鴨先生とお花が咲いた
「ああ、今年もちゃんと綺麗に咲いたねぇ」

ほかほかと暖かい日、お洗濯物を終えた私は屯所内を少しばかり散策。固い土を踏みしめて、目に付いたごみを拾ったり建物のどこかに不備がないかも、ちゃんと目視。ふすまの向こう側からは話し声や、笑い声。テレビの声や音楽まで聞こえたりする。非番の方はみんな好き勝手しているわけだけど…せっかくこんなに気持ちのいい日なのだから、外にお出かけに行けばいいのに…。

「また、花をみてるのかい?おなまえ」
「鴨先生…」

すっと、いつの間にか横に現れた鴨先生。私のほうを見て、花をみて、もう一度私を見てから困ったように笑って眼鏡に触れる。ここは鴨先生のお部屋に属する中庭。ざっくりと言ってしまえば、鴨先生のプライベートなお庭な訳だ。本当ならば、鴨先生のお許し無しに私なんかがお邪魔してはいけないような所なのだけど…。こうして鴨先生が笑って、黙認して下さるのにはもちろん私達にはそれなりの関係があるからであって…。それは決して、いかがわしい淫らな関係ではなく、私達はこの雑然と、殺伐とした屯所の中で唯一、本当に心と心で繋がっていたからで…。

「君は本当に、この花が好きだね」
「はい。鴨先生のお花ですから」
「別に、僕のものではないのだけれどね…誰かが植えて、僕がそこに来ただけで」
「それでも、私にとっては。鴨先生と私の大事な思い出のお花なのです」




あの日も、こうして私が一人で花を眺めていた。塀には届かないにも程ほどに背の高い木にはぽっぽっぽと弾けるように華やかなお花がいくつも顔を開いていて、自然と足を止めてしまった。そうだ、このお花を切花にして玄関に飾ってはどうだろうか?発たれる方はこのお花に勇気付けられ、帰ってきた方はこの可愛いお花に癒される…きっとそれは皆さん気持ちのいいことだろう。手を伸ばし、花に触れようとしたところで、ふすまが開く音がした。

「誰か居るのかね?」
「あ、私です…あの、みょうじ…みょうじおなまえです」

伸ばした手を引っ込めて、声のほうを見やると鴨先生がいらっしゃった。険しいその表情に、とっさに叱られる事を覚悟した私は、失礼なまでにも身をびくりと震わせる。ところが、当の鴨先生はむしろそんな私に驚いたようで、縁側から外履きを引っ掛けて私のところまでお近づきに。強い日差しに手をかざして、私の顔をじっと見つめるその表情は…なんとも、お申しづらいことだけれど…ちょっと、可愛くて…清閑なお顔つきである鴨先生がそんな、少し抜けた表情をするものだから…心臓がドキドキしてとまらなくなってしまう。険しい表情の原因は眩しさ。実際のところ、鴨先生は少しも怒っていなかった。

「僕になにか用事かい?」
「あ、いえ…その…お花を」
「…花?」

ドキドキする胸を抑えつつ、花の木を指すと鴨先生は「ああ」っと声を漏らした。その声の優しい響きといったら…。この屯所では、まず、鴨先生でしか発せ無いであろう。そんな風に思ってしまうほどの穏やかで優しく、柔らかで、それでいてしっかりと太い…体にしみこむような声。ああ、まだ指先で愛でることが出来そうな…。

「また花を増やしたようだ」

慈しむような優しい視線で、花の数を数える鴨先生。また、という事はこのお花は鴨先生のものなのだろうか…?毎日お花の数を数えるほどに大事になされているお花ならば…きっと切ることは許されないだろう。少し残念で、それでもこんな風に鴨先生とお花を眺められている奇跡のような出来事に胸をときめかせる。

「この花、好きかい?」
「はい…、先ほどから長い間、拝見させていただいておりました」
「君には花を愛でる心があるんだね、嬉しいことだ」
「ここの方は、花より団子な方ばかりですからね」
「ふふ、その通りだな…」

満足そうに笑う、鴨先生。それはきっと、誇らしく開いた花に向けられているものだと、頭では分かっているのに、どうして私は赤くなってしまうんだろう。さぁ、そろそろ私は居なくなってしまわなければ…女中が真選組幹部に恋をしただなんて報われない、バカで間抜けな笑い話にすらなりえない…。

