笠松くんに殴られる
ばっこーん!!と殴られた。

普段の「おーいー!」みたいな小突くだけのそれじゃない。「こら」のペチンっでもない。もちろん、アーンパーンチ!の可愛さの欠片もない。休み時間、教室の片隅で、私の視界は、私の下あごと共にぐらんぐらんと歪み、痛みを携え床に倒れ落ちた。ごりゅっと肩が潰れてそれも痛かった。どんっと強く打った体は衝撃で呼吸がへたくそだって言うのに、そんなことよりも、ぎゅっとこぶしを握ってふるふる身震いして私の事を見下ろしている笠松の方が怖かった。その所為で、ぎらぎらした瞳の圧力の所為で、息が、出来なかった。

ほっぺたを押さえて、じくんじくんと染み入るような痛みを感じた。痛みと、ショックで目に涙がにじんだ。教室がざわざわしてる。みんなが、笠松に殴られて吹っ飛んだ私の事を見ていた。みんなが、私を殴って吹っ飛ばした笠松を見ていた。口の中で、ぬるりと血の味がする。口いっぱいに血のにおいがすると思ったら、のどにつっと鼻血が流れ込んでくる感覚。鼻の下に、指先で触れてみると案の定ぬるっと滑った。鼻血噴いた。歯がぐらぐらする。全部が永久歯なのに、全部が抜けちゃうそうだ。そんな事考えてると、痛みをじっくり感じながら、よく、分からない、この状況を、飲み込めないまま、座り込んでいると、静かに笠松が私に歩み寄ってきた。全部、殴ったのとか鼻血とか嘘で、このまま笠松に抱き上げてもらえるのかと思った。手が滑ったとか、そういう下らない理由でも許してあげようと思った。痛いのはもちろん、死ぬほど痛いんだけど、それでも笠松の事は許してあげようと思った。

「笠ま…」

見上げるところまで近づいて、笠松が私に手を伸ばした。その手を取ろうと思ったけど、血が付いた自分の手を伸ばす前に、差し出された手の角度がおかしい事に気がついた。クラスの女の子が、きゃっと息を呑んだ。ぐいっと胸倉を掴まれて、まるで喧嘩漫画の様にぐーんっと持ち上げられてしまう。いっ、たい…これ、すごい痛い…!し、苦しい…!!シャツがずり上がっておなかも丸見えで、のどが仰け反って息がしづらくって、放して欲しくて笠松の手を握っても、笠松は放してくれなかった。

「…ま、つ…か、さ…ま」

どっと、高い位置から、急に落とされた。思いっきり腰を打って、痛いのなんのっていい加減、笠松に文句言ってやろうと思って、見上げてみると、今まで見た事もないくらい怒った顔の笠松。見上げるってアングルの所為もあるんだけど、きっと…そんな事よりも、雰囲気が…いつもの、笠松じゃなくって…ぞくりっと鳥肌がたった。また、笠松が私に手を伸ばして、

「やッ」

私はとっさにそれをはたいた。ぺちっと間抜けな音が異様に静かな教室に響いた。ぴきっと氷みたいに固まった時間。腰の痛いのと、ほっぺが痛いのと、笠松が怖いので、溢れてくる涙が熱くって、恥ずかしかった。留守にしてた森山くんがのん気に教室に入ってきて、立ち尽くしてるみんなを見て、床に転がってる私を見て、冷たい顔で突っ立ってる笠松を見た。

「ちょ、お前…何して」

瞬間、私は走って教室から逃げた。着崩れた制服も直さずに、鼻血もぬぐわずに、走って逃げた。教室で、笠松と森山くんが口論してるの(ほとんど笠松の怒号)が聴こえた。


どうしていいか分からずに、とにかくトイレに逃げ込んで個室に飛び込んで鍵をかけた。洋式トイレに腰掛けて、トイレットペーパーをからんからんと威勢よく巻きこんでぎゅうっと顔に押し付けた。じくじくがとまらない。血が止まってないんだ。鼻の。笠松に、殴られたんだ…私。急に、何が怖いのかわけ分からないのに、体がぶるぶると震えだした。寒くも無いのに。…何が、笠松を怒らせた?笠松はけっこう手とか足とか出やすいタイプだけど、いままで、こんな風に、本気で…殴られる事なんて無かった…。むしろ、事故で肘があたっちゃった程度でも、痛くなかったか?ごめんな俺の不注意だった、と偶然の接触に対してはちょっと過剰なくらい謝るような…そういう奴だったのに…。じわっと、トイレットペーパーに沁みる熱い涙。…何が、笠松を怒らせた?


