口の必要性について椿くんが…
「はぁ…なんだか信じられない」

いつの間にか生徒会室に侵入してきて、いつの間にか僕の机の前に居て、物憂げなため息を漏らしたみょうじ。書類整理に没頭していた僕は、みょうじの大きなため息の、湿ったあたたかい息が手にかかるまで、本当に彼女の存在に気がつかなかった。

「わッ、みょうじ…!!」

声を上げてしまったことを、失礼な事をしたと後悔してすぐに謝罪を付け足したが、みょうじはお構いなさそうに、また、悩ましげなため息を漏らした。いつも元気ではつらつとしたみょうじが、何か落ち込んで居る姿と言うのは…不謹慎ながらも、珍しさゆえか…見慣れないその姿、雰囲気はどこか淫靡な感じを思わせた。

いや!実際にそんな事はないのだけど…!!見る側受け取る側の主観的な意識に左右されてみょうじに対して、そんな下劣な感情を抱いているわけではないしその、本当に持っていたとしてもそれは本当に微々たる物と言うか、そんな頻繁に不道徳的な思考をめぐらせて居るわけじゃなくて、だがしかし健全な高校生男子としてしかるべき物事の感じ方だというか、その…僕がみょうじを一人の女性としてとても魅力的な人だと思って、他の人とは違うもっと特別な存在であると認識しているがゆえに!!少し悩んでいる姿でさえも、僕にはその苦しみ重みがこの世の破滅だとでも言うような壮大なスケールの物事に思えてしまうんだと言う事だ!!決して、いやらしい目で彼女の事を見て居るわけではない!!断じて!!

「椿くん?大丈夫?」
「えッ?あ…断じて!!」
「え、それって大丈夫なの?大丈夫じゃないの?」

みょうじがくすくす笑う。ああ、それだけでも。それだけなのに…。僕にとっては荒涼たる砂漠の大地を吹き抜ける、気まぐれな薫り高き花風の奇跡!!その笑顔を額に飾って末代まで語り継いでいけると全校生徒の前で宣言してもいい!!そのくらい可憐で素敵で無敵なみょうじ(の笑顔)。身体の奥底からわきあがって来る、喜びとも怒りとも断定しがたい、なんとも言いえぬ激情を抑える事が出来ずに、ほとんど衝動的に席を立ってしまいそうになったが、にやにやと頬をゆがめてこちらの様子をうかがっている丹生や、静かに威圧的なオーラを放ちながら例によってあの奇抜なデザインのぬいぐるみを握りしめた浅雛の存在が僕をとどまらせた。

「今日ね、気がついちゃったんだ…」

ふぅっと、またみょうじがため息をつく。ああ…なんて、なんて悲しい響きのため息なんだ…。いまのみょうじのため息に、色をつけるならば、それはきっと灰色がかった薄い青だろう。物憂げで悲しそうで、辛そうだ…。ああ!叶うのならば!僕に力があれば、その物憂げなため息を全て吸い尽くしてしまいたい…!!みょうじの感じている、背負っている負の感情を全て僕が代わりに背負ってやりたい…!!それがどんなに辛い、耐え難いものだろうとも、もしも隣にみょうじが居てくれるのなら、僕は…僕は…!!あ!あ、あと…もしも、その…ため息を吸うの過程を…可能な限り簡略化して…みょうじの口から、ため息が出てくる寸前で…僕が吸ってやれるとなお良いのだが…。いや、つまり、つまりは…その、なんだ…く、くく…くち…くちうッ!!

「椿くんも、するんだよね。うんこ…」

潤んだ、双眸が揺れながら僕を捕らえる。それはさながら、未だ拓かれる事なくうっそうとした古来よりの自然が息づく密林の秘宝…!!清らかな水が流るる川底の、冷たく濡れた漆黒の石!!ああ!!いつかの消費者金融会社のコマーシャルで、一世を風靡したあの超小型犬の目を100万個グラスに詰めてみょうじの瞳に乾杯だ…!!

「え…?!」
「だから…椿くんだって人間でしょ?」
「あ、ああ!もちろんだ」
「ご飯食べれば、その…もちろん出るよね?」

もちろん出る。当たり前だ。

だがしかし、僕が疑問に思うのは何故それをみょうじが気に病んで居るのだろう?はッ…まさか、さっきまでの物憂げな表情、辛そうなため息の原因は全て…僕の生理的排泄活動が原因であったとでも言うのか?!いや、でも…それは、みょうじも言ったように、食事を取れば栄養を搾り取った食品のカスはしかるべき器官を通って体外に排出されるわけであって、それをどうしても止めたいというのなら…根源の食事を止めるしかないわけであり…いや、だがしかし…それは死活問題に…

「こんなに綺麗な椿くんから、うんこが出てくるなんて…」

?!き、綺麗?!ぼ、僕は綺麗か?!そんな…!!みょうじの方がバッカルコーン綺麗だ…!!ではなくて…!!みょうじは、僕の排泄活動に…幻滅している、ととっていいのだろうか?この状況は…。ああ、どうすればいいのだろう?!