「あの、それでは…失礼します」
「ああ、待ちなさい。おなまえ」

呼び止められると、その場を後にしようとしていた体と一緒に心臓まで止まってしまった。急いで振り返れば、花の木に近づいて、高い枝に手を伸ばしている鴨先生。何をしようと…

「いけません…!!折ってしまっては、可哀そう…!!」
「なに、こうしてやらなければ…下の花にうまく日が当たらないだろう」

ぱきりっと折られてしまった枝には2つのお花が咲いている。ああ、もったいない…。しかし、どうせ折ってしまったのなら…それを頂いて、玄関に飾らせてもらおうか?あの大きさではいささか小さいかもしれないけど…一輪挿し用の小さな花瓶でなら…

「好きなときに、また観に来るといい」
「鴨、せんせ…」

折った枝を、するりと私の髪に刺し、耳に触れる。触れたところからお湯でも注がれたように熱くなるから体は、きっとどこもかしこも真っ赤に染まって目も当てられない。お礼の言葉を言いたくても、口はぱくぱく動くだけで声にはならず…これではまるで空気の足りない金魚だ。情けなさと恥ずかしさに、涙さえにじんでくる。胸はぎゅうぎゅう締め付けられるよう。

「その時は、お茶でも持ってきてくれると助かるんだが」
「…しょ、しょうち…しました」




あの日から、私は決まった時間に鴨先生のお部屋にお茶を運び、一緒になって外に出てあのお花を眺めるようになった。雨の日には縁側から、風が強い日にはお部屋から。毎日毎日、数を増やしていくお花を数えては、落ちたお花を拾い集めた。いつしかお花の季節が終わってしまっても、私達は穏やかな逢瀬を重ねた。

「今日も、お茶を持ってまいりました」
「…おなまえ」
「どうぞ鴨先生…干菓子もご用意してあります」

縁側においてある盆を指差し、鴨先生を手招く。が、鴨先生は笑って、それには応えてくれなかった。大好きなお花を愛でるわけでもなく、ただただ、じぃっと私の事を見ていた。

「ありがとう。でも、もうお茶はいらないよ」
「…お忙しいのですね、承知しております。ですが…」
「ここにも、近づいてはいけない。分かるね?」
「っ、でも、先生、私はッ…!!」


「おい、そんなとこで何してる?」
「…土方副長」

縁側には訝しげな表情の副長が居て、あからさまにこちらを睨んでいた。いけない。私がこんな所にいるのが知られたら叱られてしまう。なんて言い訳をしていいのか、考えも付かない私は、副長の威圧的な態度に何もかも言葉を失って、何もなくなってしまう。血の気が失せるのを感じる。立っているのが、やっとの事に。

「みょうじか。一人で何してんだ?」
「あ…」

…ああ、言わないで…それ以上は…

「伊東の部屋はまだ調べが済んでねぇ、うろうろしてっと疑われるぞ」
「あの…わっわたし…わたしっは…」

口が震える。歯がカチカチとぶつかり鳴って、言葉が声にならない。嫌な汗が、噴出して、胃がねじ切れるように痛む。頭が割れるようで、目が熱い。

「おちゃ…を、その…」

分かっている。分かっているんです。もう、明日には大丈夫になります。明日にはちゃんと、何もかもよくなります。すべて受け入れてるんです。大丈夫、大丈夫…

「か…かも、かもせんせッ…鴨せんせいにッ」
「…部屋にもどれ、今すぐだ」

副長が歩き出すのと、私の膝が折れてしまうのは同じ時で。その少し後、私の涙が溢れるひどい顔を両の手で押さえるのと、ひとつの花が地面に落ちるのが同じ時だった。

「どうっして…ぇっ、せんせぇッ!!鴨先生ッ…!!」

もう誰もこの花を愛でないし、もう誰も私の髪に花を挿してはくれない。耳に触れたあの手も、優しい柔らかなまなざしも、あたたかく響くあの声も…すべて亡くなってしまった。亡くしてしまった。知らないうちに、寝てる間に。そう易々と受け入れられるわけがありましょうか?今でも、何度でも夢に見る。夢にとどまらず、この目で見てしまう彼の姿を追っては失い、何度だって亡くしてしまう。それでも願う、ふっと現れる彼の姿に…いつか追いつき一緒に連れて、さらって行ってしまって欲しい。

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