教室で、普通にしゃべってただけだ。1年生の終わり頃、真っ赤になって震える笠松に告白されて、付き合うようになった私達だ。けっこう長いあいだ一緒にいたけど、笠松は私の発言にかちんときたら、ちゃんと口で伝えてくれるタイプだ。だから、会話の流れでイラついて急に殴るなんてこと…無い、はず…なのに…。

「アっ、アノ!」
「…はい」

人の顔ってこんなに赤くなれるものなのか?初めて私に声をかけた笠松を見て純粋に疑問を抱いた。ぽたぽたと汗がこぼれそうなほどに、顔中に汗の粒をたたえてて、ああ、たしかこの子バスケ部の…練習してた汗かな?のん気にそんなこと思いながら、ゆるゆると笠松の名前なんだったかなーとか考えてた。そういえば私達クラス別だったね。

「みょうじさッ、みょうじさん!」
「…え、はい…みょうじです、けど…」

ぎゅうぎゅう自分のこぶしを握ってる笠松の、手がきれいだと思った。頼もしいくらいに男の人っぽいこぶしなのに、女の子みたいにわきわき照れて恥ずかしそうにしてる。真っ白で、ごつごつした手。

「俺、笠松って言います!」
「あー、笠松くん…バスケ部の」

あー、そうそう笠松くん。バスケ部のなんか激励会?全校集会とか色々出てたし、学年集会の代表とかもやってた事もあったよなーこの子…そうそう笠松くん。私が「笠松くん」と繰り返すと、あからさまにビクぅっと体を震わせた笠松の、顔だけじゃなくって首とか耳まで真っ赤になったのに驚いて、無神経にも「大丈夫?」とか訊いちゃったな…。

「だ、い…じょぶっ!です!」
「なら、いいけど…私に何か用?」

クラスも違う、委員会が一緒なわけでもない、面識がまるでない。正直、なんで笠松が私の名前を知っているのかだって疑問だった。誰だっけこの子ー?状態だった、私だけど、ぐっと決意の表情で顔を上げた笠松の、真っ赤で必死で真剣な顔に、あっさり落ちた。

「好きでッ、みょうじさん、す、好きですみょうじさん!!」
「え…」
「にゅ、入学式の時ッに…せいと、生徒手ちょッ、んんッ…せ、生徒手帳…拾ってもらって、そ、その時…」
「…あ、あー…え?!だけッ?!」
「好きです、…みょうじさん…好きだ…す」

泣きそうな顔で、あんな、切ない声で…言われちゃ


付き合うようになって、1年の残りはとりあえずいい距離を置きながらお互いの事を知り合うところから始まった。休み時間に廊下でおしゃべりをするだけ。長い休み時間は体育館に行っちゃうし、バスケ部の遅い練習を、一緒に帰るがため、待ってあげられるほど、まだ恋人偏差値は高くなかった。それでも、結果良かったと思えたのは2年にあがったとき。じっくり知り合った後、同じクラスで、近い距離でいられた1年。もちろん笠松はバスケが忙しかったけど、たまに練習を見に行ったり、午後練習のあと一緒に帰ることもあった。笠松の事を待ちたいと、思えるようになってた。部活が終わって、チームメイトと一緒に歩いてくる笠松が、待ってた私を見つけたときの、驚いて、照れて、ちょっと怒って、一瞬だけ泣きそうになったり、強がったりする顔が大好きで、チームメイトの冷やかしを受けながら駆け寄って来てくれるのが、嬉しくて仕方なかった。

3年になって、クラスが分かれた。進路とか受験とか勉強とか、色々たいへんで、一番…いま一番、笠松に傍にいて欲しかったのに、クラスが分かれてしまった。笠松は部活が、相変わらず忙しい…どころじゃなく、体壊しちゃうんじゃないかって心配になるくらい勉強も部活も必死にこなしている。応援、してるけど、なんだか妬けてしまった。私とクラスが分かれてしまっても、笠松にはあんまり変化が見られないような気がしたからだ。もちろん時間があれば、勉強会と称して互いの部屋に呼び合って親密な事を重ねていたし、強請れば学校でもこっそり触れ合う事も出来た。進学の諸々が辛くて、笠松に泣きつきたくなったけど、笠松はそれ以上に部活の事も抱えてる。休み時間の度にバスケ部の子が部活の事で笠松をたずねて来ることを知ってる。キャプテンが忙しい事なんて分かってる。たくさんのプレッシャーと戦ってる事だって、たまに、私にしか見せない姿で、こぼす涙で痛いくらい感じてる。…せめて安心させたくて、私だけでも平気なフリをした。笠松を守ってあげたい支えてあげたい一心で、必死に自分をつくろった。


