消失し得る思い出と骸さん
雨がしっとりと降り続いている。音も無く、裁縫用の細い糸が空から垂らされている様なひっそりとした優しい雨だ。雨の夜は好きだ。地面が真っ黒に濡らされた夜。月も星も見れないけれど、だからこそ空の景色に時間を奪われなくて済む。

ああ、こんな素敵な夜に骸と2人で、こうして身を寄せ合っていられるなんて…。なんて素敵なことだろう?

「雨止まないねー」
「そうですね。おなまえは雨、嫌いでしたか?」
「ううん、好きだよ。空気がきれいになるからね」
「なら、いいじゃないですか。」
「そうだねー」

鉄筋コンクリートで出来たこのアジトでは、雨が降ると建物内の湿度が極端に跳ね上がる。ところどころ建物が壊れているところから雨が入り込んできたり雨漏りが起こったり、難儀な住処だ。雨の所為で、私と骸が座っているソファ以外、全てのものが冷たく静かだった。味気の無い灰色ばかりの部屋には私と骸以外には誰もいなかった。ふたりきり。ツーショット。おしゃべりをするわけでもなく、読書をするわけでもなく、眠るわけでもなく。私と骸は2人には少しだけ狭いソファに座って、冬のてんとう虫のように身を寄せ合っていた。骸はじっと前を見つめてて、私は骸の背中に肩に頭に手を伸ばし撫でたりさすったりもんだりしてた。外気よりも少しあたたかい程度の骸の体温。私の手は暖かく感じるのかな?

ふと目に入った後頭部のあのふさ。ねずみか小さなアルマジロが、骸の後頭部にぴたっと張り付いているみたいだ。ケンはよく『パイナポー』って言ってるけど、パイナップルかなァ?そうは見えない。片手で、包み込むようにしてその房に手を添えてみる。まぁもちろん髪の毛の集合体。柔らかくて軽い。揉んで見るとしゃりしゃりっと毛がこすれあう音がした。骸の紺色の髪は揺れるだびに彼のにおいがする。

あー、これ気持ちいなー。ぽふぽふと下から軽くたたき上げてみたり、きゅっと掴んで見たり。大好きな骸の髪の毛はしなやかで艶があって、男の人の髪の毛だなんて思えない。好きだなー。

「ねぇ、骸。髪コキってどう思う?」
「なんですか急に。下品な女は嫌いですよ僕。」
「だってさ、骸の髪の毛…私ちんこはえてたら絶対に突っ込みたいよ?」
「汚い言葉はやめなさい、あともしもおなまえに陰茎があったとしても僕はそんな事させませんからね」

綺麗な骸は、私が持ち出した下品な話題にご機嫌斜め。払いのけるわけじゃないけど、誘導するように手をかざして私の手を自分の頭からさっと遠ざけた。あーんケチ。

「じゃあ、私のは?」

骸のよりは劣るけど、それなりに女の子として手入れをしている自身の髪。頭の横に手でおさげを作って骸の顔を覗き込んでみると、心底嫌そうな顔でため息をついた。ひでぇ。

私はもしも骸が「おなまえ、あなたのその髪の毛で僕の怒張しきったペニスを射精へと導いて欲しい」って言ったら、喜んで頭差し出すのにな。むしろ髪の毛を引っつかんで無理やりされたって良い。いや、むしろ良い。私の髪の毛と、骸のちん毛が絡まっちゃったりして?ほどけなくって結局私の髪の毛を一部分大胆カットする羽目になったりするんだ。でもそれで骸が「たすかりました。ありがとう、おなまえの髪の毛は最高でしたよ」って笑ってくれるなら、十円ハゲだろうが五百円ハゲだろうがどんと来いだ。骸が似合うって、可愛いって言ってくれるならモヒカンだって坊主だって角刈りだってなんにだってなってもいい。

