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「みょうじ」 「え…」 授業も終わって、あとは帰るだけ。みょうじはぼうっと、でもどこか思いつめた様子で、窓からの景色を眺めていた。 俺が髪飾りを彼女の机の上におくと、彼女は、訳がわからないといった風の素っ頓狂な顔をした。 「今朝、それを探していたんだろう?あのあと、俺が偶然」 「こ、れ…!!夏目くん…拾ってきちゃったの?!」 予想外だった。みょうじは目を見開いて、髪飾りを引っつかんで、がたん!と大きな音を立てて席を立ちあがった。余計な、お世話だったのだろうか…?いや、でも。あそこの土地神は、みょうじが何日も髪飾りを探していたのを見ていたわけだし。これを探していたに、違いは無いんだ。…見つけ出したのが俺だったことに驚いているのだろうか? 「あ、の…みょうじ」 俺が声をかけると、みょうじは机にかけてあったカバンを持って、教室を飛び出して行ってしまった。 「なぁ、ちょっと…待ってよみょうじ!」 とっさに追ってきてしまった。みょうじは今朝の社跡まで、一度も止まることなく走って来た。学校からは結構な距離があるというのに。必死になって付いてきた俺は、立ち止まった途端に汗が噴出し、ぜぇぜぇと肩で息をした。 「それ、みょうじの髪飾りなんだろ?」 「どうしてわかったの?私のだって」 「それは…」 土地神に聞いたなんていえない。 「みょうじが今朝、なにか探してるみたいだったから…」 苦しい嘘ではない。なのに、みょうじはキッと鋭い目線で俺を睨んだ。 「あの…」 「これ、落としたんじゃなくて…置いておいたの」 そういうと、みょうじは声は出さないにも、その瞳から大粒の涙をぽろぽろと零し始めた。 「え?!…ど、どうしたの…?!」 みょうじの涙は止まることなく、彼女は髪飾りを握り締めたまま両手で顔を覆ってしゃがみこんでしまった。ついには大きな声でうわああんと泣いた。 なんて声をかけていいのかもわからなくて、とりあえずしゃがみこんでしまったみょうじの背中を擦っていると、その声は小さくなっていって、しゃくりを何度か繰り返してから、泣き止んだ。 「大丈夫?」 「うん…ごめんね、もう大丈夫…」 立ち上がったみょうじは、あまり大丈夫そうに見えなかった。髪飾り…余計なことしたかな…。 「この髪飾りね、とても大切なものだったの。」 「うん、綺麗な髪飾りだね」 「ありがとう、だから、夏目くん拾ってくれてありがとうね」 よかった、拾ったこと自体が彼女を傷つけたわけではないらしい。 「ただね、これ。ここに、わざと置いてあった。」 「わざと?」 ざああっと、風が大きく吹いて、少しの間静寂が続いた。絵の様な美しい景色に目を奪われていると、みょうじが口を開いた。 「夏目くん、神様って信じる?」 「神、さま…」 みょうじは、今朝の土地神が俺に聞かせてくれた、社の話を始めた。自分が小さな頃から祖母と一緒にここにおまいりに来ていたこと。祖母がなくなった今でも自分ひとりでここに訪れては社の面倒を見ていたこと。 「小さい頃にね、私このあたりで迷子になったの」 「え?」 土地神には聞かされていなかった話。みょうじは懐かしそうな顔をして、手の中の髪飾りを見つめて一息ついた。俺は彼女が口を開くのを待ちながらも、彼女の手の中の髪飾りに触れてみた。 彼女の話す声と共に、髪飾りから、鮮明な記憶を見た。 昼間に祖母とここへ訪れたときに、髪飾りを落としてしまったことに気づかずに家に帰ってしまい、取りに戻りたいと言ったが、両親は交通事故と夜であることに配慮して、明日の朝にするようにみょうじに言い聞かせた。 小さな頃のみょうじは、両親の言う事も聞かず、夜中にどうしても髪飾りをとりに行きたい、その一心で家を出た。 