じわっと、また、涙が出た。どうして、殴られたんだろう…ズズっと音を立てて鼻をすすると、そろそろ鼻血は止まったみたいだ。

「おい!みょうじここかァ?!」

ガンっと乱暴に開かれたドア。狭いトイレに反響する笠松の怒鳴り声。え、ここ女子トイレ…、同様してる暇もなく、1つだけ扉の閉まってる個室に私が居るって確信を持った笠松が、ドアノブをまわした。がちゃがちゃがちゃがちゃっと乱暴にされるドアノブ。

「どうしたの笠松?!なんでそんな怒ってんの?!」

ほとんど叫ぶみたいに。笠松が怖くて涙がこぼれた。ティッシュは床に落としちゃって、染み付いたその血の量にぞっとした。私の声に、一瞬ドアノブが静かになる。それでもドアの向こうに笠松がいるって気配はまだあった。

「出て来いッてめぇ!ぶん殴ってやる!!」

今度は個室のドアを、ものすごい勢いでけり始めた。笠松の叫ぶ声と、ドアが悲鳴をあげるのが、肌をびしびしと打つみたいに痛かった。蝶番が壊れて、音を立ててドアが傾くと、それを乗り越えて笠松が個室に入ってきた。座ってる私の、胸倉を掴みあげて睨みつけてくる。すごく、こわい顔をしてて、こわくて、こわくて、笠松の顔から目がはなせなくって、それでも、がまんできずに、涙がこぼれてしまった。涙でぼやぼやしてて自信はないけど、瞬間、笠松も泣きそうな顔をした。

「なっ、で…おこって、ぇっ…かさまつ」

どさっとトイレに落とされて、痛くて、もう訳が分からなくて、赤ちゃんみたいに声を上げて泣いた。笠松はしゃべってくれないし、そのうちにバランスが保てなくなった個室のドアががたんっと倒れるし、痛いし、痛いし、痛いし

「…ても、いい…とか…」

口を開いた笠松が、蚊の鳴くような声を漏らす。搾り出すみたいな声に、驚いて、私が泣くのをやめてしまうと、今度は本当に、笠松が泣いてて、どんっと壁に寄りかかると、ずるずるとしゃがみこんでしまった。

「大学のッ、ランク…下げても、いいとか…言うなよ、ォっ」

くぅっと喉から変な音を出して、笠松が本格的に泣き出した。ぼろぼろこぼれる涙と、よだれで唇をべたべたにして、笠松が泣いた。

「みょうじがッ、良いって…言った、とこッだろッぉ?…なの、に」

じゅるっと鼻水をすすりながら、必死で言葉をつむぐ笠松。涙の後でひりひりするほっぺたを、さするのも忘れて、口を開けたままぼうっと、丸く小さくなった笠松に見入った。ああ、そういうことだったのか…。同じ大学に進みたい、と思って、口に出したのはどっちだったか…私は、部活で忙しい笠松の代わりに互いのやりたい事がそろってる大学を探すために進路室に入り浸っていた。それで見つけた、私達にぴったりの学校が…私の成績だったら、と先生は言ってたけど、正直、笠松の成績では難しいと言われてしまった。スポーツ推薦ってのもあるけど、まずは成績…笠松は、文句も言わず、弱音も吐かず、今までよりもさらに必死に勉強するようになった。寝る時間も削って、それでも部活にはちゃんと出て、バスケも必死にこなしてる。授業中に寝る事だってない。休み時間もパンをかじりながら先生に作ってもらったプリントをして、昼には職員室に寄ってから体育館に行って自主練習…そんな無茶をしてる笠松が心配で、たまに教室に様子を見に行ったりするんだけど、今日なんてパンをくわえたまま、辞書を握って、首をかくんかくんしながら焦点の合ってない目を一生懸命こすってた。

「そんなに無茶するくらいなら」

そっと近づいていった私に気がついて、パンをくわえたままにへらっと笑う笠松を見て、がんばれ、なんて思えなかった。先生に相談すれば、まだ間に合うかもしれない。何か妥協して、大学のランクを下げれば、笠松はもっと楽になるんじゃないか?そう思うと、ついこぼしてしまった。でも、それは、私なりに、笠松を思っての言葉だったのに…殴られて、吹っ飛んだ。


「次の、テストのッ結果で…」

よだれでいっぱいになった口でもにゃもにゃと必死にしゃべる笠松が、可哀そうでしょうがなかった。私と同じ大学に行くために必死になってる笠松が、可哀そうでしょうがなかった。きっと、私の事を殴ったって罪悪感に苦しめられてる笠松が、可哀そうでしょうがなかった。私の事が好きな笠松が、私に好かれた笠松が、私を泣かせた笠松が、泣いてる笠松が、可哀そうで…