「僕のペニスをおなまえの髪の毛で?」

おもっきり顔をゆがめて私を見つめる骸。あれ?そんなに嫌か?私は全然、むしろして欲しいくらいなのに。骸のいいように、やりたいように、気持ちいように。私の髪の毛を引っこ抜いちゃうくらいの力で掴んで、引っ張って乱暴にちんこをこすり付けて、腰を振って欲しいと思う。精液も全部、私の髪の中に出してぐじゃぐじゃにして欲しい。頭から骸に精液をぶっ掛けて欲しい。骸がそれが気持ちいっていうんならなんだってしたい。

「楽しそうでしょ?すっごく刺激的だと思う」
「どうでしょうね、僕はあまり気乗りしませんね」

長い足を折り曲げて、ソファの上で半々回転した骸は私に向き合って、ふたつの色の綺麗な目じっと見つめてきた。ああ、かっこいいな。鼻筋もくちびるも眉も頬も全てが完璧だ。骸の顔は神様の計算でパーツを配置されたんだろうきっと。私はおさげをひょこひょこと遊ばせて骸に可愛い子アピールをしてみるけど、効いてないみたい。背もたれに肘を乗っけて、頬杖をついた骸。あまりの美しさに感動を禁じえない。自分の存在が恥ずかしくなるくらいに骸は綺麗で、強くて、素敵だ。涙がこぼれそうになるのをこらえて口を開く私の声は、小さな赤ちゃんの動物みたいにふるふると震えていた。

「ねぇ、絶対に…すごいよ、髪コキなんて…」
「あまり良い案だとは思えませんがね」
「だって、骸…髪コキなんてしたことないでしょ?」
「もちろんありませんが…」
「じゃあ、一生忘れらんない思い出になるよ…また、したくなるかも」
「おなまえ」

とうとうこぼれた涙を、頬を伝いきってしまう前に骸がぬぐってくれた。ああ、なんでそんなにも優しいんだ。なんでそんなにも美しいんだ。なんでそんなにも私の事をお見通しなんだ…。そっと近づいてきた骸は、私を抱きしめて髪の毛を梳く様に頭を撫でた。私は素直に身を預けて、骸にもたれかかるように抱きしめてもらった。

「今度は、いつ?」
「すみません」

骸はいつだって、何の予告も宣言も無く私達(千種、ケン)の前から消えていってしまう。ここに居たんだって証拠も、気配も、何も残さずに消えてしまう骸は、まるで本当はそんな人間…六道骸なんていう人間ははじめから居なかったんじゃないか?私の作り出した幻だったんじゃないか?って思わせる。彼がここに居たという事実を、彼が私と一緒に居て、こうして触れ合って、好きあっていたって事を示すものなんて思い出以外に存在しないのだ。思い出なんてものはとても不確かで不安定でついうっかり、新しい記憶に書き換えられてしまったり、間違った思い出に改ざんされてしまったりだなんていう事もありうる。私はそれが怖い。大好きな骸が、居たって事が、誰かに消されてしまうんじゃないか。あるいは私自身が忘れてしまうんじゃないか。そう思うと怖くて悲しくて寂しくて、潰れて死んでしまいそうになる。

だから私が欲しいのは、強烈な記憶。

「ねぇ、おなまえ」

骸が抱き合ってた体を離して、私の顔を両手で挟む。垂れていた鼻水をきゅっと服の袖でぬぐいながら苦笑いをこぼす骸。ああ、嫌だ。ねぇ骸。この雨がやんだらまた居なくなってしまうのかな?それとも雨が降っているうちに行ってしまうの?どこにも行ってほしくない。ずっと一緒に居てほしい。いっそうの事私も連れて行って欲しい。

「僕がここを去っていけるのは、いつだって貴女がここで待っていてくれると信じているからなんですよ?」

それじゃ不服ですか?悲しそうな笑顔を傾ける骸に、私は涙が止まらなかった。

焼き付けよう。今の骸の顔も、体温も、触れた硬さ肌触り匂い気配全てを。何気ない事が大きな思い出になるように。貴方を支える私になれるように。


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