雪と雅次と大人の階段
雪が降るのを煩わしく思うようになったのは、いったい幾つの頃からだったかな… 広大な庭に静かに降り積もる雪を一つ一つ目で追うことは困難でも、その降っては静かに白を広く厚くしていく景色を身が切れるような寒さの濡れ縁で眺めていた。ほわあっと業と声に出して吐き出す息は綿菓子のような姿をして、空気にかき回されるように散り散りになって消えた。鼻が冷たくて、何度もこすってばかりいるからきっと赤くなってしまっているんだろうな… 昔は、自分が小さかった頃は雪が降れば勉強も食事も忘れて雪の中に飛び込んで、服をべたべたにして手が真っ赤になるまで遊んだ。冷たいとか寒いとかそういうのって二の次で、だいたいにおいてその頃はそんな事さえ胸を弾ませる要因だった。まだ小さな竜二や秋房、魔魅流と共に真っ暗になるまで雪の中を駆け回って、雪だるまを作って雪合戦をして大いに寒い季節を楽しんだ。もちろんしもやけに嘆くことになり、風邪を引くだろうと大人達に叱られ裏切った竜二が「雅次が遊ぼうって言った」と告げ口。事実だけど一番大きい俺だけが特別に2倍叱られた。もうやらない、と約束させられては直ぐに「雪かきの手伝い」だと称し雪に興じた。 もう少し大きくなると、寒さが気にかかり雪遊びのあとの濡れた服の処理や痛痒いしもやけに懲りた俺は長時間雪の中に居るのを嫌だと思うようになった。おなまえを交えた竜二やゆら、魔魅流が懸命にかまくらを作ろうと必死に庭中の雪をかき集めているのを近くで眺めて声をかけたり、たまに雪だまをぶつけたりして遊ぶだけになった。10分も雪の中に居れば体がぶるぶると震えだし、どうしてもそれを我慢することが出来なくなった。 やがて雪が降る中、庭に出ることさえ億劫になり、その頃には竜二も魔魅流もさすがに雪の中を駆け回ったりはしなくなっていた。こたつと火鉢と半纏が欠かせず、雪なんて降るな、足場が悪くなるし寒いだけだしどうせ直ぐに溶けて消えるのならせめて雨であれ…なんて心の中で悪態をついた。それでも障子のガラスを挟んだ向こうの寒い景色でおなまえとゆらが南天や葉っぱを用いて雪ウサギなんかを作っているのを見ると、雪もまぁいいかと思った。おなまえの白い手の、指先が、赤くなって少し腫れているのがなんだか仕様も無く可愛くて、外から戻ったおなまえを呼んではぎゅうぎゅうと握ってやって冷たい冷たいと笑った。 由良も雪で遊ぶような歳じゃなくなって、ここの庭にも真っ白な雪景色を掻き乱す者はいなくなった。雪が降る様を、しんしんって音でたとえた人はどんな気持ちで雪を見ていたのだろう?耳を介して頭に伝わる所謂『音』は感じられない。ただ音も無く降り積もる雪。誰も外で遊んでいないとここまで静かになるものなのか…。今頃みんなこたつで丸まっているのかな…みかんでも投げつけに行ってやろうか? 「ううう、寒くないんですか?そんなところで…」 小さな体をさらに小さく丸めておなまえが濡れ縁に現れた。急須と湯飲みを載せた盆を持って温かい俺の部屋に滑り込むように入っていく。あーとかうーとか言いながらこたつに入ってお茶を淹れる。こぽこぽこぽという温かい音がして、条件反射か急にのどが渇いてきてお茶が飲みたくなった。それでもなんでか、もう少し景色を眺めていたい気もしてなかなかその場から動けずにいた。 「雅次さん、冷めちゃいますよっ」 湯飲みを両手で包み込んでニコニコ笑うおなまえが部屋の中から声をかける。いい加減冷たくなった鼻をこすって、断念して部屋に入ると体が膨張してる様な感覚に陥るくらいに温かい。あるいはやっぱり外がそれほど寒かったのだろう。 「あんな寒いところで何してたんですか?」 こたつについた俺を越して、庭に何かあるのかと体を左右に揺らして様子を伺おうとするおなまえ。温かいお茶に口をつけると、その匂い、味、温かさに「ぅあー」っとおっさんくさいため息がこぼれた。 「何もなかったからさ、見てたんだ」 「ふふふ、なんですかそれ?」 変なのーって笑ってみかんに手を伸ばすおなまえ。白い手が、その指先がそのうちみかんの皮の色素で薄黄色に染まってしまうんだろう。 「大人になったって事だよ」 「ん?雅次さんが、ですか?」 「みんなが、もちろんおなまえもね」 「えー?何ですかそれ!いやらしいお話ですか?!」 違うんだけど、そういうこと求められてるんだったら応えるしかないよなー。こたつのなかで足を伸ばしておなまえの太ももをさすってみると素早く手でぱしりとはたかれてしまった。ありゃ、こりゃ手厳しい。 「悪い子ですね、雅次さん」 「申し訳ないです」 部屋の中で笑いあっていると、障子に背を向けた俺からは雪がまだ降り続いているのかそれとも止んでしまったのか分からなかった。雪は音も無く降っているものだから。なんだか無性に雪の中で遊びたくなってしまった。それでも腰は重たいしこたつっていう足かせがどうしても俺を外に出してくれなくって、大人って言うよりはすでにおっさんになっているような気がした日だった。 |