「笠松ッ」

便座から飛び降りて、そのまま笠松に飛びついた。泣いて、熱くなってる体をぎゅうっと抱きしめると、笠松が丸くなってた体を解いて、自分の腕と足の中に私を閉じ込めてしまった。涙とよだれとちょっとの汗で蒸さった笠松のなか。ああ、そういえばこんな風に抱きしめあうのは久しぶりかも、と思った。平日はもちろん、休日も、たまの休みも笠松は部活だの勉強だので、私と会う事はなかった。会えなかった。そういう寂しさもあいまって、私はあんな事を言ってしまったのだろうか?いま、笠松なしの生活が寂しいから、勉強なんてやめて欲しかったのだろうか?例えばそれで、同じ大学に進めなくなったとしても?

「ごめッ、笠松ごめん」

笠松のシャツを握り締めて、鼻水も気にせず泣いた。ぎゅううっと私を抱きしめる笠松も、まだ喉から変な音を漏らしながら泣いてた。非情だ。受験って…。とにかくそう思う。笠松も欲しい、好きな大学にも行きたい、でも笠松に無理はさせたくない。そんな私のわがままが祟ったのか?自分だって勉強が普段の6割増しの生活をしている所為で酸欠の金魚みたいだ。こんなにがんばって傷ついて必死な子どもをびしゃびしゃに打ちのめす、受験は血も涙も無い鬼だ。ああ、もう訳が分からない…なんでそんな、こんな…私と笠松ばかりが傷ついて辛い思いをしなきゃいけないんだろう?トイレに響く2人の泣き声に、耳を傾けながら、まるで悲劇の台本を読んでる気分だ。


ふと、お尻に感じる違和感。正直、え?今?この場面で?とも思うけど、頻度が下がった笠松にしてみればきっと当然な事なのかもしれない。まだ、ずるずると泣いてる笠松の、私を抱く腕を解いて少し体を動かしてみれば、びくりと震える笠松。腰を浮かして、笠松の太ももに座り込むと、笠松が勃起している様がよく見えた。互いに鼻をすすりながら、しばらく黙って、勃起したちんこが苦しそうにチャックを押し上げている様子を眺めていた。

「勃ってる」

ようやく私が口を開くと、笠松が間抜けな声を漏らした。

「あ、えっと…最近、その…抜いて無くって」

弁解のつもりなのか、聞いてもいないのに言い訳をはじめる笠松の顔は、いつも通りの彼に戻ってて、なんだか急に、笑えてしまった。真っ赤になって、さっきとは全然違う涙で瞳を潤ませる笠松の、まだよだれでべたべたな唇にかぶりつく。初めてでもないくせに、電気でも走ったみたいに両腕をびくんと緊張させる笠松。ぢゅううっと唇を吸い上げてから顔を離すと、ちゅぱっと濡れた音が響いて、これ以上ないって位に笠松の顔を赤くさせた。

「ちょッ、みょうじ…あ」

ズボンの上からやわやわと噛み付くと、笠松はきゅうっと眉をひそめて驚きに目を見開いた。腰を引いて、逃げようとするから、布の反発に逆らって出来るところまでくわえ込むと、ひくっと、逃げるためじゃなく腰が揺れた。

「みょうじ、学校…授業…」
「ドアぶっ壊しといて、いまさら」

おたおたしてる笠松の、ズボンのチャックを下ろしてパンツからとりだすと、その光景にぞくぞくした。女子トイレのドアが壊れた個室で。いっぱいまでくわえ込むと、むせそうなくらいにいっぱいに臭ってえげつない事をしてるんだなって実感する。最小限の喘ぎ声を漏らす笠松の、片手を握ってやると、ぐっと引っ張られて両手で握り締められた。すがるように必死に、おでこにこすりつけたり唇にくっつけたり、はぁっと湿った熱い息が手にかかると、すごく興奮して、パンツが濡れた。あいた片手を支えにフェラを続けると、搾り出すような、小さな声で笠松がしゃべりだす。

「ふぁ、みょうじッ…あっ、く…」
「ふん」
「一緒、に…いたい」
「ふん」
「がんッ、ば…ぅあッ…おれっ、がんばるッから」
「ふ、…ふん」
「だかッあっ…うぅっ」

口いっぱいに苦いのが広がって、笠松が私の手に噛み付く。いろんなとこが痛くてまた涙が出た。まだ射精してる途中だったけど、片手で支えたまま途中で口を放して笠松に向き直ると、やっぱり笠松も泣いててたまらずキスした。笠松の口の中で笠松の精液がむっと広がるのを感じながら、笠松が泣いてるのが、辛いからなんじゃなくって、久々の射精が、私のフェラチオが、気持ちいからって涙だといいなと深く思った。

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