笠松くんと変質者
監督とのミーティングを終えて、体育館の照明を全て落としてしまったためドアのガラスから漏れる明かりしかない暗い廊下を、軽くストレッチに体を伸ばしながら更衣室に向かう。時間的に、居残り練習をしていたレギュラーメンバーくらいしか残っていないはずなのに、更衣室のドアノブに手を掛けた俺の耳には聞こえていいはず無い声が聞こえた。…アイツ、まだ帰ってなかったのか…。

「ねー!早川!一緒に帰ろうよー!ねー!」
「い!や!だ!着替えの邪魔す(る)なー!」

更衣室に入れば女マネのみょうじが、着替え途中の早川にごりごり頭を押し付けて着替え妨害迷惑極まりない品のない女性らしさのかけらもない行為に及んでいてため息が出る。早川のズボンを引っ張りずり下ろしどうにか気をひこうと必死なみょうじとそれに吠え対抗しつつ順調に着替えを進める早川…もちろん体格さもパワーも比べ物にならないのでほとんど早川がみょうじにしかたなく付き合ってやっているだけだ。真面目に抵抗したら簡単に突き飛ばしてノックアウトできる。そんな後輩たちを苦笑いで眺めながら着替えを済ましてしまっていた小堀が更衣室に入ってきた俺に気が付いて「お疲れ」と声をかける。それに、ああ、と答えつつ自分も着替えを済まそうとロッカーに手を伸ばした。遅くなると危ねェっつってみょうじにはレギュラーメンバーの特別居残りに参加しないようきつく言いつけてある。そうじゃなくとも、通常の練習時間は長い。部員は、部活をこなし、着替え、帰るだけで済むが、みょうじはそうじゃない。部活中は監督の指示通り、1軍2軍、両軍のマネジ。スポドリやらプロテインやら作り手渡し暇を見つけてはボール磨きまでこなす。更衣室の掃除や救急箱の中身のチェックも忘れない。男子ばっかりだとこういう所がずさんになってくるからな。気が利くのは重宝する。で、だけじゃない。部員が帰った後には翌日の朝練のためのシューズ拭きの濡れ雑巾を用意したり戸締りしたり廊下のモップ掛けしたりとなかなか忙しい。つまり帰りが遅くなる。みょうじは女の子であって帰りが遅けりゃ夜道は危ない。危ないからはやく帰れ、遅くまで残るな、残るとして俺に報告に来い、そしたら即強制下校言い渡してやる!!つもりで…なの、に…

「あれ何?なんでいんの?」

ロッカーに顔を突っ込んだまま後ろ手に、とうとう着替えを済ませた早川にしがみ付いて離れようとしないみょうじを指差す。小堀がため息をついて「そんな言い方」と俺の不躾な物言いを示唆する。帰れって言ってんのに帰らずに残って、一緒に帰ろうと早川に!甘えているみょうじに同情の余地は無い。俺は前から言ってたはずだ、夜道は危ないから早く帰れ!って、それでも居残りたいなら俺に言え!って、そしたら、さ、ほら、送ってくだろ?!ちゃんと!!ご自宅前まで!!安心安全道草抜きの健全ルートでお宅のお嬢さんお送りさせていただくだろ?!な、のに…!!あんな必死そうに早川早川帰ろ帰ろ早川〜!!言ってさ!!俺だってさ!!居るのにさ!!

「なんか昨日の帰りに変な人に会ったんだって」

肩をすくめて困ったね?って顔をした小堀の言葉が、嫉妬の怒りに燃えていた俺の脳みそに氷水を注ぐ。穏やかじゃない内容に眉をひそめる。

「変な人って?」
「なんか、露出狂?だって」
「そう!そうなんですよー!小堀先輩!あ、笠松先輩お疲れ様デース」

いいかげん早川に愛想を尽かされたみょうじが血のにおいをかぎつけたハイエナの如く俺と小堀の間に入り込んでくる。小堀のジャケットをぎゅっと握りぐいぐい引っ張りながら必死に「そう!露出狂!おっさんですよやばいですよ?!めっちゃキモいー!こわいー1人で帰れないんですよー!!」ぴーぴー泣きながら訴えるみょうじの頭に、小堀がそっと手を乗せて子どもをあやす親のようによしよしと撫でる。お、おお…なんか小堀お前18歳の男子高校生とは思えないほど穏やかだな…ってかみょうじてめぇなんで俺にそんな軽ぃんだよ、ふざけんなよおい、なんかヘコむだろばかやろう…