僕としてはみょうじの、その…排泄活動は許せる。いや、許せるだなんて言い方は良くない。それはどうしてもしなければならないものなのだから…例えるのなら1日の夜の部分とでも言うのだろうか。嫌だからと言って省略出来るものではない。だが、ぼ…ぼくとしては…その、みょうじの排泄…というのは…どのような場合であっても…あ、その…。…良いと思う…!!うん、良いと思う…!!

「そ、そんな僕は…みょうじは嫌いか?」
「ううん…そういうんじゃなくて…」

みょうじの視線が、僕を取り囲む大気中を不自然に泳いで、とうとう僕自身に焦点を合わせることはなく、床に落ちてしまった。ああ、胸が…胸が締め付けられるようだよみょうじ…。僕は、僕は人間である限り、人間として正常に行き続ける限り、君とは一生結ばれないとでも言うのだろうか?ああ、神様…今ここで、僕は愛するみょうじを前に貴方を恨もう。僕の産んでくれた両親、育ててくれた両親も一緒に、だ。僕に口が無ければ、僕は何も食べることは出来なかったのに。僕に胃が小腸がなければ、僕は摂った食事を消化することも無かったのに。僕に直腸が肛門がなければ、僕は便を排泄する事も無かったのに…!!

みょうじとの間に漂う空気がすっかり淀んでしまった。もう、みょうじを見つめる事すら、僕にはためらわれてしまう…。行き場を失った僕の視線はテーブルに落ち、いつだったかみょうじが僕に譲ってくれた、女児向けのキャラクターの形容を模したメモ帳を見つける。ああ、そういえばこのキャラクターには口が無い。うらやましい限りだよ…。僕にも口が無ければ、みょうじにこんな辛い思いをさせることだって無かったんだ…!!くそう…!!

『キティちゃんはね、誰のどんな感情にも共感できるように、表情を持っちゃう口が無いんだって』

嬉しそうに話してくれたみょうじの笑顔を思い出す。ああ、キティちゃん…あ、いや。僕としてはこのキャラクターの製造年月日からして、人生の先輩であるから呼称するならばキティさんと呼ばせていただきたいしだいだ。キティさんは口のない、その謀られた慈悲による無表情で僕を見つめる。ああ、キティさん…!!貴方は僕がこの世に生を受ける前から、口の無い生き方を提唱してくれていたというのに…!!僕は自身の感情を、言葉を、みょうじの名前を、みょうじへの愛を囁きたいがために…!!口を持って満を持して生まれてきてしまったのか…!!僕の正常な排泄活動によってみょうじがどれほど心を病んでしまうのかなど考えもせずに…自身の欲だけを満たそうと口を…ああん!僕の愚か者ぉぉおお!!

「でもね…なのにね、好きなの」
「…みょうじ」
「私ね、椿くんがおトイレに入ったところを想像してみたの。でもね、全然嫌じゃなかったの…。」
「…」
「他の子じゃ、途中で気分が悪くなっちゃったのにね…椿くんは平気だったの」

ああ、みょうじ…!!みょうじおなまえ…!!その悲しげな、まだ少しだけ影の残るあどけない笑顔に僕は確信を得た。僕が口を持って生まれてきたのには、確固たる理由が、意味が、使命があったからなんだね。おなまえ、僕は君の名前を呼ぶために、この口を携えてこの世に降り立ったんだ。そしておなまえ、君のその口だって…きっと僕の名前を呼ぶために、そこに在るんだ。僕だけの名前を呼ぶために、ふたつではなく。ひとつだけ。

「好きだ、おなまえ」
「うん、私も…椿くん…」

そして僕と君の、ふたつの唇は…いまもう一つの使命を果たすために、その距離を縮めようとしているんだね。神様、母さん、父さん…ごめんなさい、僕は本当の愚か者だったね。口が無ければ、こうしておなまえと、本当の愛を確かめる事さえ出来なかったんだ…。キティさん、口のある人生だって…悪いものでは無いよ。


「あらら、なんだか私たち忘れられちゃってますね」
「なんだあのぶっとんだイチャつき方」
「毎日見せ付けられちゃいますよね、可愛いからいいですけど」
「うんこから始まるキスってどんな超展開…可愛いからいいが」

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