案の定、昼間とは違う夜の景色に惑い、道に迷ってしまった。明かりも何も無い夜の山道は子どもでなくても不気味に思うだろう。いつもは祖母が手をひいてくれる道。一人ぼっちの寂しさに、とうとうしゃがみこんで泣き出してしまう。 『どうしたの、おまえ』 ぼうっと青白く輝く青年が、彼女の前に現れた。昔の土地神だ。信仰も社もあったころの土地神は力に満ちて、その姿さえ力強かった。 暗闇と寂しさの中、人の形をした土地神に泣きついたみょうじ。土地神は一目で彼女がいつも自分を参りに来てくれる彼女だと言う事がわかった。その日彼女達が日中のお参りを済ませたあと、社のあたりに彼女の髪飾りがおちて居るのを見つけていた土地神は、それを彼女の家まで届けに行こうとしていた途中だったようだ。 『泣いてちゃいけないよ、ほら。これはお前のものだろう?』 差し出された髪飾りに、飛びつくようにみょうじは立ち上がる。彼女の無邪気さに土地神の頬は緩んだ。大きな手で、小さな彼女の頭を撫でる。ゆっくり、まるで形を確かめるように。 『さぁ、おかえり。こんな時間。お前のような幼いものがうろうろしていてはいけない』 とん、と背中を押された彼女は髪飾りを手にした安堵感と、両親に黙って出てきてしまった罪悪感に駆られて、振り返ることも無く、走って帰ってしまったそうだ。土地神はそんな彼女を微笑んで見送っていた。彼女が道に迷わないように、土地神としての力をつかって、彼女が進むべき道をぼんやりと明るく照らしていた。 無事に家に着いた彼女は、両親に泣きついて、謝り叱られ、抱きしめられ。眠りについた。 「私、あの日神様を見たの」 「…」 「でも、お礼が言えなかった」 みょうじの目から、もう一粒。ぽろりと涙がこぼれる。 「社がなくなると、神様は消えちゃうんだっておばあちゃんが教えてくれてたの」 小さく弱くなってしまった、土地神の姿を思い出す。 「だから、社がなくても…神様が、帰ってくる場所がわかるように…って、これを…置いといたの…」 今朝と同じ、あたたかい風が吹いた。でも、その風は、草や木を揺らすことも無く、みょうじの髪だけを、優しく撫でるように流れていた。土地神は、もうここには居ない。今朝、振り返ったとき彼の姿が無かったのを見たときから、俺はうすうす気がついていた。 「せめて、お礼の代わりに…って…」 『ありがとう』 頭に直接聞えてくるような、不思議な声。それは確かに土地神のものだった。聴こえたのは俺だけではなかったらしく、みょうじは呆けた顔で「え」っともらした。 「わ、わたしこそ…」 涙で顔をくしゃくしゃにして、みょうじは首をうなだれて「ありがとうございました」と声を上げて泣いた。 あたたかく輝く一陣の風が、まるでみょうじを抱きしめるように包んで、ゆっくりと空へと舞い上がっていった。 「なぁ、ニャンコ先生」 「ん?」 「…土地神さまって、よみがえったりするのかな?」 「土地神か…人間の信仰と、社。そして神を祭るにふさわしいだけの自然が戻れば、あるいは戻ってくるかも知れんが…」 遠くで不吉な重低音を響かせながら近づいてくる大きな作業用自動車を見て、ニャンコ先生は耳をかいた。 「このあたりも変わった。もう、無理だろうな」 「…そうか」 何週間後かに、同じ道をみょうじと一緒に散歩した。道路は綺麗に舗装されて、山沿いにガードレールが敷かれていた。社あとには予定通り、電灯とミラーが設置され、交通事故はうんと数を減らし、近隣の住民はみんな喜んでいた。 みょうじは、浮かない顔をして、電灯の足元に小さな花束をそなえると、何も喋らずに帰ってしまった。人間と自然の共存は、俺たちが思って居るより簡単じゃないし、さらには人間と妖の共存なんて、本当に夢の話なんじゃないだろうか… |