「だから早川に一緒に帰ろう?って言ったのにあいつイヤだって言うんですよ?!ありえなくないですか?!同級生の可愛い女の子がこんなに怖がってるのに突き放すとか鬼畜外道の所業じゃないですか?!私に死ねって言ってるんですか?!」
「だァかァ(ら)、お(れ)みょうじん家と反対方向だって言って(る)だ(ろ)!」
「そういう問題じゃないじゃん?!私こんな震えて怖がってるじゃん?!ねートレーニングだと思って送ってってよーねーえー!!」
「い!や!だ!」
「みょうじ、中村は?クラス一緒でしょ?」
「中村は『変質者が出ても俺、特に何もしないけどいいの?』とか言ってきたんです、しかも先に帰ってるし、おいてかれてるし、あ、マンガ返すの忘れた」

小堀がうんうん頷きながら洪水のようなみょうじの言葉をひとつひとつ飲み込んでいく横で、ずぅっとあからさまにわかりやすくこれ見よがしにありえないくらいみょうじの事を睨みつけてやったけどコイツ気づかねぇ…!!いいかげん声かけようと思ったら、シャワー室から颯爽と飛び出してきた森山(制服着用済み)が俺とみょうじの間に、無理やり割り込んできやがった!なんだコイツ?!うっわ!くっせ!コイツの使ってるシャンプーくっせェ!!!!

「話は全部きかせてもらったよみょうじちゃん」
「わ!森山先輩!シャンプー替えたんですね?!フローラルブーケの香り超女子力たーかーいー!!しびれますゥ!」
「あ、分かる?さすがみょうじちゃん!」
「毛先もとぅるとぅるじゃないですかァ!」
「ふふん!そうなんだよ!あ、で!俺が送ってってあげようか?って話なんだけどさ!」
「だめです。先輩、電車じゃないですか、私駅とは方向違うんで!」
「早川にはあんな押し強かったのにー?!」


ふろーるだかふーらるーけだかなんだかの香り漂わせながら撃沈した森山を笑っていると、ちらっとみょうじと目が合った。小堀も森山と同じ駅を利用しているし、森山の乱入に乗じて早川はさりげなく挨拶を済ませて帰ってしまった。…先輩には、迷惑をかけられないという、みょうじなりの気遣いなんだろう。が、1人で帰るってのはやはり耐え難いようで、俺を見て、何か言いたげに、でも思いとどまって、我慢してその言葉を飲み込んで苦い顔をする。

「俺が送ってってやるから、安心しろ」

頭に手をやり、撫でてやる事は出来ないにしろそのままにしていればみょうじがちいさく頷く。「すみません」小さな声で漏れたみょうじの本音は森山の「笠松やらしー!!」でかき消されてしまった。


俺の着替えが済んで、最終の戸締りも消灯も鍵の返却も済んで、ようやく帰るか!となったのが21:03。やっぱこんな時間に女子1人で帰らせるわけにはいかねェだろ。部長として、先輩として…お、男として!!学校を出て少しの距離は俺、みょうじ、森山、小堀でなんだかんだわいわいしゃべくりながら歩いてた。黄瀬に送らせればよかったとか、今日はあいつ最低限部活して居残り早く切り上げて撮影に向かったとか、むしろみょうじよりも黄瀬の方が変質者に会う確立高いんじゃねェの?とか。冗談とか冗談にならないこととかで盛り上がっているといつの間にか徒歩組と駅組で別れる交差点についてしまった。森山と小堀に「じゃあな」と片手を振ると小堀は「また明日」とか一般的な返事をくれたが、森山はそそそっと、挨拶を交わす小堀とみょうじの間を縫って俺の元に駆け寄ってきた。「なんだよ」と、その不気味な微笑みに眉間を寄せると「がんばッ!!」とかガッツポーズされた…なっ、なにがだよばかやろう!!健全なルートで帰るわアホッ!!口ではスケベ変態と森山を罵りつつも、脳内なにやらけしからん展開を期待してなくもない自分が…本当に、心底嫌になる…ちらと見やれば、またコイツらは…と日常茶飯事なそれを見届ける目をこちらに向けるみょうじ。目があうと、ぷっと吹き出されくすくす笑いが始まって、それが耳にこそばゆく、口元を覆う小さな手と表情が目に毒だ。狼狽させたい翻弄させたいって自分でも制御でき無い強い気持ちに狼狽させられ翻弄させられる…いかん、気をしっかりもて俺



