っている。ここ数日の軍上層部の寄り合いと、皇子の公務とも呼ぶべきか毎夜続く夜伽の所為だろう。固定に沈み込んだように泥に飲まれるようにぐっすりと寝入っていられる。何十人と紅明さまに使えている侍女の中でこうして私が彼の寝室にこっそり入り込めるのは特別に懇ろな仲だというわけではない。が、私の仕事が評価されている自覚はある。髪をまとめるのが1番上手い、とお褒め頂いてからだろうか…。皇族特有の鋭さを、彼は私に見せなくなった。自分で自分の世話がまともに出来ない人だから湯浴みのあとに体を拭くものが無いと言ってそのままの格好で脱衣所を徘徊されたり、放っておくと昼食はおろか夕食すら食べ損ね、夜中にやっと「何か食べられるものを」とすきっ腹を抱え嘆いたりする。こどもか。と問いたくなるような粗相をしでかすくせにその実優れた軍師ときたものだからおかしな人だ。

掛けられた布団から伸びた手は白く、その先の爪は今朝方切りそろえてやったものだ。爪が伸びているにもかかわらず容赦なく眠気眼を擦り肌が痒ければ力任せに血が滲むほど掻きむしるものだから、定期的にきってやらなければならない。重たく垂れた前髪にそって触れる。少しずつ額から退けてやれば、隠されていたそこにはもう1つの目がある。暗い部屋で書物に没頭するのを目が悪くなると、皇族がそんな風に顔を隠すのはいかがなものかと嗜めようと彼は髪形を変えようとはしない。自身の顔にコンプレックスがあるそうだ。いつだか零していた。紅炎さまに比べれば凛々しさにかけるし、紅覇さまに比べれば愛らしさにかけるのはもちろんだが、そう恥ずほどの面立ちだとは思えない。こうして眠っている様子など、月明かりの所為かいかにもはかなく、美しい。これがたとえ紅炎さまであろうと紅覇さまであろうと、私はここまで静かな気持ちの高揚を感じることは無かっただろう。紅明さまだからこそ、だ。こんな失礼を誰に打ち明けられるものでは無い。ただ今はこの思いを胸に、彼の寝顔を眺めている。鼻の辺りに散らばったできものを目で繋いでは彼の顔を星空のように思い眺める。薄い唇からは甘く優しい声。夜伽役の女達は毎夜これを眺めているのだろうか。彼に抱かれ共に乱れたそのあとに、こうして彼の寝顔を眺めているのだろうか。もしそうしていないのならば、勿体ない話だと思う。無防備に寝入る姿が美しい。彼にすべてを捧げても惜しくないと、たとえ節句の準備が忙しく4日ぶりに訪ねた紅明さまが野良犬のように異臭を放ち汚れ乱れ、そのすべての世話をしてやらなければならなくても、口やかましく言わねばまともな時間に食事をしてくれずとも、この身を粉にしても彼に尽くすことを厭わないと思える。

そっとくちびるに指を這わそうと手を伸ばす。触れてはいけない。彼は皇族で私はただの侍女だ。一線を越えるどころか、彼の指示なくしては触れることすら許されないのだ。

「くすぐったいのだけれど」

目を開くことなく声を発する紅明さまに、本当は声を上げて飛び上がりそうなほど驚いた。

「まだ触れてはいませんよ」
「熱い視線がね。くすぐったいんですよ」
「いつからお気づきで」

意地の悪い人だと思う。眠りの邪魔だというなら部屋を出て行けと命ずればいい。そもそも許可無く就寝時に寝室に入ることは許されていないのだから罰せられても文句は言えない。それなのに紅明さまはそのまま瞳を開くことも無く、ご自分の額をなぜるように手を這わせた。

「もう一度なぜてください」
「撫ぜたわけではないのですが」

前髪をどけたのを、撫ぜられたのだと勘違いされたようだ。撫ぜるよういわれてしまっては撫ぜないわけにはいかないので、私は手を伸ばし、今度は前髪を退けるのではなくしっかりと彼に触れ、その額を撫ぜた。満足そうにため息を漏らした紅明さまがまた少し黙る。眠ってしまっただろうか。次に彼が眠ってしまったら、そのときは部屋を出て行こう。1度は許されようとこれ以上は失礼にあたる。

「てっきり襲ってくれるのかと思いました」

少し愉快そうに、くちもとだけで微笑む。

「そんなこと、出来るはずありません」
「それは残念」
「ここ数日夜伽が続きましたが、あれでは足りませんか」
「疲れるほど。それでも、貴女じゃ無い」

彼の額を撫ぜる手が熱くなる。私が、私の手が彼に触れていいはずが無い。彼の衣服を脱がせほどき、その体に触れるなど…

「そんなこと、出来るはずありません」
「では、今夜はこのまま頭を撫ぜ続けてください」
そんなこと、出来るはずがない。期待させられ許された。この再び眠りにつこうとする男の体に触れずこのまま一晩をすごせるわけが無い。額から頬に、頬から喉元にさがっていく私の手の動きに合わせ、彼の口元が緩んでいく。そんな私たちを隠すように月明かりは雲に隠され部屋はまったくの暗闇になった。

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