乙女チック赤司くんの恋?
公共の乗り物を通勤・通学の手段として利用する人間は、その一瞬個性を無くしただ1つ『目的地への移動』を成そうと行動する凄まじい数の人間の集団と言うものは、時間に正しい。通学手段に電車を要する僕は、もちろん毎朝同じ時間、僕の生活リズムに最適の電車を選び、僕の行動に最適な車両を選び、僕のタイムスケジュールに最適な歩調で駅を移動する。その速度は、ほとんど1秒たりとも狂う事はない。時計を見なくても、体で分かる。歩調や心音で大体の時間は計れる、さらにはまわりの人間の顔でさえ確認がとれる。駅とは不思議な場所だと、つくづく感心する。毎日見る顔、決まった曜日にしか見ない顔、偶然にみかけてなんとなく前にも見たことがある顔だな…とゆるく脳みそを刺激させる顔…たくさんの顔の中には、僕と同じ顔がある。時計を持った顔。電車を降りて、30秒後にはきっちり一番右側の改札を抜けて最短距離を進み学校の最寄出口までまっすぐ歩く。2分後には駅を出て公道に出る。30mで横断歩道に差し掛かる。いつも赤信号を3秒だけ待って、歩き出す。周りを歩いている人間はいつも同じ顔だ。

いつも同じ顔。電車を降りてからきっかり2分30秒後、毎日毎朝見かける顔がある。女性の顔だ。もちろん名前も知らない。年齢も、職業も、制服を着ていないからといって学生ではないとも断定できない。妙に目に付くその顔が、毎朝毎朝、駅を出た瞬間に、道路の向こう側に見える。横断歩道に向かって歩く彼女もやはり僕と同じ時計を持つ顔。いつだってガードレールすれすれの車道側を歩いて、いち早く横断歩道に差し掛かる。僕と同じで最短距離を見つけ出し、歩き、3秒だけ赤信号を待つ…歩き出す…、その瞬間、僕と彼女の唯一の接点『横断歩道を渡る』という行為の上で、一番に接近する。横断歩道の真ん中よりも少しだけ彼女よりで…僕の歩幅の方が大きい。毎日毎朝すれ違う僕と彼女。僕は駅から学校へ、彼女は何処かから駅へ…。家か、あるいは寮か。仕事帰りだという可能性だってある。毎朝毎朝見る顔で、毎朝毎朝すれ違う彼女。駅を出た瞬間、彼女の横顔を見つけるのが日課になった。それは、彼女は僕にとって時計的な役割を果たす大切な朝の精密な部品だからという事に過ぎない。ぴったりと垂直に、一瞬だけ僕らは重なり合う。それからその一本の線分を切ることなく僕らは横断歩道に向かい、線分を途切れさせたり、誰かにさえぎられたりする事なく端点を重ねる。

ただの朝の部品に過ぎないはずなのに、駅を出て彼女を見つけた瞬間に感じる感覚がじわりじわりと可笑しな感覚に変わっていく。驚きにも似た衝撃、それでもどうしてか同時に安堵も感じ、そのくせ僕の大事な体内時計である心拍数を不定なものにしてしまう。指先や耳の毛細血管が精神的興奮に拡張して、熱い血液が行き届いくのを文字通り体で感じる。一体どういうことだろう?まさか…と思う感情…、…でも、そんな事はとっても馬鹿げているから可能性として選択肢にもあげたくは無い。それでもスタンダールは言った「恋は熱病のようなものである」…「恋は盲目」だとか言ったのは…寺田寅彦か…「頭のいい人は恋が出来ない、恋は盲目だから」…か…。…、…だいたい可笑しいだろう。何も知らない女性を、どうやって好きになれというんだ?僕は彼女の名前だって知らないのに、彼女の何を好きになれというんだ?好きになるからには何か理由が在るはずだ。例えば好物とは、味が好みだとか栄養バランスを考慮したうえで自分に最適な食事である事とか…理論的な理由が存在するが、コレはどうだ?一般的な恋に発展するまでの、その可能性を提示する材料すらそろっていないのではないか?だ、だとしたら…なんだっていうんだ?…要らない言葉が、意味を持たない言い訳が、たくさんの矛盾した感情が体中を駆け巡って、自然と歯軋りがこぼれる。ありえない…僕が、僕が…?…この僕が?

落ち着いた気持ちで電車を降りる。30秒で一番右側の改札を抜けて最短距離を進み学校の最寄出口までまっすぐ歩く。2分後に駅を出て公道に出た。やっぱりちょうどまっすぐ目の前に彼女が現れた。それを確認して、僕は横断歩道に向かうけど、対極の彼女はどうやら何か私物を落としたらしく、立ち止まってしゃがみこみ、見えなくなってしまった。僕が横断歩道までの30mを歩いて居る間中、彼女の姿は現れなかった。信号待ちの3秒。やっと彼女が立ち上がるのが見えた。このまま進んでいっても、僕は彼女とすれ違う事はないだろう。彼女は青信号を確認すると急いで人の波を掻き分けて進もうと必死に歩調を速める。信号は渡れるだろう。ただ、僕には間に合わない。そう思った瞬間に、心臓に鋭利な刺激が走った。心不全でも起こしたかのような強烈な衝撃に、不覚にも短く声を漏らしてしまって、何が起きたのかも分からずにひるんで、歩調が狂う。横断歩道では、歩調を乱せば人の波に負ける。それは体格の問題とか、力の問題などを超越していて、集団行動からの逸脱。大袈裟な組み体操から転げ落ちるような感覚だった。肩を押され、くるっくるっと視界が回る。ぶつかるわりには全員上手く僕をよけて流れて行ってしまう。器用なものだ、と感心している場合ではない。早く渡ってしまわなければ、信号が変わってしまうし、だいたいにおいて僕は僕の思い通りに行かないことは好きじゃない。乱暴に人の波を進んでいくと、ようやく反対側にたどり着く。どんっと衝撃。何かが僕にぶつかった。

「あっ、ごめんなさい」

初めて声を聴いた。いつもは最短距離ですれ違うだけの僕と彼女が、いま、互いの朝をかき乱されて狂った時計の上で重なって触れ合っている。実感する。肌で、全身で感じてしまう。ああ、どうやら僕は盲目の愚か者に成り下がってしまったようだ。

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