街灯も少なくなってきた暗い道に差し掛かると、見るからにみょうじが元気をなくし緊張し始めた。さっきまでぺちゃくちゃ1人でマネジについての愚痴やら豆知識やらなにやら披露して、意気揚々と話し込んでたのがうそのようだ。…そうとう、変質者の出現が怖かったんだろうな…服のすそを摘むとか、手を握るとか、震えながら俺の名前を呼ぶとか…そういう、ちょっと美味しい反応は見せないが、視線が不自然にきょろきょろしてるし、黙り込んだ口はぎゅっと曲がってる。このあいだ森山ときゃあきゃあ騒いでた、新作のシップクリームの発色がいいとかにおいがいいとか騒いでた、お気に入りのリップクリームを塗りこんだ愛らしい唇が、ぎゅっと歯にくわえ込まれてはちきれそうにも見える。可哀想で、気の毒で…そんでなんかちょっとすさまじくえろい。…じゃなくて…何か、気を紛らわせるような話題…振ってやりてぇけどそんなん持って無ぇし…かといって、俺も黙ってちゃ余計に緊張するよな…

「で、何処で見たんだ?その変質者っての」
「はい、その公園のあたりで…」
「…」
「…」
「…あれ、か?」
「…あれ、ですね」

…え、っと…変質者って…

「ちんこ出てんじゃねぇかアイツ!!??!!」
「そうですよッッ!!露出狂だって言ったじゃないですかァ!!!!」

その公園のあたりっつってみょうじが指差した暗がりに、そっとうごめく人影があった。変質者って、露出狂って…俺は勝手に、なんかこう、派手なパンツとかブーメランパンツとか股間強調するようなパンツ穿いたおっさんなんだとばかり思ってたけどダメだろこれパンツじゃねぇじゃんまるっと出てんじゃんおっさん丸出しじゃねぇかえっえっえ?みょうじマジでこいつ1人で帰った時にこんなヤバイちんこまるだしのおっさんに遭遇したわけかよ?このおっさんちんこまるだしでくらいよみちでこいつのまえにあらわれてこうやってこわがらせたのかよ?おれのみょうじに??おっさんのちんこを??そのどうみても完全な勃起状態のおっさんのちんこを??ってか、えッ?!おっさんこっちくるぞ???!!!

「逃げるぞみょうじッ!!」
「ぎゃああああああ!!!!こっち来たァァ!!!!」
「追いつかれンぞ?!速く走れッ!!」
「笠松先輩ッ助けてっぇッこわいこわいこわいいい!!」
「ってか露出狂って!!ちんこ丸出しじゃねぇか?!あのおっさん?!」
「だから露出狂っつったじゃないですか!!ちんこまる出しってことですよ!!」
「ちッ!!ちんことか!!いうんじゃねぇよ!!お前それでも女か?!」
「女の子だからちんこ出したおっさん怖いっつってんですよ!!!!」

突然こっちに向かって走り出したおっさん(ちんこ丸出し)から逃げるため、とっさにみょうじの腕を掴んで走り出す。むやみやたらに走り出したはいいけど、俺、みょうじの家知らねぇ…!!そろそろか大丈夫だろうと後ろ見やれば、さすがにおっさんの持久力は高校生の俺らには敵わなかったらしく、すでにその姿(ちんこ丸出し)は無かった。よかった…走った所為も、おっさん(ちんこ丸出し)をまいた安堵もあって、どっと汗が噴出す。「おい、みょうじ、大丈夫…」…か?と、か…きこうと、思って、ぎゅっと掴んでたみょうじの腕を引いてみれば…当たり前だけど、俺の全力疾走に必死についてきてたみょうじはゼェハァ苦しそうな息がまだ整わず、急に止まった所為で余計に辛そうで、俺と同じくどっと吹き出た大粒の汗が額から頬に幾筋も伝っている。汗ばみ、辛そうな浅い息を繰り返すみょうじは心なしか湿っぽい空気?をまとっていて、なんというか…熱気というか、いろいろ…髪とか、シャツとか…しっとりしてて、当たり前だけど、俺が握っていたその腕だって汗でしっとりしてて、どくんどくんと大きく脈打ってるのがわかった…う、わ…これは…一瞬で汗が冷えて、ぞくぞくっと変なものが体を走る…そんで今度は違う気色の汗が吹き出る

「はッあ、はぁッかさまッせんぱ…あしっ、げほっえほッ!はやっァ」

…男ってなんて低俗な生き物なんだ…ごめんなみょうじ

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -